阪神・淡路大震災から16年 ~もうすぐ1月17日~
「神戸港 震災メモリアルパーク」
今月放送中のNHK「歴史は眠らない 『地震列島・日本の教訓』」でも象徴的に使われている。
このブログでも2回目の使用
これこそ「世界遺産」として残し、語り継ぐべきことは多いと思う。
「大震災名言録~『忘れたころ』のための知恵」には学ぶべきこと多し
神戸出身で震災当時、両親は神戸在住の藤尾潔氏が、1997年8月に出版された本)で、当時、取材されたいろいろなエピソードがつづられている。
この本はそれほど有名ではないと思うが、感心させられることの多い本だ。
私が一番印象に残ったのは、ボランティアの項あった次のような話だ。
「ぼくは何にもできないけど、なんかさせてください」という輩は本当に何にもできない人が多かった。
その一方、「スピードをこよなく愛するバイク好きの集団」は、マキ割りなどの活動は頼まれても絶対にやらなかったが、伝令、物資輸送などバイク仕事は休まず続け、半壊の家で何とか暮らす身障者に食べ物や情報を伝達し、相当数の人が助けられた。
これは震災時以外でも、生きていくうえで、大きな参考になるような気がする。
「危機管理」の専門家集団
これは別の本での話だが、「山口組」系列の他県の組では、首相官邸に情報が届いたかどうかの時間に、ヘリコプターを飛ばして状況確認をして、救援物資の輸送経路を検討していたそうだ。
その後、陸・海・空の3ルートを使って物資を搬送したという話が記載してあった。
その存在はともかく、危機管理という点では機能集団だった。
マンションの崩壊
これは1981年の建築基準法改正がポイントだった。
あるマンション関係の本には、法改正以後、建築されたマンションは大丈夫だったが、手抜き工事で有名な業者のマンションだけは崩壊したと書かれてあった。
ただし、その業者の名称の記述はなかった。
名人アナウンサーに呼びなし
今は引退されたが、関西TVの杉本清アナといえば、競馬ファンなら知らない人はいない競馬実況の名人である。(いまだに余韻が残る)
そのため、杉本アナは、余りに競馬のイメージが強いので、被災地に出向いての仕事はなかったそうだ。(あるネット情報)
なるほど、これはあり得る話だと思う。
しかし、このエピソードは競馬ファンなら、非常に興味深く、かつ含蓄のある話と思うが、競馬に興味のない人(特に関西以外の人)には全然ピンとこないことだろう。
各人、生きている世界は、時として違うものだ。
関西には大地震はないという伝説
「地震列島・日本の教訓」第1回によれば、幕末の「安政南海大地震」で、大坂は、津波も含めて甚大な被害を受けたとのことである。
最古の寺として有名な四天王寺には、その慰霊塔もあることが紹介されていた。
また、桃山時代にも大地震があった。
大河ドラマの「功名が辻」でも、山内一豊が実娘を亡くするなど印象に残るシーンだった。
大阪育ちの私には、ほとんどの関西人のように、「関西は、台風は来るけど、地震はない」という刷り込みがあった。
しかし、地震は長い時間のスパンで考えべきもので、実はそうではなかったのだ。
やはり、人間、都合のいいほうに話をもっていきたかったようだ。