ちょっと今日は自分の話になります。
いろいろ振り返り
それには、それなりの、理由もあり
寂しい気持ちもあり
あまり思わないように
考えないように
していたことなのですが反省することもありまして


昨夜遅く、昔の知人の発表会のDVDを見ていたら客席が映った一瞬、仙台の父とその隣に母の2人の後頭部がほんの少しだけ見えました。
時々寂しい時には、娘たちが撮った父の肉声が入った母と会話している生前の父の姿を映した動画を覗いたりするのですが、昨夜はたまたま見つけてしまったので〜
その姿を見た時、いろいろと思うところがありました。
本当に昔のこととなります

かれこれ13〜14年前から、私は、コンクールの担当指導をしていて、いろんなことを経験し、吸収し学んできました。
私の指導している生徒の状態、客席から見た雰囲気、そしてその結果
父は、私が担当している生徒のコンクールには、ほとんど必ずと言っていいくらい仙台からわざわざ見にきてくれました。他の子との差を見たいからと始発の新幹線で会場入り、そう
出場する生徒や私よりも早くに来て客席でエントリーNo.1から最後まで見ていくのです。プログラムにチェックを入れながら〜

終わった後に父に会うと
「お前の生徒を少し贔屓目で見てしまうから、なるべくそうしないようにしてるんだけどな…」と言って、見せてくれたプログラムには、びっしりと
どこかの教室の上手な生徒さんをチェック、コメントや二重丸◎が書かれていたりしました。

結果発表の時には、まるで答え合わせをするかのようにチェックした自分の予想と照らし合わせてて…
私よりもずっとずっと研究熱心。
いつも上位に入ってくる私の担当していた生徒はもちろんのこと、そうではなくまだまだ、これから〜という生徒に対しても父はわざわざ仙台から新幹線に乗って応援と研究に駆けつけてくれました。
そんな中、一度、父に叱られたことがあり
「今日はわざわざ仙台から来てくれたけど、きっと賞には入らないよ〜」と言うと
「賞に入る入らないじゃない!お前がどれだけ生徒を一生懸命見ているかを見に来てるんだよ」と怒られました。
私としては、父だって仕事もあり、忙しい中わざわざ仙台から〜という気持ちいっぱいで
言った言葉でしたが、バレエ講師である私、教えている私、一生懸命に見ている私、頑張る姿を
そう
その姿を見に来てくれていたんだと

それからは、私は自分ももっともっと研究しなくては〜と自分の生徒が出ていないコンクールでも会場に足を運んでは客席からどう見えるのか、上手い下手に関わらず、いろんなことを実際に目で見て学ぶことに費やしました。
そんな父も当時、別な教室に通っていた孫の花恋のコンクールとなると
なぜか「行けるかどうか分からない〜」と言っては、こっそりと
結局は会場に来てくれているのですが

一番思い出に残っているのは、場当たりタイムの時、何気にふと客席を見ると1人、なぜか新聞紙を広げて隠れてるような人がいるのです。
いくら、場当たりタイムの休憩時とはいえ、なぜ?誰?あれ?ん?もしや
いやいや
ある意味目立つよ




近づくと、見つかったか、、、という顔をして
「まぁ〜孫のも見てやるかと思ってな」なんて照れ隠しを言いながら
この時には、私が担当しているというわけではないからか、花恋が踊り終わると最後まで全部見るということではなく、わりと早めにロビーに出てきて「時間が合うようならご飯でも食べてから帰ろう〜」と、当時の先生に挨拶した後、コンクール会場の最寄の駅前で何か食べ、日帰りで仙台に帰って行きました。
※当時、綺咲はバレエをあまりしていなかったので父は水泳大会などを見に来てくれました。
ちなみに花恋は、比較的、関東でのコンクールに出場しているのですが
初コンクールは、仙台で行われている『伊達バレエコンペティション』プリコンペティション部門からのスタート

その時には父も母も会場に応援に来てくれています!!←母はその時と今もあまり変わっておらず歳を取らない人で驚きですよね

教えている、担当している自分の生徒だけを袖から見るのではなく
客席から見た時に
上手な子は上手だし、綺麗な子は綺麗、なら、何がどう他の子とは違うのか

出来るだけ偏らず、贔屓目でものを見ず、応援だけではなく、研究しながら冷静に何が足りないのか、何が勝っているのか
指導者たるものしっかり見極められるように〜と
そんなことを父に学んだと思うのです。
でも、孫も大きくなりT.A.バレエ立ち上げてからは父の身体のこともあり
もう客席で父の姿を見つけ
「あれ?行けるか行けないか分からない〜とか言ってたのに〜やっぱり来てたの?」
と、父のチェックしてあるプログラムを覗いて
「あっ!そんなこと言ってエントリーNo.1から見てるんじゃない」
なんてことはなくなり、寂しさとともに
いつしか自分は、自分の生徒が出ていなければ
研究熱心にそのコンクール会場へ足を運んで客席からエントリーNo.1から〜ずっと見ることなど出来なくなっていました。
もちろん、生徒が出ているコンクール時には、始まる前に何曲か、終わった後少しだけ客席で他の他所の生徒さんを見たり〜はしますが、T.A.バレエの生徒が出ている場合は、何かとバタバタと楽屋でやっているので、なかなか長時間見ることは出来ませんでした。
いつだったか、癖なのでしょうね
花恋や綺咲、百音ちゃんなど上級生が出ている時には「私たちだけで出来るので友魅先生は客席で〜」という機会があったのですが
自然とね



客席をふと探してしまう自分がいました。
まだ、その頃は父も仕事と治療を同時に両立したいので、探してしまう自分の癖を言ってしまったら、父はきっと無理してでもコンクール会場へ来てしまうような人でしたから
ずっと今日の日まで、今の今まで胸にそっとしまっていました。けれと、昨夜のDVDの客席に一瞬映った姿を見たとき
いや
違うだろっ、そうじゃない。

今は、きっと父はコンクールの度に見ている。
思う存分、他の部門もエントリーNo.1〜もしかしたら全部門を
「お前は初心を忘れてるぞ
」と、天国から言われたような気がしました。

たしかに、バレエはその時その時のちょっとしたブームもあります。流行りのヴァリエーションもあるし、踊り方の流行りだって、時代によって変化があるように
大袈裟に言うと
1710年〜マリー.カマルゴから約100年後
1804年〜マリー.タリオニーから約80年後
1881年〜アンナ.パブロワ
1919年〜マーゴット.フォンティーン
1920年〜アリシア.アロンソ
1925年〜マヤ.プリセツカヤ・・・
偉大なバレリーナたちの姿が残っている古い絵画や画像、映像を見比べて見ると
今とはまた、全然違うものであり、伝統を大切にも時代時代によってスタイル体型の変化、文化の変化、環境の変化もある。
それは、大きく分けると分かりやすく、長い年月で変わったものが一目で分かることもあるけれど
いいえ
たった、数年でも極端に言ったら数ヶ月でも変わったりもするのだから〜

もう一度、気持ち新たに
初心忘るべからず〜客席からたくさん見て研究し
父に頑張る姿を見せなくてはならないなと
反省と共に感謝を

本日より3月末〜春のコンクールに向けて
また、頑張っていきましょう!!
そして、コンクール開催時は、私だけではなくこれからは、なるべく、生徒たちにもお勉強兼ねて客席で目を養うように他の子のヴァリエーションを見て研究していこうね〜と思います。
長文、読まれた方、長い時間私の話にお付き合いくださいまして
ありがとうございます

T.A.バレエは、高田馬場にある
クラシックバレエ教室です

詳しくはホームページで