小さな意欲で

 

兄さんはありとあらゆる事を、

 

私たちの ひとつの心が癒されてゆく為に使って下さる。

 

小さな意欲が、積み重なればなおのこと。

 

全てのことを機会として下さる。

 

そうして そのように、

 

私のことも使って下さる。

 

 

そうなのだな、と思うと、

 

目の前の人も 兄さんに使われている 使者なんだな〜、と

 

凄く自然に気づいてくる

 

でも
 

自我はそれに気づく時、物凄く「ぐな〜〜っ」とする。

 

「私」がどんどん不要になってく感がするから。

 

 

 

 

 

 

全ては、ただ やって来る。

 

それを

 

時にはウキウキと、時にはヒィヒィ、

 

赦しながら 赦しながら

 

ただ 受け入れてゆく。

 

すると

 

個である私が、

 

「きっとこうだろう」と期待しようが 恐れようが

 

 

そんなもの、ことごとく

 

ダルマ落としみたいにスコーンと吹っ飛ばされてしまう

 

(一体、今までの人生どうやって 生きてきたのだろう。よく解らなくなってくる)

 

 

七転八倒したり右往左往したり悶絶しても

 

赦しと共に、受け入れてゆく

 

受け入れられない〜!って時には、受け入れられない事を受け入れていく

 

認めて、受け入れて、赦し手放す。その繰り返し。

 

 

 

 

すると何故か 結果的にはいつも、

 

みんなにとって最善な状態になっている。

 

ほんとポカーーーンとするほど、予想を遥かに超えて。

 

それでも個の私は 「なんなんだよ兄さん」と言いたがるけれど

 

 

 

 

繰り返されているうちに、

 

何だか少しずつ あきらめがついてくるようだ。

 

 

あきらめた。という言葉のシックリ感ときたらどうだろう。

 

全身の力が抜けていくようだ。


(そうか、全身に力を込めて生きていたのだな、と知る)

 

 

 

 

 

 

私には何もわからんけれども、

 

兄さんに任せておけば大丈夫なのだ。

 

なんかわからんけども。

 

そういう事なのだろう。

 

 

 

浸食されてく感がすごい。

 

でも、それでいいのだな。

 

恐いな、どうなるんだろう、という声も

 

そうはさせるもんか、という声も ちゃんと見ながら。