2月びぼ。(備忘録

 

 

 

2/8 おぺんきょかい内容。

 

参加出来なかった、復習したい、ワスレタ、、というときには

いつでもいっしょに学びあいましょう〜☆

 

 

 

それから、

おやき研究のその後を書いておきます。

 

(長いし、ややこしいかもですが、

大事なことと感じるので おやきに触れた皆さん(笑)はご一読を。

研究は終了したので もしかしたら、のちに消すかもしれません。)

 

 

 

 

2月8日

 

T.12 etc

*「他者の動機を解釈しない」

あなたはいかなるものに対しても、

直接それに応答するのではなく、それについての自分の解釈に応答する。

 

自我の動機を分析する時、必ず自分自身の自我が関与する。

・聖霊に解釈を委ねるなら。。?

 

*恐れを認識する重要さ

認識し、更にそれを真理へと翻訳する事が必須。

 

・恐れとは

 

 

 

 

*おやき研究ほーこく*

 

私たちは「神のひとり子」であり、分離は無い、という事を知るために、

一度しっかりと差を直視してみる、試みと研究。

(ぐぬぬさん、すーんさん研究)

 

 

 

 

 

 

 

おやき概要

 

 

・自我は、

全てに差を見たがると同時に、全てにおいて「私の世界」を当てはめており、

「私と同じように知覚している(ハズでしょ)」どれだけ信じていたかを知る。

 

 

・知れば、

驚愕するほど互いに違う妄想劇場を観ていることが解る。

 

 

・タイプを分けて知ることで人間関係を円滑に、ウジャリライフを快適に、、、

という目的ではなく

 

 

相手の妄想劇場(自我)を自分の妄想劇場(自我)でなんとかしよう、と奮闘することの無意味さをしっかり理解する。

 

 

自分のタイプを認識することで、その兆候を自覚できるようにし、

自覚したら、投影ではなく 赦しをするんだな。と思い出しやすくなる

幻想に手をかけるのではなく赦した方が早い、と知ってゆく

 

 

・赦しの中で、相手の愛を求める呼び声、助けを求める懇請、というのは 自分自身の叫びでもあるのだ。と知ってゆく。

(本当は違いなど幻想なのだ、他者などいないのだ、と実感してゆく)

 

 


それから、単純に、
(なあんだ、、)と脱力できる。

。。。。という、方向性を持った研究(笑)でしたが



その後、研究は終了しました。笑






理由は、



どうしてもやはり、
「タイプ別性格診断」のような、
幻想を強化する方向で受け取ってしまう危険があるかなぁ、
と感じたことと

新たにわかった事が以下です。



・それを知ったからといって
「実践の手始めとして、赦しの方へ向きやすくなるのではないか」

というのは
どうやら甘かったらしい ^^;


・ぐぬぬさんが自覚している闇も、すーんさんが自覚しているスーン度合いも、

「それ自体が仮面(自我の許容範囲、自我のキャラ付け範囲内)」
なのだ、と
解ったからです。
ここ大事です。考えてみたら当然ですが。





なので、

ぐぬぬさんが ぐぬぬ!とするのは、
否認、抑圧したものを見なくて済むようにするため


闇が隠されることなく表に出やすいなら赦しがしやすいのでは?という
単純なことではなくて、それ込みで仮面だ ということです。
。。書くとめっちゃ当たり前ですが、、
(><)



 
おなじように、
すーんさんが スーンとしているのは、
否認、抑圧したものを見なくて済むようにするため。

こちらは文字通りそのまま。


どちらのタイプも、

大前提で、大抑圧してるので。。



抑圧したものというのは、当然 根源の、
自我の、罪・恐れ・罪悪感 です。




私たちはこれを直視したく無いがために、

ウジャリ豆を作出したぐらいなので

 

自分の妄想劇場の趣味と傾向、が解ったぐらいでは
すぐにパッと赦しをしよう、聖霊の方を向こう、という風には

思いにくいのだな、と解りました。

 

(もちろん、個々の段階に応じて違いはあると思います。

自分の「自我の習性(癖)」を知ることで、日常の中で、

「あ、またやってる」と気づき、

それをやめて赦しを選ぶ、という風に使っていけるなら

いいですよね。^^ )

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、
「仮面=わたし」と信じている、ということです。

ぐぬぬ、としているのは
すーん、としているのは



アイデンティティは自我にあるわけです。
どうしても。

そりゃそうですよね。

 

 

 



兄さんは
それはあなたではないし、
あなたが仮面を作って隠したものは、
本当は 無いんだよ
と言ってくれているのですが

真理はシンプルでも、
自我はとてもとても複雑。
私たちが想像するより何万倍も複雑です。

そこから脱するには、
やはりコツコツ実践するしか無い。


。。。という、物凄く当たり前な結論をもって
研究は終了しました。。。笑



むしろある程度 実践が進んだら、

 

誰もがぐぬぬで、誰もがスーンだ。と見えてきたら、)

 

おやき研究が役立つのかもしれません。
よりいっそう、赦しを進める手助けとして。










でもね、


研究(研究、、笑)によって

感動したことがあってね。



多くの場合、

おやき、、2つのタイプは、
陰陽のようにセットになっており
(二元の象徴ですなぁ)
特別な関係を築きやすい。

夫婦とか、家族、恋人とかは解りやすい例だよね。

 

 


自我と見るならば、
争いや悩み、葛藤のもとですが


それを聖霊とみるなら、
目覚めるための大切なレッスンで

お互いに相手がいなければ目を醒ますことは出来ないのです。
天国の門はひとりではくぐれない。

すべては「原因」である自我の0と1のデータであって、
それをみんなで取消して還るんだ、、と見るときには

ぐぬぬさん&すーんさんがいる、ということは
素晴らしく効率の良いことです。

まるで 自我が「やってやるぜ」と
誤創造した幻想世界に
聖霊がソッと仕組んだ魔法のようではないですか。

還り道が解るように内緒で置いてくれた
道標のようではないですか
^^

そのように聖霊と見た時には、
この世界は
安全に護られた聖なる教室ではないですか
^^










ということで、、
シェア会では話題になる事もあるかもですが、
ひとまず終了しました。

。。。

報告するほどの事でもないけども。 笑

 

 

 

でももし赦しの為にもう少し詳しく知りたい、という兄弟がいたら
いつでもおやきの図を書くから言ってね〜
^^

 

 

 

 

 

いっしょに研究・シェアしあって下さった皆さん、笑

ありがとうございました。

(^^)

 

 

考えてみると。。。

私も含め、メンバーの半数近くは

スピリチュアルな学びや心理学的な知識があって、

多くの人と関わって来てもいると思うのだけど

「えーー!!!」「そうだったの!?」と

互いに叫んでばかりだったねぇ。

 

私も、長年フワッと感じていた謎が解けた気がした。

コースを通して初めて見えてきた、ってのが興味深い。

 

それだけやはり、自我というもののアウトラインが見えてくるのが

コースなのでしょうね。

 

今はまだ、すぐに「ぐぬぬ(すーん)してる」と

自我と同一化して捉えてしまいがちな私たちだけれど、

本当に、みんなでそこを超えていけたら

 

なんて素晴らしいのだ!と思います。

 


 

兄さんの手をとって

一歩ずつ

すすんで行けますように。。

^^