今一度自分と向き合います。




「チュパチャップス」という単語を声にすると
なんだか語感が恥ずかしいな…と思う綾切です。


みなさん、こんにちは。



日本語ってね、
声に出すとなんだか
恥ずかしく感じる言葉もあれば、
人が涙を流すほどに感動する言葉もあるよね。



僕は芸能活動をしていく中で
嬉しい言葉を頂くこともあれば、
厳しい意見を頂くこともあります。

人の前で何かをする以上
それは当然ついてまわることですし、
僕はその全てを一生背負う覚悟が
出来ているのでいいのです。



そして、だからこそ考え、
思うことがあります。


"言葉"って大きいなぁ…


言葉は「薬」にもなるし「武器」にもなる。
「勇気」「希望」「絶望」「孤独」。
また、「気付き」を与えることもあれば
「人の人生をも変えること」があると。







『空気の中にいるから空気を意識しない
歩く時に足を意識しない』



これは 相田みつを さんの言葉です。

ごくごく普通のことを言っているのですが、
当たり前のようで当たり前ではない。



汚れた空気を吸わされて、
初めて空気を意識するかもしれません。

また、僕はバスケの試合で足を骨折し、
思うように歩けないことの不自由さを
痛感した経験もあります。



日々の生活の中で
僕たちが当たり前だと感じていることは
決して当たり前ではないのです。



…前置きが長くなりました。

何が言いたいかってね、
今日は我々が今こうして
目にしている"言葉"について。

言葉の力 について考えます。

僕はこの記事を書きながら、
今一度自分と向き合います。





おかげさんです!!

タイトルにも書きましたが、



『にんげんだもの』
出版30周年記念企画展



先日、この展示に行って参りました。



僕のおばあちゃんの家に行くと、
トイレの中の壁に
いつも相田みつをさんの
カレンダーが掛かっており、
そのイメージが強かったのですが、
改めて展示を見てみると
僕は今まで見ているようで
ちゃんと見ていなかったんだな~
と思いました。

なんかね、この独自の書体を
じーっと見つめていると
墨の擦れや伸びに相田みつをさんの
想いが詰まっている様に感じました。


相田みつをさんの字は
簡単に書けるようで書けないですね~


筆文字を書く人は
まず徹底的に基本を学ぶそうで、
その基本の上に初めて創作があります。


実際、相田みつをさんが
教科書の様な綺麗な字を
書かれている展示もありました。

古典の臨書など勉強され、
色々と基礎をマスターしたうえで
ご自分の創作をされて出来たのが
あの筆文字なんだと思うと深いです。


まるで、シンガーソングライターみたい。


「にんげんだもの」の7文字に
その全てがありました。



相田みつをさんの作品といえば、
見る人がそれぞれ自由に
言葉を受け止めることが
出来る特徴がありますよね。





自分が自分にならないで
だれが自分になる
あなたがあなたにならないで
だれがあなたになってくれる




七転八倒
つまづいたり
ころんだり
するほうが自然なんだな
にんげんだもの




弱きもの人間
欲ふかきもの にんげん
偽り多きもの にんげん
そして人間のわたし




花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根はみえねんだなぁ


目に見える花だけに心奪われないで、
土の中の根を育てる努力、
そのための土作りをしようと思う。





だれにだって あるんだよ
ひとにはいえない くるしみが

だれにだってあるんだよ
ひとにはいえない かなしみが

ただだまっている だけなんだよ
いえば ぐちに なるから





世の中は、
「平等」ではないかもしれない。
それでも…!

うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる




人間はねぇ
人から点数を
つけられるために
この世に生まれてきたのではないんだよ
にんげんがさき
点数は後




背のびする自分 卑下する自分
どっちもいやだけど どっちも自分




その時
自分ならば
どうする


"癒やしの書家"
相田みつをさんのような方に
ぴったりの表現ですが、
彼はそのような意識で書いていない。

それがわかるのが、
「その時自分ならばどうする」
という作品です。

文字が滲み、擦れしているけど、
やはり力強さを感じました。






人生において 最も大切な時
それはいつでも いまです




毎日少しずつ
それがなかなかできねんだなぁ





他人の物指し 自分のものさし
それぞれ寸法が ちがうんだな



僕の首は人の倍ほど
長いのでコンプレックスに
感じていた時期もありました。



しかし、ありがとう。
今でも僕の大切な体です。
それはこれからも変わりません。





父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうして数えてゆくと

十代前で、千二十四人
二十代前では―?
なんと百万人を超すんです

過去無量の
いのちのバトンを
受けついで
いま、ここに
自分の番を生きている

それがあなたのいのちです

それがわたしのいのちです


「自分の番」という作品です。
この文章の最後は
"それがあなたのいのちです"
とあって、
"それがわたしのいのちです"
で終わっています。

これは文法的に逆だったとしても
言葉の意味は変わりません。
しかし、それではお説教になってしまう。

あなたの と読む方に矢印を向けはするものの、
最後はわたしのと自分に矢印が戻ってくる。
他人へのメッセージという見方も出来るけど
自分への問いかけなのかもしれませんね。





あんなにしてやったのに
「のに」がつくと ぐちがでる


「のに」なんてグチをこぼさず
花はただ咲く。 だから、
純粋で美しいのだとわかった。




アノバチ コノバチ
思い当たる
バチがいっぱい
それでもまだ
天がわたしを
生かしてくれる





入力不力
りきんだらダメ たるんでもダメ
ちからをいれて りきまず
それがなかなかむずかしいんだよなぁ

オセロの格言みたいだと思いました。

僕は仕事の時いつも思うことがあります。
頑張らずに楽しもう。
でも、楽しむために頑張ろう。
これはある人の受け売りなのですが、
なるほどなぁと思ったので
自分に言い聞かせています。

いつも自分らしくあるために。





いくら多くの人に読まれても
ただ読まれるだけじゃ意味が無い
たった一人でいいから
その人のこころに深く届けば
それでいいんだよ






素晴らしい展示でした。
思わず目頭が熱くなった。


行って良かった。
このタイミングで
出逢えて良かった。




最後にショップコーナーで
色紙を買いました。





あとクリアファイルもね。





僕はまだまだ知らないことが
多すぎて失敗ばかりです。
でも諦めないでいようと思います。



いつも僕の味方でいてくれる、
応援して下さる全ての方に伝えたい。

「ありがとう!」


今の僕があるのは
あなたのおかげさまです。