「ある日のシュリーマン」2      ~T通信(10・8・13)~ | いたち川のブログ

「ある日のシュリーマン」2      ~T通信(10・8・13)~

1865年(慶応元年)6月のある日、横浜でのシュリーマン


 「古代への情熱」を持ち続けトロイアの遺跡を発掘したハインリッヒ・シュリーマンは、43歳の時、インドや中国などを経て、維新3年前の日本にやって来た。

 (余談ながら、現在進行中の「龍馬伝」と重なる時期だ)

 10年前のクリミア戦争で大儲けし、富豪となったシュリーマンは、後の人生をビジネスではなく、若き日からの想いを実現することに賭けたいと考えていた。

 

 横浜で、シュリーマンは思った。

 「この横浜に、もう5年早く来ていれば、金と銀の交換レートを利した日本での『ゴールドラッシュ』に巡り会えたのに、これはちょっと残念だったなあ。

 日本の次は、サンフランシスコを目指すが、10数年前、弟の遺産のことで彼の地に行ったが、『ゴールドラッシュ』の勇敢なる山師相手に、金貸しでひと儲けしたものだ。

 『ゴールドラッシュ』といっても、金を掘り当てて財産を築いたという話よりも、ジーンズのリーヴァイスのように周辺で大儲けした連中が多いのもビジネスの面白いところだ。

 それにしても、上海からの航海には退屈していたが、この国に入り、船内でも案内があったが、なるほど瀬戸内海のしまなみの美しさは世界のどこに出しても十分通用するものがあった。


 さて、先日は、街道で大君のご尊顔を拝したが、大君の都・江戸を見ないで、この日本を去るわけにはいかないものだ。

 しかし、江戸は欧米人には非常に危険な都市であるし、何よりも江戸幕府は欧米人を江戸に入れないようにしている。


 だが、意志と some money があれば、何事も切り拓くことができるというのが、私の信念だ。

 英国やフランスの役人、幕府の役人にいろいろと働きかけてなんとかしてやるぞ」


  実際、シュリーマンは江戸の町にも入り、サンフランシスコまでの洋上で、日本や清国の見聞録を執筆した。

 そして、その後、その名を歴史に残すことになったトロイアの発掘にも成功した。

 また、語学に関しても天才的であり、その習得法である音読暗記、いちいち翻訳はしないという方法は現在高く評価されている。

 

 多くの分野で活躍し、財産も一代で築き上げ、世界をまたにかけたビッグな人間であるから、いろいろな評価があるのもいたしかたなく、逆に真の大物の証明かも知れない。