昨日、東京レインボープライドのパレードに参加してきました。数年前から参加をしたいと思っていたのですが仕事の都合がつかず、今年ようやく初めて参加することが出来ました。
東京レインボープライドはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー……いわゆるセクシャル・マイノリティと呼ばれる人々の総称)の存在を世の中に知って貰い、多様な個性と生き方を讃えるために行われます。自分が変わっているとか、普通じゃないとか、そんなことはとても当たり前のことで、ひとりひとり違っていてそれが当たり前で、とても尊いことなんだと言うことを広めるためです。この変わっている、普通じゃないというこで苛めや迫害の原因になったりして生きにくい世の中を変えていこう、というものです。
セクシャル・マイノリティに限らず、こういった目立つ大きな活動というのは大事だと、私は考えています。
外側から見ればお祭りのひとつであって、その意義の理解とは別に乗じてお祭り騒ぎを楽しむだけの人もいることもあると思います。そして、マイノリティの中にはソッとしておいて欲しい、という人も多くいると思います。
なんというかな……これはマジョリティ/マイノリティという区分に関係のないこと何ですけれども、人間生きていくことに関しては「何とかななる、なるようになる」ではあると思うのです。どんな状況に陥っても自分が選んで何とかするしかないし、自分の能力でしかなるようにしかならない、と思うのですね。やれるだけのことはやってみる、と。
だけれど、それでもどうにもならないようなことということも、時には起きるワケで……そういうときこそ友人・知人、見知らぬ他人であったり、当事者を取り巻く社会こそが手を差し伸べてくれるものだとも思うのです。そのためにこそ、こういった活動が底力になると思うのです。
まずは、知って貰うことが大事なのです。職場の隣で机を並べる同僚に全てをさらけ出す、カミング・アウトするような個々のことが全てではありませんが、大きな括りで社会に対してそういった存在を認知して貰うことが、第一歩です。社会が認知し包容することで、少なくとも生きにくいなんてことはなくなっていくんじゃないかと。
先ほども書きましたが、ソッとしておいて欲しいという人も多いとは思うのです。祭騒ぎをして目立って批判の対象になって、辛いことになってしまうこともあるのも事実です。でも、隠し通してひっそりと息を潜めて、それだけでは何もならないのです。少しでも息がしやすくて明るいところで、生きていって欲しいと、私は願います。
今年、自分はパレードに参加したワケですが、何をした、何を得たという実感は全くありません。友だちを作りに行った、ということでもないので、そもそもの意義というものはとても薄弱だったと思います。でも、まずは動かないと、という強迫観念のような想いもあって、行って良かったと思っています。
これから自分が何をしていくか、それが大事なんだと戒めと共に。
それと、暑くて日差しの強い中、ちょっとしたシロクマ独りでは辛かったので(笑 パレードの後は中抜けして夕方のフィナーレに戻ってきたのですが、私の大好きな中村中さんのライブに間に合いました。
ひとりで来てひとりで過ごした自分にとって、救いというか閉ざし掛けた心を支えて開いてくれたようにも思います。中さんと同じで、私も何かの時には音楽にはずっと救われ続けてきているから、彼女の力強い歌声が今でも心に響いています。
友達の詩 / 中村中
