ブログを読んでくれた兄弟から

メールが届きました^^

許可を頂いて掲載させていただきます。

どうもありがとう♪

^^

 

 

以下、ピンク文字転載

 

 

。。。

「愛されるには限定的でなきゃいけない」

「どうして私がしたように愛してくれないの?」

 

っていう言葉、かなしみ、

転じて憎しみにかわった友達からの私への要求は、

わたしの罪悪感をかきたてて、わたしも

 

「あげたくない、奪われている」

「でもかつてわたしが奪ったもの、だから要求に応えないとわたしのせいになる」

 

としか見れなかったけど、

 

 

罪悪感とセットの「愛を求める呼び声」なんですね。

たしかに、わたしは愛を求めている。いつも。

 

許されたい。自分の決めた罪から解放されてゆるされたい。

相手を憎むことが気分悪いし、ゆるせないよ。もっとやさしく強くなりたいのに・・・・

 

責められながら求められるとそれがどうしてもできない。

でも同じものをわたしも親に求めて、いっぱい傷ついたの。

傷つけながら傷ついて、そんな自分は許されないって思っているの。

愛されなきゃ愛してなんかあげないって思っているの。

けちになってる自分がつらい、そこのスペースを解放したい。

 

相手の傷に振り回されずに愛だけ放射して、罪悪感のゲームにのめり込みたくないのー

 

神の愛 常に思い出したいね。。。

 

 

転載ここまで。

ありがとうございます^^

 

兄弟達の 

体験、体感からの素直なシェアから 

本当にとても学びます。

頂いたメールも、読んだ兄弟の助けになると思って

転載お願いしました。

快くOKして下さって、ありがとうございました!

^^

 

 

 

 

 

 

 

「愛を求める呼び声」というコースの言葉は

この記事でも登場しています

http://ameblo.jp/t-freechild/entry-12188624529.html

 

 

兄弟がカタチのレベルでどんな言葉や行いをしていても、

それは 本当には、

「愛を求める呼び声」「助けを求める懇請」

 

そして、その

兄弟のカタチのレベルでの言葉や行為について

平安がかき乱されているとき

「なんでそんな事するの、言うの!」と思っていても、

本当には それは

 

「そんな風に、私の中の『愛を求める呼び声』『助けを求める懇請』を、

隠し持った大きな罪を、刺激するのは 今すぐやめてくれ!!

私はそんな事は絶対に思い出したくないし、見たく無いんだ!」

 

という、自我からの強い抵抗が起きているのだと思います。

(しっかり見れば、それは『元々無かった』とバレてしまう、

自我が存続出来なくなるから)

 

だからこそ、かき乱される。

 

 

兄弟の断末魔のようなその叫びは、

自分自身の叫びそのものなんだ。

 

直視して、明け渡すことで、

『罪などどこにも無かった』と教えてもらえる。

聖なる瞬間に、兄弟と二人で光に戻れる。

 

 

そうであるなら、

 

心をかき乱してくる(と感じている)

兄弟(できごと、ものごと、何でも)こそ

救いの手を差し伸べる兄さんそのもの

 

 

。。。言うのは簡単、実践はムズイ!!

ってことの方が多いし

「出来ない、、(><)」という事も時にあるけれど

それもまた、

落ち込んだりすることではなく

(自分を責める事に使わない)

 

「ああー。なるほどー。こんなにも分離を信じているのだなあー」

という、気づきとして

兄さんにひたすら明け渡すのみ。なんだなぁ。

^^

 

 

 

 

 

 

 

どうか、神は今も私を愛していると教えて欲しい

どうか、この罪悪感から、

恐れと苦しみから私を救って欲しい

どうか。。!!

 

そんな風に叫び続けている自分自身を

無視するなんて出来ない。

 

「もう一回じゃコラ〜!!」

「頑張って来いコラ〜!!」

 

って

ドロップキックでサバイバルゲームに戻すなんて、

本当に狂気の沙汰なんだな。

 

もー、やめていこう。

 

 

 

 

「神の愛 常に思い出したいね。。。」

 

 

本当に、そうだね。

^^

共に歩む兄弟とJ兄さん

すべてに感謝☆