2月のびぼ。(備忘録

 

 

 

2/24 おぺんきょかい内容。

 

参加出来なかった、復習したい、ワスレタ、、というときには

いつでもいっしょに学びあいましょうー♪

 

 

 

*破壊するための赦し*

M.祈りの歌.第二章.II ほか

 

自我にとっては大変に耳の痛い内容だけども、

とってもとっても重要なところ。

何度も繰り返し読み返したいな。

 

どんなに注意深くしていても、気づくとやってしまっている。

でも、それを「また失敗した!」と責めることに使うのではなく、

気づけた事、気づかせてもらった事の方を 大切にしたい。

^^

 

 

・一度 有罪として

罪はある、それは確かに起きた、あなたも私も肉体だ、、として

その後で半分だけ赦すのでは真の赦しにならない。

 

・健康、お金、ありとあらゆるものに対して行われる。

考え、知覚、もおなじ。

「〜〜このような考えが確かにある。でも、これは無意味なんだ、、」

なのではなく、

「考えている夢を見ている」ということ。

夢の中でいくら考えたって、その考えは無い。

 

などなど。

 

 

 

 

*ホログラム例(?)*

 

・参考イラスト

(シェア会の前に私が受け取ったもの、のシェアです。

テキストからのものではありませんので、

あくまでも参考までに。)

 

なぜ、兄弟の「愛と助けを求める懇請」は自分の叫びでもあるのか、

解りやすくなれば〜という主旨の図です。

 

 

内容が思い出せない!!という兄弟はご一報を。^^

 

 

 

 

*アイデンティティのありか*

 

「肉体をもった個人としての 自分のアイデンティティを保持したい、という

私たちの執着は、私たちが認識しているよりもはるかに大きいものです」

 

 

決断の主体に戻って、、と思っていても

気づけば破壊する為の赦しになっていたり

 

「私は神の子」という言葉の

「私」が「肉体の私」の事になっていたり

 

「あなたはそのままで完璧」の「あなた」が肉体になっていたり

 

本当に

こういった事は、どんなに注意深くしていても

どこまでいっても、

 

ごくごく自然にそうなってしまうものなので、

「またやってた!わかったハズなのに!」と責めず^^

 

(あなたは何も知らない。と兄さんが言うのは言葉のとおりで、

どうやら私たちは「自分がいかに何も知らないか」という事すら知らないのです。

だから言ってみれば、「私は何も知らない」という事を知っていく その為の実践。

そして、「知ってるし!」と言い張りたい自分を 知っていく為の実践です)

 

 

根気づよく自分に教え続け、

どうか教えて下さい。と聖霊に意欲を差し出し続けることが

大切なのだなぁー、と感じる日々です。


 

 

実在しているのは、

私たちの真のアイデンティティは

肉体でもなく決断の主体でもなく、「神のひとり子」。

赦しのたびに、しっかり思い出していけますように。。