この、

 

メラメラ衝動に従って、

 

投影し続ける?

 

(ガオー!!!)

 

 

 

深呼吸して、外向きのやじるしを

 

グルリと引っくり返して 赦しをする?

 

(パタパタ、、←天使の羽根の音)

 

 

 

 

 

赦しをしたいけど、

 

キョーレツに自我に引っぱられちゃう

 

これ、赦すやつだって解ってるけど

 

 

「だってアイツが悪いじゃないの!!

 

私は悪くない。私は正しい!」

 

 

 

 

 

頭の中はそんな叫びでもう大変。

 

どうしていいか解らない程の葛藤、、

 

コースを学び始めたけれど、

 

そもそも赦しの方へ向くこと自体が難しい!

 

 

そんなときは、

 

赦しではなく、許し になっているのかも。

 

 

 

 

ソレは実際に起きたんだ、世界は実在だ、

 

あの人は確かに悪いことをした、、、!としたままで

 

許し をしようとすれば、

 

自分は正しいのに!なんか損!

 

そんな気持ちになってしまうし、

 

 

 

あんたは確かにソレをしたが、

 

私は自分のこのツライ気持ちを赦しで解決するよ。

 

私は救われたいし、平安を望むし、目覚めたいからね!」

 

 

 

 

。。ということになり、これでは、

 

相手も自分も肉体に幽閉したまま。

 

分離の強化になってしまう。

 

 

 

葛藤し、苦しい、その感覚

 

目の前の映像に原因があるのではなく

 

 

神との分離は確かに起きた!やっちまった!と

 

分離を信じる信念が 罪悪感が現れてきたのであって、

 

全ての事象がそうであるように、

 

消える為に いま 現れたもの。

 

手放して赦せば、消えてしまう。

 

 

 

 

 

 

。。と、書くのは簡単でしてな。

 

そうか、難しいのだな、、と

 

兄弟に改めて教わることが多い。

 

 

 

 

 

 

でも、自我が隠している闇の壮大さを考えたら、

 

そんなの、ぜんぜん 驚く事じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

たしかに、

 

自我の妄想から手を放す事が

 

本当に困難だ、と感じる時もある。

 

ずーっと 人生全部、

 

そうやって戦ってきたのだから。

 

 

 

 

 

メラメラは魅力的。

 

だからスッと赦しには向かえなくて、

 

そのままスルーして、、

 

でもスルーしても平安にはなれないから、

 

またすぐにイラッとして。

 

いつもいつも 何かが不満。

 

いつもいつも「問題発生」。

 

いつもいつも どこかもの足りない。

 

何かが欠けているような 焦燥感。

 

そんなループから抜け出せない。

 

 

 

 

 

 


そんなときは、

 

 

 

 

ハテ、そもそも自分は、
 

日常の中で 普段から赦しをしているかな?

 

 

 

 

と振り返ってみるといいのかも。^^;;

 

 

 

 

 

赦しは 兄さんによる訓練、なので

 

日々の訓練なしに、

 

 

ムキー!!!

平安が、崩れた、、、!!!!

 

って時にだけ、

 

突然 赦しをしようとしても

 

 

 

 

それはなんというかこー、

 

プロレスのリングに上がって、

 

対戦相手を見て強そうだからプロテイン飲もう、、

 

、、みたいな事である。

 

(?)

 

 

日々、鍛えていないのに

 

「わっ。やばい」と唐突にプロテイン飲んでみても、

 

どうにかなるモノではない。

 

 


毎日 赦しをすることで、

 

それが習慣になって

 

真理が染み込んで

 

「ムキー!」という時にも

 

赦しを選ぼう、と思えるように

 

だんだん、そのように なってゆく。

 

 

 

 

 

赦しは、

 

 

 

魔法の呪文では無いのだ。
 

「無いのだよ、、」

 

 

 

 

 

(もし赦しが摩訶不思議な魔法の呪文だったなら、

 

私たちは何億回 輪廻しても目覚めないよね。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ないのだよ、、」

 

 

 

 

 

奇跡に難しさの序列は無い。

 

奇跡に大小の差は無い。

 

 

 

 

日常の中で、

 

「これぐらい」「小さいこと」

 

なんてこと無いや、と自我で「対処」したり

 

無かった事にしてスルーしてないだろうか

@@?

 

 

 

注意深く見つめれば、

 

24時間 赦ししてなきゃなんないじゃん(><)!!!

 

って感じで当然なのだ。

 

 

 

 

「私、対処出来る。」

 

聖霊の出る幕なし!

 

 

 

 

と自我が自動的に判断、解釈している時にも

 

それを見逃さずに捉えて

 

きちんと自分に真理をおしえて、思い出していく。

 

その意欲を差し出しつづける。



 

 

 

 

「奇跡には序列がある」

 

「大小の差異がある」

 

「世界は幻想。

 

ハイハイ、わかりました。

 

でも、

 

コレだけは

 

 

いかに自分が

そのように信じているか、見えてくる。

 

 

 

眠って見ている夢の中で、

 

これは夢だけど、これは現実!!って事はあり得ない。

 

 



真理は、本当のこと というのは、

それは真実なので
(確かに私たちは神のひとり子であるので)

自分に教え続けていれば、

そちらを選び続けていけば、

いつかは必ず「あ、本当だ」となるのだそうだよ。

 

うまく赦しをするのが重要なのではない、

 

一歩退いて まるっと委ねてしまえば

 

兄さんが必ず導いて下さる。

 

 

 

 

 

だから、

普段の生活の中で、

現時点では

「今は別に平安ですけど?」

と思える場面に

どんなに深く巧妙に

自我の恐れの反映が起きているか、



そこに気づいていけるように

聖霊に祈りながら、

赦しをつづけていこう。



それは

常に自分の内奥へと向かう練習であり、

ハートを感じ続ける練習。




まずは聖霊と一緒に、

「トリケシ探しゲーム」

^^


「ゲ〜〜〜〜ム♪」