パワーストーンはただの石。

パワーストーンを買うならアレキサンドライトなどの売っても価値のあるものにする。


最近スピは良くないという動画を見ているのですが、その中でパワーストーンブレスレットを着けてしまうと、それを外すと不安になるというのを知ってしまい、たしかにそうだなと思いました。


僕もだいぶ前に効果があるチョーカーみたいなものを買ったことがあります。


結果、効果はなく買った値段よりあきらかに安いぼったくりと分かる品質で、1年もたたず壊れてしまいました。


今は浄化に使うなら、塩や酒、ホワイトセージや炭(黒炭と白炭で使い方は違ってくる)で足りる気がすると考えていて、


あとは掃除をする、

湿気をためない、

換気をする、

よどまないように空気を動かすことを意識する、

日当たりが良くないので昼間でも電気をつける、

午前中の日光に当たるようにするなど意識するようにしています。


あとできれば、寝るときは真っ暗にする、

携帯の電源は切る、できない時はなるべく遠くに置く のもできると良いなと思っています。


霊能力はあると思っていますが、スピ系を漁っている中で思うようになった事がある。


その霊能力がどういったものかわからないので、どんなにすごいと言われている人でも基本的に受け付けないようにすること。


なぜなら、その霊能力者から出ているものが何か分からないから。


真っ黒いものが出ているかもしれないし、動物霊に憑かれている人かもしれないし、何か良くないものが出ているかもしれないから。


それが自分に来たら祓えないから。


それと、自分の中に入れたくないから、逆に調子を崩したら嫌だから。


仮に師匠と呼ばれる人がいて、その人は自分を守れていても、弟子の人は守れず何かに憑かれているから。


師匠のひとも自分を守れていても自分についているものを祓えついないから受けたくない。


また、霊能力があると言って植物を枯らしている人がいたとしたら避けます。植物には意思があることが証明されているので殺生になるからです。


それを何本も枯らせたとしたら、自然破壊にもなります。


植物から気を取れるとすると、陰性だと知ったので取りたくないなと思いました。


あと風水も良くないものが使われていると知り、それを信じることにしたのでやめました。


宗教は、翻訳される前のもの、あとの人が書き加えていないものなら信じられるかなと。


仏教はお釈迦様が話したものを、聞いた人達がまとめたものらしいです。なので、あとの人達が加えてしまうと、まったく違うものになってしまいます。


混ぜる必要がない理由として、弟子の人たちはお釈迦様の言葉からだけで向上していったからです。


そして、向上した人たちはお釈迦様の言葉に自分の言葉を足したり、逆に引いたりしていないと思うからです。


日本で有名な禅宗の達磨大師も、お釈迦様の弟子とされています。達磨大師もお釈迦様の言葉から向上し、禅宗を創立していることを知りました。


しかし、達磨大師はお釈迦様の境地まで行けなかったため、達磨大師の弟子たちは6代までは伝えられるが、その後はもう無理だと、達磨大師は言っていたそうです。


なので今の禅宗では、何かを聞いても棒喝をされるだけだそうです。


今の禅宗はお釈迦様ではなく、阿弥陀仏の経文を読んでいるそうです。


あとは、有名な人で空海さんがいます、密教の人ですが飲食店で言う「のれん分け」を受けていないかもしれない事を知りました。


あなたを正式に密教の人と認めます、と言われていないかも知れないんです。


お釈迦様は、釈迦牟尼(しゃかむに)や釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)とも呼ばれます。


お釈迦様生きていた頃は、お釈迦様が説法をしてみんなで座禅(ざぜん)をしたそうです。そして、修行のために働いてはいなかったので托鉢、こじきをしました。


お釈迦様はこういう修行の方法をとったそうです。


今だと小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)がお釈迦様の服装、戒律、規律を守っているそうです。


今の大乗仏教(だいじょうぶっきょう)はお釈迦様だけでなくほかの仏様も信仰しているため、お釈迦様の仏教とは言えないそうです。


僕もそうだと思います。


達磨大師の有名な話に面壁九年(めんぺきくねん)の話があります。


石の上に9年間ずっと座禅していたのでその後が残っているそうです。その後に悟りを開いたそうなので座禅って大事なんですね。


逆に座禅がなかったら悟りはなかったことをしりました、読経もいいですがお釈迦様の当時の弟子の人たちは必ず座禅をしていたと想像できます。


なぜなら、お釈迦様が説法をした後にみんなで座禅をしていたからです。


最近知ったことでやっと、あぐらと座禅の違いがわかりました。


あぐらは誰もが普段やっているアレです。


座禅は形は似てますけど足を太ももの上に乗せます、両方とも。無理なら片方だけ。僕はたまにやるとき片方がほとんどです。


座禅の不思議なところは体が柔らかくてもずっとしてると痛くなったりします。僕は体硬いですけど、体の柔らかい人が座禅してて足の裏が紫になってました。


長く正座した後みたいに足がしびれたそうですが、それを我慢して続けないと意味がなく効果がないそうです。


あと足の組み方が男性と女性で違っていて、男性は左足が先で、女性は右足から先に太ももに乗せます。足を乗せる場所はざっくり書いているだけなので人によって違います。


これを読んでいる方は知っていることですが、


僕が知った範囲で昔に良いとされていたのは、儒教、道教、仏教、カトリック教、キリスト教、ユダヤ教 辺りかなと。


ヒンズー教は仏教とバラモン教が混ざったものなので違うかなと。


しかし、今日本にある物は信じることは保留中です。


神様、仏様はいるのか?はいると思っています。お釈迦様は実在していたからです。


お釈迦様と同じレベルの存在は、個人的に知っている範囲だとイエス・キリスト、老子などです。


また、それぞれの宗教で似たようなことを言っていても混ぜてはいけないことを知りました。

なので他の宗教とくらべる意味がないとわかりました。


その教えに沿っていくことで、その神様、仏様に近づく事ができると。


あとは、神様、仏様の見た目をしていても、後光がさしていても、違うものである場合があるのを知りました。


勘違いしていた事で、あなたの中に神様がいる、仏様がいるというのを私は仏や神様なんだと思っていたことです。


個人的な感想として、

実際は心を修(おさ)めないと、その境地にはいけないと言うことだったと知りました。


たしかに、すでに神様や仏様なら間違えないし、悪いこともしないし、喧嘩や考えの中でさえ文句や不平不満を言わないよなーと思いました。


前に神韻という古典のダンスとオーケストラを合わせたステージを見てインスピレーションを得ました。