土曜ドラマ『刑事の現場』 | 権力とマイノリティ

土曜ドラマ『刑事の現場』

団塊 新米

◆第1回「苦い逮捕」3月1日放映
 警察の現場を舞台に、今の時代を映し出す従来にない社会派刑事ドラマが、スタートしました。現在の警察をめぐる世代間の温度差や捜査情況を描きながら、淡々とドラマ進展する様子は、伊勢崎刑事・寺尾聰の見事な演技力に圧倒され、ラストシーンまで息を飲む緊張感がある。
 ただ、この国に海外からの「研修生」という名目で「低賃金労働者」として働かざるを得ない日系ブラジル人の置かれた社会的差別の背景の描き方が、不充分だったのがとても残念だ。ドラマを見終わった後に、あれ~? なぜ「苦い逮捕」だったの? しばし途惑ってしまったσ(^^)
 4回枠ドラマという制約の中、社会の矛盾という犯罪をめぐる、さまざまな局面を盛り込もうとする制作サイドの並々ならぬ意欲を感じた。

寺尾と原田1 寺尾と原田2

◆第2回「48時間の壁」3月14日放映
 放火現場近くで公務執行妨害で逮捕されたのが 、森山が小学生のときの担任だった原田芳雄。 取調室で恩師を取り調べるハメになった新米刑事の途惑いと ベテランが新米を育てていく様子を織り込みながら話が進む。
 逮捕された原田は、1年前に起きたタクシー運転手殺人の容疑が疑われたが、今回の件で、警察は48時間しか拘留できない(そりゃ大変だワ)。

 容疑者は実は、犯罪被害者家族だった(こういう設定ってご時世を感じさせる)。 川に落ちて死んだ孫娘は事故だったと、原田は警察に訴えるが、 それが警察に取り上げられず、自分で犯人を探し出す。 見つけ出したタクシー運転手とつかみ合いになり、殺人を犯してしまった原田。

 落としの伊勢崎が犯人を落とすことが、 出来たのは強引な取り調べではなく、孫娘を失った現場で、警察の過失を認め、原田に謝罪することだった。
これって、北風と太陽の話を思い起こさせる。 権力って、自らの非をちゃんと認めないことが、多すぎますからねぇ~。
 警察はドラマを見習って欲しいものだ(笑) 。モォイイッc(>_<。)シ*バシッ

 ドラマって言うのは、演じる俳優の見事さもさることながら、どれだけ脚本がしっかりしているかに、かかっているけど、まっ、よくできてますよ「刑事の現場」のホンは。

◆第3回「運び屋を追え」 3月21日放映
 今回のテーマは「普通の家族」の中で起こった ふたつの事件「親殺しと覚醒剤の運び屋」と 若手刑事たちの成長ぶりっていうところだった。
 ほんとうは息子が母親を殺したのに、父親が息子の身代わりになるという事件。そして、一見恵まれた家庭の主婦が、実は淋しい退屈な日常に飽きたらず、覚醒剤の運び屋をやっていた。
「普通の人なんていない」という女性刑事の言葉が象徴的。 そう、フツウなんてなんていう曖昧な言葉で人の人生について、語ることはあまりにおこがましい。
 最終回は「生きて帰ってこい」「刑事として認めない」 という伊勢崎刑事の言葉がキイワードだよな。

寺尾 ラスト

◆最終回「バスジャック」3月28日放映
 主役の伊勢崎刑事が襲われて、意識不明になるというピンチ。 その容疑者は、過去に伊勢崎刑事が逮捕した殺人者の息子。 伊勢崎は不良に走ったその息子の更正に力を尽くし、 就職の保証人になるなど、刑事ではなく、人間として支えてきた。
 容疑者は昔の悪い仲間に 「殺人者の子どもであることを、息子にばらす」と脅かされていた。 それを恐れた容疑者は、刑事たちの追ってを逃れ、バスをジャックする。  啓吾は人質になっていた運転手の身代わりになり、その現場に所轄の刑事たちが結集する。 伊勢崎刑事は容疑者を説得し、無事に事件は解決する。

 これってよくある刑事ドラマの設定だけど、刑事ってこんなにヒューマニズムに溢れているんですかねぇ~、やや疑問。 この社会では、罪を償った人に対して、決して優しい社会ではないのが現実だ。 某国営放送的ニュータイプ・ヒューマン刑事ドラマが 「刑事の現場」だったんですね~。

 定年まで3年ある寺尾聰が、最後のシーンで真野響子に「育ててきます」と耳打ちしてから現場に出かけていく。

 警察の失態のニュースを見ていると、警察の世代交代はこんなに簡単にうまくいくんでしょうかね~と極めて心配。ドキュメンタリー系「ヒューマニズム刑事ドラマ」は現実を考えさせられますよ。