沢田研二&阿久悠 カルチャライズ・スタディーズ | 権力とマイノリティ

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ジュリー07  阿久悠


 ジュリーの歌を聴いていると、男と女の物語が情景が、そのまま私たちの脳裏に浮かび上がる。それはやはり、作詞家・阿久悠に追うところが大きい。「AERA」(8.13-20号)に、阿久悠の追悼記事があるので、沢田研二に関するところだけ、引用する。

阿久悠死去で「昭和」が終わる
歌謡曲があった時代


 作詞家としての出発点はGS(グループサウンズ)だった。GS出身ゆえか、デビュー以降も従来の歌謡曲を打ち倒したいという意欲を持って作詞活動を展開した。全共闘運動が挫折した後の虚無感横溢の時代を先取りし、一部のGSにあった明るいメルヘンのような世界を否定、暴力や性を含めて現実を冷徹に描写する。
「壁ぎわに寝返りうって/背中で聞いている」(沢田研二「勝手にしやがれ」)
 心情を歌うのではなく、映画的に光景を描写する。
「ひとつの曲が1時間半の映画を1本見たのと同じぐらいの気分を感じさせる。そういう方法はないものか、と考えていました」
 作詞は歌手との「対決」でもある。特にこれが顕著に表れたのが沢田研二。「サムライ」での親衛隊の衣装、「カサブランカ・ダンディ」でのウイスキーの酒しぶきなど、お茶の間がひっくり返った仰天パフォーマンスの数々は、阿久悠が仕掛けた詞の世界に対するジュリーからの攻撃的返答だった。(評論家・湯浅学 談)


 湯浅学は「虚無感横溢の時代の先取り」「映画的に光景を描写する」と阿久悠を評する。ジュリーは阿久悠の挑戦に対して、幾多のパフォーマンスとして、攻撃的な返答をしたのだ。ユーチューブでかつてのジュリーの映像を見ていると、ちっとも古くないし、かえって斬新さを感じる。その当時のテレビを見ているので、わたしは懐かしいのだが、ジュリーを知らない若い世代が見ても、仰天するパフォーマンスに出会うのではないか。実際、沢田研二について語る高校生のブログや、母親の代わりにジュリーのコンサートに行って来た、という掲示板も読んだ。

 わたしは、この時代に寺尾聰や沢田研二を「再発見」した。ずっと当時からファンだった人からすれば、いわば「新人」でしかない。わたしの音楽のベースは70年代フォークなので、これはもっとちゃんと調べたいという欲求が出てきた。60年代から70年代の日本の音楽シーンには、ザ・ビートルズやボブ・ディランなどロックやフォークに影響された歌手やグループが、百花繚乱に登場した。
 GSとロックを明確に区別することも難しいし、フォークだってフォークロックという言葉があるぐらい。例えば、かまやつひろしや加藤和彦をどう考えればいいのか、という問題をはらむことになる。
 ニューミュージックの時代になれば、井上陽水も松任谷由実も中島みゆきも、フォーク出身だけどポップスに分類される。今ならJ-POPか。

 どうもわたしは、70年代の音楽を、カルチュラル・スタディーズしたくなったようだ。カルチャラル・スタディーズとは、サブカルチャー・メディア・ジェンター・エスニシティなどの研究を通じて、日常生活の問題に関する理論と実践をつなぐ運動のことをいう。つまり体制と反体制、権威の中心と外部などという二項対立を超えて、文化と政治の関係を考える実践的な理論研究である。わたしには、ケンキュウなんて、出来ないが「文化と政治の関係」を考えることぐらい出来るではないかと思った。