最終日、先生達は昼で帰京。

私は夕方まで盛岡にいました。



実は幼い頃、一度岩手に来ていたのですよ!

その時お世話になった方に会うのも、今回の目的のひとつ。

時間の都合で、企業のショールームでお会いしました。



ご迷惑をかけて大変申し訳なかったです・・・・・・。




内陸の盛岡は地震被害が少なかったようですが、

そのことに戸惑っているとのことでした。

同じ県内なのに、ほぼ通常通りの生活をしていることに

心苦しさを覚える。でも、働かないと。

経済活動を続けないといけない。





「仕事」というものの意味も、改めて考えさせられました。





さて、約15年ぶりにお会いしたこの方。

先方は私の母も知っています。

そのため、母に似ている「現在の私」を「子供の頃の私」の成長図であると、すんなり認識されました。


一方、私はこの方の姿を写真でしか思い出せません。

話は通じるものの、なんとなく親近感が・・・・・・。



そんなふうに思っていた矢先、なぜか天井の話題に。



その方が天井を見た瞬間、「あっ」と思いました。

この半端な角度! 幼い頃にこのアゴ見た!(笑)




子供の視線ってかなり低いんだなぁ

やっぱりこの方、知ってたわ~




お土産まで買ってもらい、私も帰京しました。






今日は2グループに分かれて、沿岸部へ。

私は山田町に向かいました。



いつもの風景-山田町庁舎にて



いつもの風景-プロパンと消火器





いつもの風景-地鎮祭



がれきもほぼ一ヶ所に片付けられた後。

「復興済み」の建物もあって、仮設住宅への入居も一段落して、

「いつもとおなじ」生活が戻ってきたようにも見える時期でした。


でも、現地の方にお話を伺うと、まだまだでした。



お話を聞いて特に感じたことがふたつ。

ひとつは、コミュニティの大切さ。

建物や物資等のハード面は、なんとかがんばれるかもしれない。

でも、今まで一緒に漁に出ていたり、お祭りの練習をしていたりした人と離ればなれになったことが、新たなストレスのようでした。




もうひとつ、これはそのまま言葉をお借りします。

「これまでずっと海辺で生きてきたのに、

ここ(仮設住宅)は海風すら感じられない」

印象的な言葉でした。


津波被害にあったのだから、海の側には居たくないだろう。

勝手にそう、考えていました。




東北には復興支援という名目で、様々な人が出入りしています。

本当に望まれる支援とは何か。

便利さ・安全さを理由に、その土地の文化を無視してもいいのか。




社会には何が必要なのかと、己の傲慢さに気がついた日でした。




大学の先生について、今日から岩手です。

主に沿岸部にて、生活記憶の聞き取り&保存をするのが

今回の目的です。


具体的には、どのような暮らしをしていたのか。

料理等の生活の知恵やご近所さんとのお付き合い、

お祭りの様子、その練習への参加・・・・・・。



住む場所も、生活も一変したなかで、

それまでの「普通の生活」を思い出して、遺していこうとする試みです。



地元の大学にお世話になりつつ、2泊3日がはじまります。