はじめに…

沖堤デビューは、かれこれ三十数年ほど前のことになります。

今回は小名浜の懐かしい写真と共に綴ってみたいと思います。

※文章と掲載写真の年代は異なります※

 

衝撃的な記事

とある釣り雑誌で「小名浜沖堤は根魚パラダイス!」という記事を見て心が躍りました!

その記事には、それはそれは大きなアイナメやソイ、カサゴやカレイの写真が掲載され、「これはほんの一例です…」のような文章が綴られていました。

この記事を見た瞬間から、ビール瓶、、いや一升瓶クラスのアイナメが乱舞するという海のことしか考えられませんでした。
 

何が何でも行かなくては!!
 

その釣り雑誌には、渡船宿である共栄丸の連絡先が明記してありましたので、渡船の際の注意点や近況含め聞いてみると、優しそうなおばちゃん(現船長、栄一さんのお母さん)が気持ちよく対応してくれました。

エサも豊富に取り揃えてあることや、渡船代金、小名浜市内のルート説明なども親切丁寧に教えてくれまして、、

気になる釣果は「ここのところはイマイチ…」との回答でしたアセアセ

それでも行く!とおばちゃんに伝え、翌日小名浜へ向かう決意をしたのでした。

※2004年12月小名浜沖堤、第二西防2番にて。

この頃は平日も営業していたので、週3通うことも良くあった。

 

 

バイクでとにかく走る!

季節は初冬だったと記憶していますが、兎にも角にもビール瓶アイナメが釣りたい一心で寒さは気にせず、前深夜バイクにヘチ竿と幾つかの道具を括り付け、東京から福島県へ向け、国道6号線をひたすら走りました。

当時は常磐自動車道もいわきまでは開通していなかったので、とにかくひたすらに国道6号線を走る…

茨城方面→いわき方面という看板を頼りに深夜の国道を走り、ようやく辿り着いた時には夜も明けた頃でした。

1992年10月 小名浜沖堤 大大西にて、、遠矢名人に憧れてヒゲを生やすも似合っていない 笑 この当時から、我がTEAM BRUSHの小澤アドバイザーの会社、大同石油のOBYブーツが愛用品だったが、ベストはダイワ製品が高くて買えなかったのでアセアセせめてキャップはダイワで!

 

誰もいないけど…?

共栄丸釣具店は現店舗の場所ではなく、もう少し市内寄りだったと記憶していますが、そこに渡船客は一人もおらず「本当にここで正解なのか??」と思いました。

それもそのはず、皆さんとっくに沖堤に渡ってしまっており、私は大遅刻で本来は渡らせてもらえない時間にも関わらず、、

受付でおばちゃん(栄一さんのお母さん)が、「せっかく遠くから来たんだから大丈夫だよ!遊んで行きな♪」と、渡船場所までの地図を見せてくれながら、丁寧に案内してくれました。

その場所まで移動すると、おじちゃん(先代船長)が待機しており、焦って用意を始めたボクを見て、優しく「ゆっくりでいいよ」ニコニコ

そうは言われながらも自分一人のために待機して頂いたうえ、船までチャーターしてもらうなんて…

もぅ申し訳ないやら嬉しいやらで、、

そんな複雑な想いを乗せていわきの海へ船出船ですニヤリ

1996年12月 小名浜沖堤 第二西防波2番にて、高価で買えなかったダイワの防寒服を始めて着用した記念日ニヤリ ベストは相変わらずのRYOBIでした 笑 この日は、とあるメーカーの試作品リールのテストで小名浜へ訪れていました。

 

大海原に小さな船 笑

当時の共栄丸の船は現在のような大きな船ではなく、この大きな海には少し頼りないサイズ感がしましたが、、

いざ走り始めると、その船の大きさからは想像も出来ない程の大きなディーゼル音と震動でド迫力!

安定感もあって速い!速い!

