街のイメージ ~河内の八尾・山本~
(NHK・新日本紀行「河内 ど根性のふるさとを訪ねる」/昭和40年放送)
それまで大阪には縁のなかった今東光和尚が、河内の国・八尾に天台院の住職としてやって来たのは、1951年(昭和26年)のことであった。
今和尚は、1975年(昭和50年)に千葉県佐倉市に移るまで、24年もの歳月をこの地で過ごした。
住職のかたわら、1957年(昭和32年)には、河内に題材をとった「お吟さま」で直木賞を受賞し、1968年(昭和43年)には参議院議員に当選したりしている。
しかし、なんといっても、今和尚の一番の「業績」は、大阪の河内を日本国中に有名にし、独特のイメージを焼き付けたことであろう。
今和尚は、付近で見聞した人々のことを小説のテーマした。
天台院は、近鉄の山本駅のそばにあり、映画でヒットした「悪名」の浅吉親分も山本のひとである。
しかし、山本駅周辺には、ほどよい玉串川沿いに旧制の府立高等女学校のなごりの高校もあるなど、今東光の河内もののイメージとは随分異なる優雅な感じもする街のイメージがある。
事実、ウィキペディアで「河内山本」をみてみると、昭和初期から住宅地として開発され、玉串川など環境も良く、高級住宅街が形成されたと記述されている。
街のイメージもいろいろあるなあと思い、また、関心のある土地なので、今回、こういう作文をしましたが、そもそも今東光なんていま、どれほどの人が知っているのかなあとも思う。
NHKの新日本紀行のタイトルも、今の時代なら河内に、ど根性は使わないのではないかと思う。
それにしても、当人にとって、特に興味関心のあることは、随分マニアックなものだと、毎度のことながら感じた次第でした。