芸術家の価値観




前回記事では、
日本を代表する伝統芸能の1つ、
人形浄瑠璃文楽について書きました。


大夫・三味線・人形が一体となり
人間を超えた表現へと繋がるのですが、
人形関連の話でNARUTOという漫画に
"赤砂のサソリ"と呼ばれる登場人物がいます。


今日はその赤砂のサソリについて。

※ ネタバレ含みます。ご注意を!



「NARUTO」は厳しい忍の世界をテーマにした
超人気漫画なのですが、
サソリは生まれ故郷である砂隠れの里を抜けた忍。
つまり抜け忍というわけです。

忍者の世界において、
己の流派である組織から脱することは
絶対に許されない行為です。
(忍びの部族は徹底的な秘密主義の為)

抜け忍を排除すべく追っ手が放たれるのですが、
サソリは砂隠れ所属当時において
「傀儡部隊の天才造形師」と謳われる程の実力を持った忍でした。
(通り名の「赤砂」も周囲の砂を赤い血で染めた事からきています)

刺客の手を逃れ、その後、行方不明に―――。


忍術、瞳術、体術など…
キャラクターの戦闘スタイルは様々ですが、
このサソリは「傀儡使い」です。

人形を操り武器とする術ですね。

「傀儡」の操作に集中しなければいけない為
術者は接近戦を苦手とし、
本体は物陰などに隠れて傀儡で戦うことが定石です。

し か し 、

作中でも傀儡使いは他にも登場するのですが、
このサソリはまた特殊な手法を用いて戦います。


先ほど挙げたように、
傀儡を使うデメリットとして、
"操作をする上での術者の隙"がありますが、
この弱点を補うために、
サソリは術者自身が中に入ることができる
「傀儡ヒルコ」を使用しています。



原作を読まれた方ならもうご存知ですね。
いかにも悪役だぜ~みたいな
鋭い目つきをしているこの人物こそサソリだ!
と思い込ませておいて…実はこれ人形なんです。


本物のサソリはこの中に潜む赤髪の美少年。



当時連載を読まれていた方も
きっと騙されたのではないでしょうか?
お前人形かよ! そしてフタを開ければ王子様。

なんて激しいギャップだ…。

僕はこの傀儡ヒルコの姿とアニメ版の低い声も好きだけど、
衝撃を受けたことは事実です。


ヒルコは硬い甲羅と長い尻尾のようなカラクリが特徴で、
基本的に傀儡師の仕込み武器には毒を塗っておくため
皮膚にかすりでもすれば致命傷となるのですが、
勿論このヒルコの仕込みにも全て猛毒が塗られているので、
攻守どちらにも優れています。

斬新な発想で素晴らしいと思ったし、
またサソリの強さはそれだけではありません。
対傀儡使い戦においてその圧倒的な知識で
相手の仕込みを全て見切ってしまいます。

そもそも"傀儡"を作ったのがサソリだった為、
仕込みの手順を熟知していたのですね。

(カンクロウの所有している3つの傀儡人形
「烏」「黒蟻」「山椒魚」を作ったのは彼である)



また、サソリは人間を傀儡に作り変えた
「人傀儡」を作れる唯一の人間でもあるのです。
殺してきた人間を人傀儡に作り変えて
コレクションにしています。(298体所持)

人傀儡の作品の中には
歴代風影最強を誇る三代目風影も含まれ、
生前の能力を宿したまま作られているので
これがまたメチャクチャ強い。


でも、それをもってしても
敵わない相手だった場合はどうするか?




ここが彼の最大の秘密でもあるのですが、



なんと自身の肉体も人傀儡へと作り変えていたのです。



傀儡使いの最終地点はきっとこうなるのでしょうね。



サソリ本体の容姿は砂隠れの里を抜けた
当時の15歳のままであり、赤髪に茶色の瞳の風貌です。

実年齢は35歳のはずなのに、
こんなに幼い姿のまま居られるのは
肉体の性質上、永遠に歳を取ることがないからです。

両肩には飛行と殺傷を兼ねたプロペラのような羽と、
腹部には毒が染み込み先端が尖ったロープが仕込まれています。

さらに、サソリ曰く、
傀儡使いは使える傀儡の数で
その者の能力が測ることができるそうなのですが、
(指先の糸で傀儡を操ります)
作中では最大でカンクロウが三体、
チヨバアが十体、サソリは百体の傀儡を同時に操っています。

なぜ登場する傀儡使いの中でも
サソリだけがこんなにも群を抜き、
圧倒的な数の傀儡を操作することが可能なのか?

