人でもモノでも現象でも何でも

 

 

すべてにおいて、

 

 

「なんで?」

 

 

という言葉が出たら、赦しの発動。

 

 

 

(なんで画像が横なのだ、なぜ直らないのだ!?

という、この、コレも同じこと....汗)

 

 

 

 

 

それがどんなに

 

罪の無い無邪気な質問と感じる時でも、

 

どんなに

 

「私の素朴な疑問」であれ、

 

たとえどんなに

 

私の善意からですが?』

 

というモノであれ

 

私が、私自身に向ける追求であれ

 

 

 

なんで?

 

 

という言葉(思考)には

 

 

「こうでなければいいのに」という

 

のにのに星人が隠れていて、

 

 

 

 

 

 

もっとまっすぐ、見つめれば

 

ごくシンプルに

 

 

 

なんで?という言葉は

 

 

 

相手(世界)を肉体、自我として見ていなければ

出てくることが出来ない。

 

 

 

相手(世界)を自我として見ているならば、

 

そのとき 他でもない

 

自分自身が、

 

決断の主体である心 が、

 

自我と同一化しており、

 

自分を罪人とみなしており、

 

罪悪感にまみれ、恐れに震え上がっており、

 

責任の全ては「外」にある!!

 

としている。

 

「外」に映した自分の恐れを実在にして

 

なんで!? と知覚するのは当たり前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、

 

 

分離は起きたよ!!と言っている。

 

ただ、それだけ。

 

赦しをするだけ。

 

 

 

 

こんなにシンプルなことを、

 

分離の夢は鬼のように複雑怪奇にして見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のにのに星人は、

 

コントロールを象徴している。

 

 

 

なんで?

 

なんでそうするの?

 

なんでそうしないの?

 

なんでこうなるの?(きんちゃん)

 

 

(画像まで貼ることない)

 

 

 

 

 

 

 

どんだけ素朴な仮面を装っていても、

 

そこにあるのは

 

0と1のデータにハマりこんで

 

映像をなんとかして自分の思い通りにしたい!

 

コーフンする、のにのに星人。

 

 

麻痺するほどにコーフンし続けていれば、

 

決してほんとうのことは、見なくて済む。

 

 

 

 

 

 

 

おなじ 疑問のカタチを使って、

 

 

なんで? と思考してるのは誰?

 

という 質問をしてみることもできる。

 

 

なんで?と思考してることを見ているのは誰?

 

 

なんで?と思考していることを見ていることに気づいているのは。。。

 

 

。。。。

 

ボヤァ、としてると

あっという間に自我の思考システムに乗っかって

操り糸でダンシング☆だなぁー。

 

注意深く、静かであろう。

どうかそのように導いて下さい。

私は、それを 受け入れます。