涙が止まらない。

 

ということが起きている。

 

 

 


すべては時にかなって美しい。




聖霊は 最大チャンスを最大限に使ってくれる。

予想を遥かに超えてくるし、

出し惜しみとかホント無い。

受け取る私たちがボリューム調節しがちなだけ。




私は愛されない。

私は愛を得る資格が無い。




「神は私を愛さない。」


いかに本気でそう信じているか、

そしてそれを深く深く奥底に隠したか、

あからさまに、わかるように見せてくれた。

あまりに明確過ぎて

何がどう、というのではなく

ただひたすらに、涙が止まらない。




流されなかった涙 

それが、どんどん流れてゆくようだ。





人生のたくさんのポイントで、

瞬時に抑圧されて 流されなかった涙。


涙の原因は、常にたった1つだったのに

「起きた出来事」が原因だと ずっと信じていたのだから、

 

 

生き残る為、なんとか耐えるため、それは必要な事だった

 

 

 

というか、そうするしか無かった。

 

だから 流されなかった事さえ気づいてなかった。

 

 

 

 

でも今は、

 

聖霊と共に、本当の原因に戻って、

 

終わらせる為に泣くことが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


終わりを探す。

終わりを見つける。





どんな時に、終わりが見つかるのか


それはもしかしたら


「終わりを見つける」という声を聞いた時かもしれない。


その声を聞いたとき、


「ああ、終わりなんだ」って

どこか深いところで、そう感じて

それを受け入れたようだから。



終わるって、それを欲したり、決めるものでは無いのかもしれない。

声を聞いて、受け入れるもの。

もうそれしか他に選択の余地が無いもの。



 




それでまた、涙が流れる。



叫びたいほど胸苦しい気もするし、

同時に暖かく歓びもそこにある。









いっしょにコースを学んでいる仲間が、

全く同じ状態に 同時になっていて

いっしょに 1つずつ取り出して、聖霊と共に見ている。

どこでもダラダラ涙が出てくる状態だけど、

止めずに、枯れるまで涙を流そう。そして祈ろう。と話し合った。





なんだかもう、本当に何もわからなくなった。

何も出来ないし、どうしたらいいかもわからないし、

前はどういう感じだったのかも、なんかもうよく解らない。


それでもなぜか、

前より、何かが 楽だ。

前  って、いつ頃の事言ってるのか、

それも もぅわかんないけど!




兄さん、導いて下さい。どうか、助けて下さい。

私たちにはあなたの助けが必要です。

任せなさいというあなたの声を、そのまま信じ、受け入れます。

どうか 私の弱いこころが 彷徨い出しそうになった時にも、

この手はあなたと繋がっていると思い出せますように。

この涙で私たちを洗って下さい。

愛しています。

アーメン