それはやはり自分自身が人形であることにあります。

胸の穴から放出したチャクラの糸により
百体以上の傀儡を同時に操ることが出来るのです。

(本来なら人間の操れる傀儡の数は
チヨバアの十体、つまり指の数が限界だと考えられる)


う~ん。

とことん追求した結果だと言えますね。



人形浄瑠璃文楽の話から傀儡を極めた男の話になり
そしてまた内容が、ドンドンかけ離れてきて
しまいましたが…どうかお許し下さい。

僕はNARUTOの中でもサソリというキャラが好きなのです。



ついでに言うと、
このNARUTOではサソリのツーマンセルの相方に
「デイダラ」という、これまた芸術家気質の忍がいます。




サソリの世界観は「永く後々まで残ってゆく永久の美」を芸術とし、
朽ちることの無い傀儡が、後世の操演者に魂として
受け継がれることを望んでいました。

そして、このデイダラは相方サソリと
全く逆の芸術に対する価値観を持っています。

デイダラにとっての芸術は「儚く散りゆく一瞬の美」。
彼は「起爆粘土」を用いて戦う粘土造形師なのです。
物語の中で「芸術は爆発だ」という台詞もある。


デイダラの芸術 = 一瞬の美 (爆発)
サソリの芸術 = 永久の美 (傀儡コレクション)

価値観は違えど、
粘土造形師のデイダラと、傀儡造形師のサソリの
共通点である「芸術」という事から
2人は「芸術コンビ」と呼ばれています。


僕がこの芸術コンビを特に面白いなぁと思う理由に
極端な価値観を持つことが挙げられます。

サソリは傀儡を極めすぎて
とうとう自分の肉体すら永遠のモノにしました。

そして、デイダラは激闘の末、
自分自身を爆発、つまり自爆攻撃を仕掛け
"自分"という究極の芸術作品を作り上げたのです。
(爆発により作品は昇華する)


どちらが芸術として優れているかの議論は
色んな考えがあって当然だし
ここでは一先ず置いておいて…
僕はとても深い考えを持った2人だと思いました。


心理学で昇華というものを知り、
それ以来「昇華」ということについて
色々考えるきっかけを探してきていましたが、
爆発することによる昇華。
なるほどなぁ…その考えはなかったなぁ…と
関心してしまいましたね。




有名な古代ギリシアの彫刻に
「ミロのヴィーナス」という作品があります。
皆さんご存知の通り、この像には両腕がありません。

(像の女体描写が露骨なので、
ここでは写真を貼りません。悪しからずご了承ください)

しかし、この何かが欠けている状態こそ
素晴らしい状態であるとも考えられますよね。
美しいモノ、完成されたモノだけが芸術かといえば
そうではないという見解です。


デイダラの考える昇華は
美しい造形物を「無」のモノにする…この儚さ、
無になったモノや欠けたところにあるべき"何か"を
考えたとき、無意識に心の中で
「存在しうる至上のもの」することにありますが、

ミロのヴィーナスが芸術として素晴らしい理由の1つに
この両腕がないという、
そこに限定された答えがないことが考えられると思います。
ヴィーナスから行動を奪って、「なにゆえ存在しているのか」
という感覚を起こさせている気もします。


勿論このことは作者の意図ではなかったはずです。
ミロのヴィーナスは言わば時と自然が偶然、作り出した欠損。
全ての物事には意味があります。
これもきっと何らかの使命を持って誕生したのです。

"無限に生まれる答え"

なんだかデイダラの価値観と少し
共通しているように思いました。



そして、ここでサソリの話に戻します。
彼は相方と正反対な芸術的価値観を持っている…
しかし、この無限に生まれる答えというのは
サソリの理想とする考え、「永遠の美」にも当てはまると思う。
無限に生まれる答え、可能性は、
モノがそこに存在し得る限り常に付きまとうモノでもあるなぁと。


本質的なもので考えると
爆発してなくなる事と、常に存在し続けるという事は
全く違う意味のモノなのですが、
芸術的観点で考えると、目指しているところというか、
最終的な着地点が似てるな~って。


だからこそサソリ、デイダラの2人は
芸術コンビとして物語に引き寄せられたんだろうと思います。