人生のともしび!





本日9月16日はマッチの日と言われています。


1948年の9月16日に、
それまで配給制だったマッチの自由販売が
認められるようになったそうです。


最近ではライターやチャッカマンなど
便利な道具があることで、
マッチを使う機会というのは
なかなか出てこないかもしれませんね。



しかし、せっかくなので
ここでマッチについて
勉強をしてみたいと思います。



こちらの「マッチの世界」というWebサイト様を
参考にさせて頂いています。
(バーチャルミュージアムです。本当に興味深い!)





いざという時に知っておこう!


まずは、マッチの付け方です。
いや、そんな大袈裟なものではなく
ただマッチ棒を擦るだけの話ですが…





下から擦り上げるとマッチ棒が
折れてしまう可能性があるので、
上から下へと擦り下すのが正しいそうです。


こんなこと今まで誰も教えてくれなかった(笑)





マッチと兵庫県について!

実は、僕は兵庫県出身です。

そして意外に思うかもしれませんが、
兵庫県とマッチは深い関係にあります。




明治維新のあと、失業士族救済、
産業振興のため全国各地に
マッチ工場がつくられました。


兵庫県では姫路の就光社、
尼崎の慈恵社が設立されましたが、
明治10年~20年に起こった経済恐慌には
持ちこたえる事が出来ませんでした。


そのため職員がそれぞれ「独立」をし
神戸、大阪にマッチ工場をつくり、
特に日本を代表する貿易港である神戸港から
華僑の手によりマッチが輸出されるようになりました。


神戸で造船・鉄鋼・ゴム製品などの工業が発達すると
マッチ生産の中心が西へ移動し、
現在は姫路地域で国内の約80%を生産しています。





兵庫県の瀬戸内海地域の地場産業として発展した理由

1.日本を代表する神戸港に近く「原材料の輸入」「製品の輸出」に有利。
2.雨が少なく温暖な「瀬戸内海性気候」が乾燥工程の多いマッチの製造に適していた。
3.新しいものに取り組もうとする「播州人」の気質があった。
4.地域に工場が少なく、働きたい人が多かったので人を集めやすかった。





僕は播州生まれ、播州育ち。
怒ると播州弁が炸裂します(笑)


ちなみに、日本製のマッチは種類の豊富さ、
品質やサービスに優れている為、
世界各国からの広告マッチの受注が多いです。


現在日本マッチ生産量の2割は輸出向けで、
主にヨーロッパ、米国に輸出しています。








インド向け輸出マッチのラベル(大正時代)

日本でマッチを作るようになったのは
明治時代からで、大正時代になると、
ヨーロッパが第一次世界大戦中となったため、
マッチは日本の花形輸出商品になりました。





特に輸出量の多かった
インド向けマッチのラベルデザインは、
インド人貿易商がアートディレクター的立場を兼任して、
インド人の宗教、神話や趣味、嗜好に合うように仕立て、
日本人絵師の手により様々な柄のラベルが作り出されました。





コレクションしたくなる!?

インド向け輸出マッチ以外にも、
明治・大正・昭和時代の
日本製マッチラベルのデザインは、
レトロで可愛い物が沢山あります。


販売用の商標マッチ



僕の大好きなキリンもいる。
どれも渋くて格好良いですね。





宣伝・景品用の広告マッチ



色使いがまた良いですね。
部屋に飾ってるとそれだけで
お洒落なイメージを持つかもしれません。





【おまけ】



特注で作られた変わった形のマッチ箱です。
将棋の駒からマッチが出てきたらびっくりだよね。
どれもセンスがいいです! 素晴らしい!




■ 参考元
マッチの世界:http://www.match.or.jp/





最後にマッチ棒クイズを一問。

この問題が解けたら IQ100 は確実らしい。



頭の体操でございます。
良かったらチャレンジしてみて下さい!


このマッチ棒で作られた
1階建ての家を2階建ての家にするには
最低何本のマッチ棒を動かせばよいでしょう?



※正解は下部に記載しております。
 回答を見たくない方は画面を
 スクロールしないでくださいね!







いかがでしょうか?







ちょっと発想を変えてみるだけでも
沢山の発見がありますね。







物事を一つの視点から見るだけでなく、
色んな方向から見つめることが大切です。









それでは、正解の発表です!





正解は0本
視点を変えるだけで2階建てになります。




【動画はこちら】



なるほどなぁ~!
僕はメチャクチャ頑張って2本だ!
とか思ってた。(耐久性に問題あり)