コンディションを保つため、休日に可能な

限り行う『ジョーカー散歩』

走り出す前の暖気運転時に、赤紫ジョーカ
ーの座席に裂けた部分を見つけてしまう驚き

まぁ、非常に小さな亀裂なので言わなきゃ
気付かないレベルだから、今すぐ無理に取
り換えることもない・・・

ただ、『(50cc専用の)シングルシートのス
トックってあったっけ?』と考えだすと気
になりはじめ、確認する為に母屋にある部
品部屋(子供時代の僕の部屋だった所(笑))へ。


戸を開けるとそこは・・・


お宝溢れるパラダイス~キラキラキラキラ


・・・ではなく、

ちっとも整理整頓が出来てない所謂、

ゴミ屋敷もやもや・・・驚きガーン
のような光景が広がっている(笑)

ま、まぁ~アセアセそんな状況ではあるが、
シートは他のパーツ群よりも目立つから、
埋もれたゴミお宝の山からすぐに見付かっ
た。(※もう、辺り一面ぐちゃぐちゃなので
発掘したシートの画像は貼りません予防)


あることは分かったので満足して部屋を出
ようとした・・・が、

そこでちょっと懐かしいものが視界に入った。
高校の頃、
美術の時間に拵えた木製の『パズル』だ。


薄っぺらなビニール袋に入れて長年放置し
ていたが、出してみると殆んど痛みがなか
った。

久しぶりなのでピースバラバラにしてやっ
てみることに(笑)

台座には
【'72(年式)ケン&メリースカイライン】と
書いている。
モザイクの所には縦書きで
『学年』『組』『出席番号』『氏名』を
書いていた←(それも汚い字でね煽り)


早速、始めてみる。
だんだんと・・・
ピースが嵌まっていくと・・・
197台しか製造されなかった幻のC110型
スカイラインGT-R(通称:ケンメリGT-R)が
姿を現す。
(勉強はしなかったが、美術の時間は好きで
これも一生懸命、彫刻刀で浮き彫りにして
糸ノコで切って、最後に色塗って、ってや
ったっけなぁ~(しみじみ大あくび))


1972年9月~1973年1月という僅かな期間
197台(生産台数は諸説あり)のみ製造された
と言われているケンメリGT-Rは、オイルシ
ョックの煽りを受け、先代のC10型スカイ
ライン(通称:ハコスカ)GT-Rのようにレー
スで活躍するという使命を奪われてしまっ
たことから【悲劇のGT-R】と言われ、その
希少性と前述のエピソードなどもあってか、
いつしかケンメリRはクルマ好きの間で神
格化され、このパズルを作っていた1989年
当時でもかなりの高値で取引され、
発売から16年も経っていたのに中古車価格
が普通のグレード(GTやGT-X)よりも一桁違
う500~600万円くらいで取引されていた・
・・。

まぁ、そんなこんなで写真でしか見たこと
もないケンメリGT-Rに高校生だった僕は憧
れ『いつか必ず手に入れてやる!』と強く
思っていたこともあって、こうして美術の
時間に題材が自由だったりすると、とにか
くケンメリをはじめとしたクルマの絵を描
いたり、こうした工作に励んでは想いを馳
せていたのであった。 

あれから月日が経った現在、ケンメリRは
その価格が数千万円もするまでになった。

昔を思うと
ケンメリは随分出世したもんだと思う。

僕はというと、その後ビートと出会って
軽量コンパクトなクルマに興味が移ってし
まい、ビートと出会ってからはケンメリを
始めとしたスカイライン熱も下がってしま
った・・・。

一時、こんなことなら『借金してでも手に
入れておけば・・・』などと、何度か思っ
たことがあったが、しがないサラリーマン
では買ったとしても、その後の維持費で破
産してたか、金のことで家族との関係が破
綻していたのではないかと思う。

そんなケンメリに比べ、
ビートは大した値上がりもせず、故障して
も少ない費用で未だに修理できるし、
パーツもまだモノによっては新品が出る。

また、ジョーカーたちも同様で原付だから
同じく維持費は大してかからないから、
少ない小遣いで大いに楽しめるし、
金で迷惑をかけないから家族からの苦情も
全く出ない。


・・・と言うことで、

今居る相棒たちと過ごす日々は
つくづく自分の身の丈に合っているんだ
と思う。

仕事は辛いし、悩みもあるから日々の生活
で笑ってばかりという訳でもない。

でも、理解ある妻や子供たち両親とともに
別に不自由なこともなく暮らしながら、
金をかけずに趣味にも没頭できる・・・

まぁそりゃ、今よりも金が沢山あるに越し
たことが無いとは思うけど・・・

かと言って、
余るほどの金が有っても今のこの幸せは買
えない気がする。


誰も困らせることなく、悲しませもせず、
楽しめる・・・
生活とバランスの取れた趣味とはそういう
ものだろうと思う・・・。