お正月休み。

 

久しぶりに家族旅行へ参加することになり、

夢の国へと行ってきました。

 

姪っ子ちゃんのため、時々開催されるTDLツアーですが

今回は数年ぶりの参加です。

コースを学び始めてからは初めてかな。

 

 

 

「私の唯一の機能は赦しをすること」ってなわけで、

何処で何をしようと、いつも目的はひとつ。シンプルだ〜


^^

 

 

 

 

家族、、両親、配偶者、子供、恋人etcは

多くの人にとって

特別な関係性の見本のようなもので、

聖霊と共に見れば

 

「ほら、それ、それ 取り消すヤツだよ」とあからさまに見せてくれて

 

「さあ、こうして還っていこう!」と源への動きを後押ししてくれる、

 

時空を超えて約束して集まった、

 

わたしを源へ還すためのお助けチーム」だ、と言える。

 

 

 

 

 

旅とか、行事ごととか、

様々なイベント(または問題)発生時とか、

 

 

「非日常」は投影(聖霊視点でみれば源へ向かわせる為の動き)が強くなるので

 

 

家族旅行なんて最高の集中レッスンになるんだろなぁ。。

 

 

 

 

 

って 思っていたのだけど

 

不思議なぐらい、終始おだやかな旅でした。

 

 


旅の中盤ぐらいからピリピリし出す雰囲気に、
私がハマらず 触媒としてそこにいるような
そんな感じがパターン化していたのが

ぜんぜん、そんな事もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局のところ

 

 

 

「された」と思ってみたり

「した」と思ってみたり

 

 

 

攻撃者と被害者の役を、

お互いにぶつけあって演じたり、

それを観てこころを痛める役まであったりして

 

 

そんな演目が、必要だった

必要で、欲している と思い込んでた(私が)という事なんだろうな〜

 

 

 

 

とはいっても、、

 

注意深くこころを見つめれば

 

 

やはり

その自我の力動は

微妙なレベルで起きているので。。。

 

。。。本当に、ものすごく微妙なレベルで働き続けているので、

 

 

しっかり捉えて、明け渡す、、、の繰り返しです。

 

 

 

 

 

この日、

 

よーくよーく見ると、

 

私はかすか〜に

 

さりげな〜く、ごく自然な感じ〜で

 

「母が心配」問題を勝手に作り出していることを発見。笑

 

 

 

(母を心配とか、、、内容的にも ウジャリ的には超当たり前のことで、

良い娘、良いこと、ですらあるので

まさかそれが攻撃。。『あなたは(=私は)自我であり神の子ではない』という事を

教え込んでいるのだ、とは気づきにくく 巧妙になっており、

赦しをしながらも『これは実際に起きていることだ』『私たちは卑小な肉体だ』としたまま赦しをしている事がよくあります。。)

 

 

 

 

 

ホンワカらくちんモードだったなら、

そのまま平安で歓びでいればいいのに、、

 

ただ幸せで居る、という事が自我には不可能

 

しっかりその自我の思考システムにのって

「問題」を作り出していたのでした。

^^;

 

 

 

 

 

どちらにしろ

 

 

今回の旅では

「穏やかな映像が見えているな〜」であっても、

 

また次回の旅では

「うわ!派手に戦ってるな〜」というような映像であっても、

 

 

 

 

どちらの映像が見えてるとしても、

 

それ、既に終わってる わけなので。

 

映像に意味があるわけでは、無いので。

 

 

 

 

 

映像の方ではなく、

 

 

そこに意味をくっつけたがるこころの方を

 

聖霊と共に静かに見ていく

 

 

そのことだけ。

 

 

 

 

 

 

どこにいても何があっても、

やることは1つだけ。なのだなー。

 

 

 

そうしてそのことこそが、

大きな安心となるなぁ。と 再確認の旅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、

 

 

夢の国へゴーゴー!って。。。。

 

 

 

 

夢の国ってこの世界全部のことですからね。

 

毎日 兄さんがそう耳元で囁くなか、

 

夢の国へゴーゴー!って。。

 

 

 

兄さんのジョークとしか思えず 笑

 

 

 

 

 

 いろいろ 教えてもらった気もしたので、

 

書けるだけメモしておこうと思います。

 

 

 

 

 

つづく