どうでも良いシリーズの代名詞ともなっている「はじめて物語」ですが
今回は本当の ”初” となります。
そう!人生初の釣り、時を経た現在も私を魅了してやまない釣り、、
ハゼ釣りです!
この歴史を感じる写真 笑
7歳の夏、多摩川河口でハゼ釣りをしている私の写真です。
私が初めて竿を握ったのは、5歳の夏休みだったと父親に聞きました。
初めて釣ったハゼの引き味は今も鮮明に覚えております!
竿から伝わる生命感に感動しましたね
写真の緑色の竿は、生まれて初めて父に買ってもらった竿で、これが大のお気に入りでした!
何回か穂先が折れたりしたのを祖父に直してもらいながら、随分と長いこと使っていたように思います。
釣り人生で最初の1本!
非常に頑丈なグラスロッドで、これでゲンゴロウブナ(ヘラブナ)やセイゴ、時にはウナギやカレイ、鯉まで釣った記憶があります。
振り返ってみると、、
このハゼ釣りで学んだことが、私の釣り人生では全ての基本であり、後のヘラブナ釣りやフカセ釣りに非常に役立つことばかりでした。
河口で潮の満ち引きがあったので、常にタナを正確に測り直さなくはならなかったですし、晩秋、初冬の時期には、ハゼと云えども棒ウキに出るアタリも極小であったり、居食いのアタリだったりですから、、
渋い時期になればなるほど、常連の達人と云われる方々との差はとても大きかったもんです。
たかがハゼ、されどハゼ…
達人たちに教わりながらのハゼ釣りにとにかく夢中でした。
かわいらしく愛嬌のある顔には似合わず、力強く小気味よい引き味で釣り人を驚かせてくれることや、僅か1年という儚い命の神秘性といい…
この釣りは、極めれば極めるほどに難しい釣りと思っておりました。
そして今も尚、私を魅了してやまない釣りの一つであります。
現在は生涯で27㎝のマハゼが釣りたい!と、涸沼へ通う日々を送っておりますが、機会があれば、幼少期に楽しんだ多摩川でもう一度マハゼに遊んでもらおうと思います。
あとがき
私が幼少時の東京は、とにかく空気や河川が汚くて、この多摩川も例外ではなく、川の中には廃棄物やヘドロなどが堆積し、悪臭を放つような河川でした。
空は工場の煙突から出る真っ黒な煙に覆われ、夏は必ず光化学スモッグ注意報が発令とのアナウンスが流れ、常に靄が掛かっていたような色をしていました。
この公害によって、喘息などに悩まされている同級生もたくさんいたように思います。
親戚が住む付近に流れる鶴見川は、多摩川より汚染が深刻だった様子で、死の川などという汚名が付けられていたと記憶しています。
そんな中でもハゼだけは、現在より明らかに数多く生息していたと思われ、夏の数時間で、ズックビクに入りきれない程釣れたもんです。
私の家では多摩川で獲れる魚やシジミは、毎日の食事に欠かせない食材だったのですが、あのケミカル臭漂う川で獲れたにも関わらず、とても美味でありご馳走でした。
陽が沈むまで祖父と釣りを楽しみ、自宅に帰れば外の水道でハゼを捌くのが夏の思い出です。
今年の夏もまた昔の思い出と共に、元気なハゼに遊んでもらえることを期待して、、