そんな中おじちゃん船長は、ミヨシにいた私を「寒いからこっちきな!」と操舵室の後ろに迎え入れてくれ、操船しながらアイナメのポイントを丁寧に説明してくれました。

船中では東京からは遠かったことや、いつもは横浜や川崎、木更津の沖堤へ行っていること等々、、

小名浜の魚影の濃さや夏祭り??やらの話をしてくれた記憶があります。

初対面にも関わらず、豪快に笑う船長と談笑しながらのクルージングだったので、この時の小名浜の景色は全く覚えておりません 笑

1998年1月 小名浜沖堤 第二西防2番にて、この頃になると全身TEAM DAIWAが着れる様な身分になっております 笑 前打ち用の竿の最終チェックに訪れたはずが不発だった記憶が…

 

沖に見えた堤防…

「あそこへ渡るよ」船長に言われ、その堤防を目の当たりにすると…

そのサイズ!スケールの大きさには正直ビックリしました!!

「これ!?」おじちゃん船長に聞くと笑いながら「でっけーべ!?」グラサン

そして舳先が堤防の階段に押し付けられたので、ボクは恐る恐る渡りました。

階段に荷物を降ろし振り返ると、ニコニコと手を振りながらおじちゃん船長は港へ戻って行きました。

お店に着いてから沖堤に渡るまでは、焦っていたので景色を眺める余裕がなく、ここで初めて陸側の景色に目をやると、遥か向こうにはたくさんの煙突が立ち並び、小名浜って山じゃないんだ…と。

福島県というだけで山というイメージだったのですが、木更津の沖堤や川崎、横浜の沖堤の景色と似てはいますが、スケールがあまりにも違いすぎます。

そして荷物を手に堤防の階段を数段上がると、そこにはまたスケールが違う巨大な堤防が永遠と続いていました。

しかも人がいない!!

この巨大な堤防が貸切りなのです。

2004年11月 小名浜沖堤 第二西防4番にて、この日はフカセ釣りで黒鯛を狙ったのですが、ウミタナゴに包囲されながらも、ようやく仕留めた美しく貴重な1尾です!

 

これが小名浜のポテンシャル!

この大きな海、延々と続く堤防に圧倒されながらも、早く!とにかく早く!釣りがしたい気持ちが急に込み上げ、東京を出てから8時間弱にしてようやく準備開始です。

バイクに積まれていた道具が紐でぐるぐる巻きだったので、その紐を解く僅かな時間でさえも、苦手な授業の1時間に感じるほど長かったと思います。。

そんな苦痛の準備も終わり、おばちゃんに勧められたエサ、赤イソメなのかな??ハッキリとは覚えていませんが、、ぶっといイソメを付けて釣り開始です。

いざ堤防の際に立つと、その高さに一瞬足が怯みましたが、ヘチすれすれに仕掛けを落とし込んでみると…

開始僅か数秒で早くも竿がひったくられましたびっくり

気が動転していたのか?タモもセットしていないことに気づき、タモをセットしようにも余裕がなく、渡船時に降りた階段まで必死に誘導し抜き上げ成功!

40㎝弱だったと思いますが、お腹がはち切れそうな横幅のある、それは立派なアイナメでした。

意味が解らず、、理解出来ず 笑

これが雑誌情報の「根魚パラダイス」なのかと…。

 

2001年10月 小名浜沖堤 大大西6番にて、この日は40㎝クラスが連発&連発で非常に楽しい一日でしたウインク

 

ヤバイほどに連発する魚たち

持参していたストリンガーは、関東近郊の堤防の高さに合わせ3メーター半ほどだったので、この高い小名浜の堤防では長さが全く足りず…

考えた結果、階段の下部にクーラーボックスを移動させそこに括りました。

ひと息つき、、この時点でもう小名浜のポテンシャルは立証されました!

横浜や川崎の沖堤のように、釣れたらすぐにポイントを横取りしに来る輩もいませんし、あとはこの小名浜のアイナメ釣りをゆっくりと楽しむだけです。

持参した祖母手作りのおにぎりを片手に、また同じポイントに落とし込んでいくと、またしても穂先が一気に絞り込まれました!

今度は先ほどよりも一回り大きなアイナメが水面に出現です!!

