吉本興業 と 笑福亭仁鶴
今や全国的に有名になった吉本興業は、来年で「百年企業」になる。
芸能の世界での百年企業だから、吉本興業についての書かれたものも多く、特に関西で子どもの頃を過ごした「団塊世代」やその周辺の世代には、吉本興業は非常に興味深い。
戦前でも東京にかなりの地盤を築いていた吉本も、戦後、低迷していた時期もあった。
40数年前には、花月よりも角座、中座のほうがはるかに格調高かったことは今も記憶にあるし、藤山寛美の「松竹新喜劇」と比べて、「吉本新喜劇」はストレートで低俗な笑いであった。
ただ、今となっては、その低俗さや他愛のなさも、もの凄く懐かしい。
ところで、関係本をみると、低迷期の吉本を飛躍させるのに大いに貢献したのが、この笑福亭仁鶴だったそうだ。
仁鶴さんは、師匠の笑福亭松鶴やその弟子が吉本のライバル・松竹芸能に所属していたにもかかわらず、「仁鶴は吉本向き」という、ある落語家のすすめで最初から吉本入りしたそうだ。
後に両者が大成し、また円満な関係を維持し続けていることを考えると、両者には余程いい「縁」とか「運」があったと感じさせられる。