大阪砲兵工廠跡のレンガ建物を見ながら ~T通信(10・7・14)~
大阪城の周りは、戦前、東洋一の兵器工場があったと歴史は伝える。
戦後も長く廃墟の状態が続いており、その廃墟を舞台にした小説として、開高健氏の「日本三文オペラ」が有名である。
しかし、私が愛読したのは、小松左京氏の奇想天外小説「日本アパッチ族」で、正直なところ小説全体としては余り素晴らしい出来とは思えなかったが、冒頭のこの廃墟を描く部分は秀逸で、過ぎ去りし時代への哀愁さえ感じさせられた。
小説では、「失業罪」という罪への罰として課せられた「追放」の地が、紀州の山奥ではなく、この大阪の真ん中の大阪城や大阪府庁が見えるところであったという設定である。
砲兵工廠の跡というもあってか、昭和35年(1960年)頃でさえ、城東線(現在の環状線)から、えたいのしれない風景が、当時10歳の私の記憶の片隅にある。
今は、大阪ビジネスパークの超高層ビルや大阪城ホールの地も、ある世代には廃墟の記憶があるし、その上の世代には兵器工場のいやな記憶が残っていると思われる。
余談ながら、昭和20年代に生まれ人々は、ある面、幸運かも知れない。
戦争や戦後の食糧不足は知らないで、時代の大きな移り変わりを実体験できたというのは、今となっては幸せだったといえるのではないかと思われる。
戦争の被害や戦後の食糧不足を直接経験した親の世代には申し訳ないが、そう思うことがあります。
