先日、

おやきの話が出てから、

なんとなくずっと、
おやきについて考える日々が続いていました。


そしたらね、

今日
お風呂掃除をしていたとき

ふいにとつぜん、

20年近く前のことについて
癒しが起きたのです。

それは、記憶の中ではすっかり
「たいしたことではない」と埋もれていて、
(実際のところ、ウジャリ的に何か大きな事件やらショックを受けるような
『できごと』とは私の自我には認識されていなかった。だけど大小は関係なく、それはたったひとつの狂った想念だった、と癒された時にわかる。)


コースを学んでからは
たまに記憶が意識にあがってくれば赦しをして、、、
という感じで あまり深くフォーカスもしていなかったのですが

お風呂掃除をしていたら

フト
「!!!!!!」となって


ビックリしました。




相手の人は、

完全に聖霊でした。

「相手のひと」などいなかった。

神のひとり子しか いなかったのです。






そして、もう20年も会っていないし、
会う事も無いだろうし、すれ違ってもわからないだろうな、
ずっとそんな風に、漠然と感じていたのに

もしもどこかでバッタリ会ったなら、
完全にオープンで、ハートから、両手を広げてハグするだろう、
ていうか今ハグしたい!

そんな感覚になっていました。

どんな顔で どんな言葉で どんな行為をした、あるいはしなかった、としても
それはまったくもって「起きてない」のです!

そのひとの聖性とは、何の関係もない幻でした
。。

ハレルヤ!






赦しの実践をしていると。。

こういう事が 時折おきて、物凄くありがたく
聖霊、イエス兄さんに感謝でいっぱいになります。
本当に時間なんて無い。
外に原因なんて無い。



今回のように
まさか、そこ!?というような
思わぬ方向からボール来た!みたいな事も多いのだけど

あきらかになれば、必ず、
ああそうか、最近の アレもアレもアレも
このレッスンへの導きだったんだ。。と気づきます。
「出来事の映像」だけではなく、私の思考や興味や何気なくの行動さえも。

気づいた時の、兄さんへの
こりゃとても敵わない感!ていうか
私ごときが主導権を握ろうとする壮大な無駄感、ていうか

ぜんぶ お任せしといて大丈夫なんだ。。。。。という
信頼感はすごいです。











20年前のできごと、
配役されてた兄弟は、おやきの向こうがわ でした。

いま振り返ってみると、
私も兄弟もまったく自覚していなかったけれど、
2人が異口同音に叫んでいたのはきっと

「どうしてわかってくれないの」

ということで、それは、
兄弟と私自身の「愛と助けを求める叫び声」です。

欲しいのは神の愛だった、助けて欲しいのは私だった。と気づいて
そのように求めれば、与えられます。
それは一度も失われた事がなかったからです。



赦しによって取り消されてしまえば、

おやきの右側も左側も無くなるし、
私たちはおやきの皮ではなく、1つのアンコだったんだ。
ということになり、そして、
そもそも「おやき」自体が無かった。。!


ということに、

頭の知識ではなく
「本当に、そうなのだ」と知覚されます。



なんか ながれで
「おやき」のままずいぶん話を引っぱっていますが。


シェア会というか おべんきょ会というか
兄弟たちで集まった時に テーマにも出ていたし、
シェアもしていこうと思っていますが。。



性格分析、キャラ分類で
「ウジャリ豆でうまくやっていこう。」という視点では無い


というのはもう、当然ですが

それでもどこか、
おやきの右と左を考える時点で分離強化かな、とか
(そもそも 相手も自分も実在していないので)

いろいろ思考も出ていましたが


おやきを知ることは(おやきから離れられない)

もしかしたら、大切なことかもしれません。

なんてふうに、今は、感じています。



赦しの実践において、

おやきの片方は

「うまく出来ない」「よくわからない」「自分はダメだ」

ということで葛藤する必要が本当に無いのだ、と知るかもしれないし

苦しみが軽減して赦しの実践が楽になるかもしれないし


おやきのもう片方は、

自分の罪悪感がどこに どのように現れているのか

それがなぜ攻撃といえるのか、と改めて深めていくきっかけになるかもしれません。




いずれにしても、

2つセットで1つのアンコを抱きしめて、癒して(赦して)いる。

ということは.....やはり私たちは ひとつ なのです。

そして、2つに分離したおやきの皮かと思いきや

1つのアンコで、そうか!と思いきや

おやき自体が、無いのです。

なんてハレルヤなのだろうか。






。。。自分にしかわからないような
とんだ「おやきメモ」になってしまった。。。。

いつかもう少し整理されまとまったら
改めて書いておけたらいいなと思います。
(その時にはもしや書く必要を感じなくなるのかもしれないけど。。)