公開初日の初回ということで結構混んでいました。海外から来ているロックな方たちもパネル前で写真を撮っていたりと、イベント的にも盛り上がっていたと思います。そういう意味でも、彼が世界的に愛されているギタリスト、ミュージシャンであることを実感します。
ジェイソン・ベッカーは、タモリ倶楽部の空耳アワーでもお馴染みマーティ・フリードマンらとカコフォニーを結成しデビュー。当時からスピードを競うような早引きだけでなくクラシカルな素養を持った天才の若手ギタリストとして話題になる。その後は、当時世界No.1と言われていた、デイヴィッド・リー・ロスのギタリストに抜擢されアルバム制作に臨む、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。アルバムは完成したものの、ツアーには参加することが出来ず……
そして今でも、ロックな言い方をすれば(笑 “くたばらずに、まだ生きている”彼を目の当たりにすることが出来る作品でした。元気、とは言えないのだろうけれども、彼らしくギタリストとして人間として生き続ける彼を見たことが出来たことは、とても嬉しい気持ちになった。
ALSといえば、今年の夏にアイスバケツチャレンジが流行って名前を広く知られるようになったけれども、その苦痛は手足の痺れにあるのではないと思う。確実に衰えゆく自分を目の当たりにし、そして意志の疎通が困難になっていくことを実感していく恐怖にあると思う。そして、その恐怖に屈してしまう人も少なくないと聞く。
しかしながら、ジェイソンのように自分らしくギタリストとして生き続けている人もいる。では、何が違うのか?
ALSの当事者を取り巻く環境ではないだろうか。ジェイソンも語っていたが、思い通りにならない自分に憤りを感じたり、それを他人にぶつけたりしたこともあるそうだ。それでも彼を見守る家族や友人たちがいたからこそ、彼は彼として生き続けることが出来たのだ。当事者が人として生きていける環境こそが大事なのだろう。
難病の困難とは不治の病であることではなく、生き続けたいという思いに応えることが出来ない社会にあると思う。難病には当事者だけでなく家族や友人らを巻き込む。多くの人を疲弊させる。その人々を内包し手を差しのべる社会制度こそが、たとえ治療法が確立されておらず日々苦痛に耐えねばならない患者を精神的に支える社会環境こそが、難病に対する一番必要なことだろう。
本当の難はそれそのものではなく、それを取り巻く環境に常にあるように感じる。正直者がバカを見る、弱者が踏みにじられる、難病患者が生きる希望を失う……そんな社会であってはならないのだ。