遠野放浪記 2015.01.10.-08 星めぐりの歌 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

新花巻駅に到着し、時計を見る。まだ俺が乗る筈だったはまゆりは、矢巾と花巻の間をうろうろしていることだろう。

 

 

高架のホームから、釜石線の小さなホームを見下ろす。流石に此処まで来ると、雪は深くなって来た。

 

 

新幹線のホームは何だか無機質で、がらんとしているように感じる。それでも他の駅と比べて心が沸き立つのは、汽車に間に合った安堵か、それとも遠野に繋がる最後の乗り換えを迎えたからか。

 

 

 

未だ18時前、普段ならば夕食の支度にすら手を付けていない時間帯だ。そのような瞬間に、住んでいる街から遠く離れた雪の中にいるとは。

 

 

 

駅前はちょっとした観光名所として整備されていて、夜になると銀河鉄道をイメージしたアーチの模型が光り輝く。真っ暗な冬の闇に浮かぶ様子は、なかなか綺麗である。

 

 

広場には他にもいろいろと見どころがあるのだが、はまゆりの到着まであまり時間が無くなって来たので、釜石線のホームに向かうことにする。

 

 

 

釜石線のホームには薄暗い地下通路を通るということで、以前は何処となく陰気な感じだったのだが、壁面いっぱいに銀河鉄道をイメージしたイラストがあしらわれてから、逆に暗闇を抜けて星の中に向けて旅をしているような、ワクワクした気分が感じられるようになった。

 

 

新花巻駅のエスペラント語の愛称は、Stelaro=星座。という縁もあり、以前は何もなかったホームの壁面に、宮沢賢治の名作・星めぐりの歌の全文が散りばめられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩手県には宮沢さんの他に、石川啄木という不世出の歌人がいるが、石川さんは日常の有り触れた言葉を紡いで斯くも美しく切ない世界を生み出せるのか、という点に真髄がある。31文字の限られた世界に無限の奥行きを与えるという行為に於いて、個人的には歴史上全ての歌人の中で、石川さんに勝る歌人は存在しないと考えている。

対して、言葉そのものの美しさでは宮沢さんに勝る存在はあるまい。特にオノマトペの豊かさは「オノマトペ集」が単独で刊行される程に素晴らしく、日本語独特の表現とされるオノマトペを極めた存在ということは、即ち日本語を極めた存在だと言えるのかもしれない。いったい何処からその美しい言葉が紡ぎ出されて来るのか、同じ人間として信じ難い思いですらある。

宮沢さんと石川さんと、生きたジャンルが微妙に異なるので比較出来る存在ではないが、共に岩手県が生んだ文学界の至宝である。特に、宮沢さんの出身地である花巻近辺では、彼の足跡に豊富に触れることが出来る。