1/23の集いの中で話題に出た動画です。




昨年秋ぐらいに 偶然見つけたガンガジの本(の朗読)


こういったグルの教えが
コースを学んでから改めて触れると、
メガネ外したみたいに見えやすくなっていて驚きます。

 




仮面の奥を直視する大切さ。

やっぱりそこが重要なんだな。




自我をおいやって、こんなのダメ!!と頑張るのではなく、
自我が出ない=うまくいった、平安 なのではなく、

「いかにそれが醜悪で手に負えず、絶望であるか」

そこを MAXガン見する、気づくこと。
(頑張って見るぞ!!というのではなく、
見るんだ。見せて下さい。という 意欲を持つこと。
ちゃんと今の自分に出来るぶんだけ、見る事になっているらしい。)


醜悪で手に負えず絶望であり、それこそが不幸の元だった。
そう実感して、やっと初めて本気で「もう嫌だ」って思える。
「助けて下さい」って言える。っていうか、それしか言えなくなる。

本気で両手を離して、
空っぽの手を天に伸ばしたら


必ず、その醜悪さは実在していない。と教えてもらえる。

今、赦されていい 救われていいのだ。

そこに交換条件をつけたり、
神の為に自分を準備しなくては、と考えるのは
自我だけだから。それをやめるだけなんだ。




 
ここが特に、、という訳では無いのでしょうけども
昨年中にたまたま聴きながらメモしていたとこ。



ああそうだ、彼らにはそれがある。
どうしたら私もそれを手に入れることが出来るのだろう。
何故私はそこに到達できないのだろう。と考えるのです。

そして私たちは自分の中に嫌な部分、弱点と思われる部分を修繕して、
純粋で神聖になる為に様々な試みを行います。

その純粋で神聖なイメージの為に努力を重ね、それに向かって修練をつみ、
前進していると感じたり後退していると思ったりします。

ついに、私が「偉大なる幻滅」と呼んでいるもう一つの大きな精神的ショックがやってきます。

それはこれまであなたがしてきた全ての努力、個性、性格、癖、依存症などを直す為のあらゆる試み、、、は、
あなたが自分だと信じるものと、あなたが完璧であると想像するものの間の大きな溝を埋めてはくれなかった。という認識です。


この幻滅によって、
神を求める魂の熱望と呼ばれることもある、精神的渇望が生まれます。


(動画から一部を転載)