あじさいで有名な明月院に行って来ました。
北鎌倉駅から鎌倉方面に歩いて10分程度の距離です。
数千本のあじさいは明月院ブルーと言われてます。ただ、7月に入るとあじさいの花はすべて剪定されてしまいます。そうしないと枝が伸びて花の咲く位置が高くなったり、樹の形が悪くなったりするそうです。
明月院は今から850年前の1160年に創建された「明月庵」が始まりです。
臨済宗建長寺派。山号は福源山(ふくげんざん)。
室町幕府を開いた足利尊氏は関東10カ国を統治する為に「鎌倉府」をおきました。鎌倉府のトップを「鎌倉公方(かまくらくぼう)」、その補佐役を「関東管領(かんとうかんれい)」と呼びました。
1380年鎌倉公方 足利氏満(うじみつ)は関東管領 上杉憲方(のりかた)に命じ明月院を含む当時の寺を拡大させましたが、1868年明治元年に廃寺となり明月院のみ残りました。
「総門」
あじさいの咲いていない今の時期、観光客はまばらです。撮影も楽々です。以前、あじさいの最盛期に来た時は入り口から大混雑で行列が出来てました。
受付で入館料500円を納めて中に入って左に鎌倉幕府、第五代執権・北条時頼の廟所があります。
廟所とは先祖や貴人を祀るための建物をいいます。
廟所の左側にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は北条時頼公の墓所です。
第五代執権 北条時頼は第三代執権 北条泰時の孫にあたります。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では坂口健太郎さんが北条泰時を演じてました。泰時は御成敗式目を制定するなど武家政治を安定させました。
孫の第五代執権 時頼は三浦一族を滅ぼすなど北条氏による独裁体制を強めました。その一方で明君と語り継がれるほど民衆思いの政治を行いました。
北条時頼公の墓所を後にして「桂橋」を登って本堂に向かいます。
坂道を登っても本堂に向かうことが出来ます。
あじさいの花はもうありません。
坂の先に「山門」があります。
「本堂」には方丈の額が掲げられてます。
方丈とは本来、住職が住まうところを言います。
方丈の右側の和室にある窓は「悟りの窓」と言われてます。丸窓(円窓)は禅宗寺院で取り入れられた建築様式の禅宗様(唐式)が始まりとのこと。
円は大宇宙を表しているそうです。円窓から見える景色はなぜか気持ちが落ち着きます。
本堂の向かいは「枯山水の庭園」が広がってます。
本堂の左側には「開山堂(かいざんどう)」があります。「宗猷堂(そうゆうどう)」の額が掲げられており、堂内には明月院の開祖である密室守厳(みっしつしゅごん)の木造が祀られてます。
横穴式墳墓の「やぐら」がいくつかあります。
一番大きなこのやぐらは「明月院やぐら」と呼ばれてます。上杉憲方(うえすぎのりかた)の墓と伝えられてます。市内で一番大きいやぐらです。「羅漢洞(らかんどう)」とも呼ばれています。
鎌倉十井の一つ「瓶(つるべ)の井」。
鎌倉は綺麗な水に恵まれない土地です。だから綺麗な水が汲める井戸は大切にされたそうです。
帰りに境内にあるお休み処「月笑軒」に寄りました。
「抹茶と和菓子セット」¥1000 を頂きました。
夏は百日紅(さるすべり)、秋はシュウメイギク、冬は老梅、春は枝垂れ桜と一年中楽しめますよ、とお店の品の良い従業員の方が教えてくれました。
「本堂」 横の社務所で御朱印を頂きました。
北条時頼は第八代執権 北条時宗の父親です。時宗は二度にわたる元寇を全国の武士を指揮して退けました。第二代・三代執権の義時・泰時に匹敵する最強の父子でしょう。
あじさいの花は咲いていませんでしたが明月院は見どころの多いお寺でした。北条時頼公の参拝が目的でしたので、ゆっくり境内を見て回ることが出来てとても充実した一日になりました。



