もう本当に意味が解りません…。

こんな堤防がこの日本にあったなんて、カルチャーショックもいいところ…

 

2002年7月 小名浜沖堤 第二西防2番 落とし込みでも良型シーバスが釣れた!この日は黒鯛も好調でしたチョキ

 

アイナメだけでは終わらない…

これ、、

余程潮が良かったのか?ではなく、小名浜の海が釣り雑誌の記事通り、単純に根魚パラダイスだったという事実なんですよね。

その後もクロソイやムラソイ、関東の海では見たこともないドンコなども外道で釣れ続きました。

帰りの道中を考えての13時迎船だったと記憶していますが、ほぼほぼ釣れ続き10個のストリンガーはビール瓶アイナメが満員御礼状態で、いったい何本入れ替えたことか…。

迎えの船を待つ間の満足感は、今まで味わったことがない特別なものでした。

しかし驚きはこれに止まらず、13時で上がる他の釣り人の釣果には度肝を抜かれました!

他の場所で投げ釣りをしていたおじさんの巨大なスカリの中には、それはもうお目に掛かったことがないような、巨大なマコガレイが何枚も入っていたのです!

しかも、自分が釣ったアイナメよりもさらに大きなアイナメも入っていました。

何度も書きますが、、

 

本当に意味が解りませんアセアセ

 

優しい船長とおばちゃん

港に着くとおばちゃんが出迎えてくれて、「たくさん釣れてよかったね~!」とニコニコニヤリ

興奮冷めやらぬ私の話を聞いてくれ、一緒に喜んでくれたのがとても嬉しかったです。

そして船長はというと、「このクーラーじゃ魚入んねーべ!?」と言うと「ちょっと待ってろ」と。

そして氷の入った大きな発泡スチロールをどこからともなく持ってきてくれましたキラキラ

氷は近くの漁協?だったかな??でタダでもらえるそうで、わざわざそれをもらいに行ってくれたのです。

それでも大きなアイナメは全部入りきらず、まだ生きていたので4尾だったかな?をリリースして6尾を持ち帰ることにしました。

 

あとがき

生まれて初めて訪れた福島県がいわき市でした。

東京から福島までは遥かに遠く、ナビも土地勘も全くない中で、深夜のバイク移動は正直心細かったハズですが、何よりもこの地で釣りがしたい!という情熱しかなかったのでしょうね。

あの日、あの本屋であの雑誌の記事を目にすることがなければ、栄一船長に巡り合うこともなく、亡くなったおじちゃんやおばちゃんにも会えなかったのです。

あの本屋とあの釣り雑誌には感謝ですねキラキラ

 

小名浜沖堤の広大な堤防は、私の釣り人生においては道場のような場所です。

フカセ釣り、落とし込み、前打ち、投げ釣り、ルアー釣り、サビキ釣りと…

四季を通じて釣れてくれる様々な魚たちに、色々と学ばせてもらったお陰で、今の釣技が身に着いたと思っております。

 

以前は極々普通に渡堤出来た沖の堤防たち、、

勿来、大津、日立、銚子、続々と渡船は廃止となってしまい、私が訪れた山形の加茂や鼠ヶ関も3月いっぱいで廃止となってしまいます。

そこには釣り人の責任だけでなく、複雑な問題があることは百も承知です。

 

いつかこの大好きな、、たくさんの感動を与えてくれた小名浜の沖堤防も渡堤出来なくなってしまうのでしょうか…。

1991年小名浜沖堤 第二西防8番にて、私は極貧だったので、当時付き合っていた彼女がプレゼントしてくれた、とても大切なGettのカッパです。

木更津沖堤を我が物顔で闊歩する、とあるクラブの名も知らぬ方々に、この服装を馬鹿にされた私ですがアセアセ 

小名浜の沖堤では私の服装をバカにする人なんて一人もいませんでした。

格好だけに捉われず、出会う人たち皆さんがとても温かく、そしてこんな立派な黒鯛たちもたくさん遊んでくれました!

思い返せば、この小名浜の海は本当に良い思い出ばかりです。

これからも、私が年老いて釣りに行けなくなるまで、、いや子孫たちの代々まで続いて欲しい。

そう願うばかりです。