圧倒的なもの。

 

最終的には、言葉すら消える、

 

「きれい」って言葉すら出なくなる

 

 

 

いま、ここにある感覚を、

 

『ki  と re と i  の、音の組み合わせで

 

「綺麗」という意味としよう』

 

 

 

そういう、表現しようとする脳みそすら、

 

ひれ伏して降参する

 

想念停止

 

 

 

 

 

言葉になる瞬間、

 

時間が生まれ、過去になり

 

「見ている私」が生まれ、

 

「見られる私」が生まれ、

 

 

「私」と世界を分離させる。

 

それそのもの、歓びそのものになることを、邪魔してしまう。

 

 

 

 

これは日々起きてること

 

分離というのはそういうこと

 

それは馬鹿らしく無意味でありながら、

 

それしか知らず 私たちは生きてる

(生きてる気がしてる)

 

なんかおかしい、と感じながらも、それをやめることをしない。

 

やめることを恐れる。

 

 

 

 

 

爆音とともに 光の華がひらくたび、

 

「愛しているよ」の声がする。

 

途切れることなく咲き続ける神の愛。

 

 

 

それは圧倒的で 自我には太刀打ち出来ず

 

ビリビリしびれて

 

 

 

見ている私も 見られる私も 死んでしまうと、

 

(今の自分が許容出来るぶんだけそれは起きる)

 

 

 

言葉にはならない

 

シンプルで絶対的な

ゆるぎなく不変な

 

 

この、 これ  が気配を現してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

てことは、

 

 

 

 

圧倒的にマイナス(と知覚する)経験の中でも、

 

 

これ  は、

 

揺るぎなく不変に

 

常にあり続けているということ

 

 

 

 

 

閃光と爆音に

 

 

頭がまっしろになる

 

 

まっしろになる一瞬まえ、

ボンヤリ思った


あの、全てが灰になったあの日

閃光を見た人々は その瞬間どんなだったろうか

閃光を見た、その瞬間 命を終えた人々は。

 

人間の、、ウジャリ豆の生み出す

 

最も恐ろしい幻想と、最も美しい幻想

 

本当には、そこに何の差も無いのだ 

 

 

 

 

愛か恐れか、どちらかしかなくて

決断の力は、私たちにある 




爆弾と花火、どっちがいいかなんて 悩む人はいないのにね、
いったい私たちは何をやってるんだろう

恐れを選んでばかり
正さを主張して神と戦ってばかり





言葉の消えたところにいたい。




ヒュルヒュルと昇っていく光はまるで光源目指して飛ぶ鳥のよう。
父の元へ一心に飛ぶ鳥のよう。

天空に届くまでに、
何もかもすっかり燃え尽きて

もう、考えることも出来ない

そして、ひとつになる

ひとつに戻る。



ぱーん

 

神さまありがとう

 

 

 

 

 

 

画像は8/26大曲花火大会にて。撮影はコース姉妹♪

ありがとう☆すべてに感謝☆

^^