2016/01/13
昨日の二軒目にいった可愛い内装のバー。初めていったんだけど、居心地よかったねー^^
でも

死んで生まれ変わっても、絶対にガチャピンにはなりたくないなぁと、男ならば、思いました。
2006年1月6日。18歳。僕の東京での音楽活動がはじまった。
前日5日、奇しくも母の誕生日の夜に地元を高速バスにて離れ、朝9時には品川駅。せっかく地元のいい会社に就職できたのに、せっかく優しい年上の彼女ができたのに、ぜーんぶ投げ払っての、上京。いま思っても、泣かせた数を考えるととんだ不孝者である。
でも

死んで生まれ変わっても、絶対にガチャピンにはなりたくないなぁと、男ならば、思いました。
2006年1月6日。18歳。僕の東京での音楽活動がはじまった。
前日5日、奇しくも母の誕生日の夜に地元を高速バスにて離れ、朝9時には品川駅。せっかく地元のいい会社に就職できたのに、せっかく優しい年上の彼女ができたのに、ぜーんぶ投げ払っての、上京。いま思っても、泣かせた数を考えるととんだ不孝者である。
13日は、当時お世話になっていたスタジオのおじちゃんと奥さんに祝ってもらった。19歳。あのときはほんとイノシシもびっくりな猛進タイプで、思いついたら全部やって、意見が合わないとピリピリして、バンドメンバーとも月1以上のペースでぶつかってたなぁ。たぶん、気を張らないとやってられなかったんだろう。だから、あの頃くらいの年で今頑張ってる仲間を見ると、すげーなぁ、器用だなぁって思う。
朝9時から夕方6時までバイトをして、7時からスタジオで録音したり作曲したりして、0時近くになって渋谷から三軒茶屋まで自転車で帰る生活。あれはあれで、楽しかった。お金持ちの家が並ぶ裏道を通るのが近道で、この豪邸にはどんなおっさんがおるんやろう、、どんなスーパーカーがこのガレージに、、、!とわくわくしながら横目で追い越して、ある朝ガレージの中が垣間見れたときにシルバーのカローラが停まっていた時の愕然だったりとか、けっこう覚えてる。
あっというまの10年だったけど、ほんと早いうちにいろんなことにトライして、失敗と成功、、、たぶん失敗の方が圧倒的に多いけど、悔いはそんなにない。むしろ失敗は全部笑い話しとなってみんなにニヤツカセル道具になり笑
今こうやってブログを読んでくれている人とか、ライブに来てくれる人とか、10年あれやこれやなかったら、たぶん出会えてないしね。僕なりに、良い2016年がスタートしてます
負けるもんか、今年もふんばってくぞ!!