バスケットを抱えていて、

 

降ろしたら、

 

 

買ったばかりのサマーニット、ひっかけて

 

ちょっと引きつれてしまった。

 

 

 

瞬間、

 

 

キィーーーー!!

 

やっちゃった。。。。!!

 

 

 

買ったばかりなのに。。。

 

けっこう気に入ってたのに。。。

 

コレ系のニット、必ず引っ掛けて穴あけるって、

 

気をつけなくちゃって、

 

解ってたのに またやった〜〜〜

 

んもーーーーーーー!!!

 

 

 

 

 

↑これだけの思考、ものの二秒ぐらい。

 

 

 

『小さな狂った考え』が世界を作ったのは、

 

(実は作れてもいない世界が生まれて終わったのは、)

 

作出タイム10億分の1秒、だったっけか。

 

 

 

 

 

 

二秒、悶絶すれば

 

余裕で超フクザツな世界作れる。

 

 

 

 

 

 

そうして、私は世界を作ったあとで

 

 

うわーコレ、糸切ったらいいかな、

穴になっちゃうかな?そういえば前に誰それさんが、ニットの修繕出来るって言ってたっけ。今度聞いてみようか、、それともネットにあるかな?

まぁでも、そこまでするほどのモノでもないかぁ。。。

 

 

 

。。。30秒ぐらい↑、

 

自動的に 無意識に、

 

 

『私が』この『問題』をなんとかして『解決する必要』がある!!

 

 

 

 

。。。的な事を考える。

 

そうして

 

世界はどんどん

フクザツになるのじゃった。。

 

 

 

 

 

 

 

『やっちまった!』とはまた、

 

なんと象徴的な言葉だろう。

 

 

まさに

 

 

 

『やっちまった!神と分離しちまった!

神を攻撃しちまったーー!!!』

 

 

そんな途方もない罪悪感と、恐れと、

 

神の愛を永久に失った、という欠乏感や焦燥感

 

 

根底にあるのはそれで、

 

それは、

 

もともと持ってた、往古の痛み。

 

サマーニットに、原因は無い。

 

 

 

 

『うぎゃ!やっちまった!ちぇっ!』という

 

二秒の悶絶と、

 

サマーニットには、なんの関係もない。

 

 

 

関係ないのだから、

 

事の大小も、まったく関係ない。

 

赦しには序列が無い。

 

 

カタチのレベルで『小さく』見えるモノゴトは、

 

冷静にじっくり決断の主体までもどって

 

ていねいに赦すのもやりやすい。

 

 

何か嫌な事があった時だけ、胸がぎゅっと苦しい時だけ、

 

お助け妖精みたいに聖霊を呼ぶのではなく、

 

日常の些細な思考も聖霊と一緒に見るようにしていく。

 

 

 

その 日々の積み重ねがあってこそ、

 

「ぎょえレッスンかあ」と自我が大騒ぎする時にも

 

習慣として、

「目的は何?」と静かに内側に問いかけることができる。

 

 

 

 

「これの目的は何?」

 

「罪悪感の強化?」

 

「罪悪感のトリケシ?」

 

 

 

 

もちろん答えは決まってる。

 

J兄さんに、全部トリケシしてもらうんだ。

 

 

 

ウジャリ豆の存在目的は、

 

それを使って幻想から目覚めること。