デボーション用にノートを買ってみました。
キリスト教の信者では無いですが、
クリスチャンの方の信仰心、イエス兄さんへの向き合い方など
学ぶ事が多かったり、時に励まされる事も多いので
そういったサイトも時々見ます。
そこで「デボーション」という言葉を初めて知り、
前からやってみたいな、と思っていたのです。
365日書けるノートを奮発してしまいましたが、
さて、どうなることやら。続くかな?^^
"devotion"
キリスト教における用語として
「日々、時を定めて神の前に自らのこころ、たましいを静める営み」
「神との交わり」を指し、静思の時と呼ばれる。
- 聖書の通読―聖書の拾い読みではなく、聖書を順を追って日々何章かを読み進んでゆく営み―をする。
- 「ディヴォーショナル」(デボーションのための)と称される日々の短い読み物、特に、聖句の解説、に触れる。
- 自分のたましい、心の状態を神の前に曝け出して、思い巡らす。
- キリストにある兄弟姉妹、また、周囲の人々、果ては、全世界の人々を覚えて執り成しの祈りを捧げる。
からなる。
(wikiより抜粋して転載)
もちろん、読むのは聖書ではなくて
テキスト、ワークブック、
あるいは 神の使者、覚醒へのレッスンなど
コース関連書籍です。
でも 聖霊と共に見聞きすれば、
何の本でも「みことば」になり得るので。。
テキスト無いと無理、ではなくて
ノートを開いて、聖霊と対話して 祈る。
心を神に向ける。そういう時間を作る。
それだけでも デボーションと言えそうな気もします。
私が やってみたい!と思ったきっかけは
こちらの記事。
参考にさせて頂いて書き始めました。
今までも、
テキストを読んでノートをとる。。。という事はしていたけれど
・一日一節を心に留める(聖霊に一節を心に響かせて頂く)
・それについての心の動きや、気づきを観察してみる。
それを言葉にして書き留める。
・その気づきを、生活にどう当てはめるのか?
聖霊に教えてもらいながら考えてみる。
・祈る。(祈りも言葉にして書き出す)
これは、やってみて初めて解る事がたくさんでした。
そして気づきもたくさん。
日々の暮らしの中では、
そうか!と気づきを得るという事があっても、
書き留めない限り 忘れてしまう事は多いです。
そして、気づいた事を、
「聖霊に教えて頂いた。
では、私はそれにどう応えていくか?」
どんな風に生活に当てはめていくのか、
そんな風に考えた事は無かったなあ、と。
それから、
テキストをノートにとる時も、
兄さん教えて下さい、一緒に読んで下さい、って祈る事は
「意味解らん!」って時だけで。。
それはやはり、自分1人で、
私が学ぶんだもんね。私が。
そういう 自我からの学びの姿勢であったなあ。
なんて事を痛感してしまいました。
毎日欠かさず書けてはいないのだけど
(><)
それでも、書いていると加速感が凄い☆から
やはり、
こちらが静かに耳を傾け 聴こうとしてない。ってだけで、
兄さんは常に語りかけて 教えて下さっているのだなあ、、、
と感じます。
無理なく
いやでも、ちょっとは意欲を出して、笑
続けていきたいです☆
^^