©毎日新聞
私の「海岸物語」はぼちぼち終わりにして、今日は特別編を。
前回、ライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー」の跡地を訪問した。ここまで行くと当然押さえておかなければならない場所がある。そう、「ジュリアナ東京」だ。
バブル時代の象徴とまで言われたディスコで、扇子を振り回してお立ち台で狂喜乱舞するワンレンボディコンのギャルたちで有名だった。これがインクと同じく芝浦にあったのは決して偶然ではない。
©サンスポ
残念ながら、私は行ったことがない。そのせいか、最近までジュリアナが芝浦にあったのを忘れていた。マハラジャ(麻布十番)やトゥーリア(六本木)と同じく、都心にあると思い込んでいた。倉庫街にあったのだから都心のわけがない。
エントランス部分は今も残っていて、駐車場となっている。ジュリアナの看板の名残りらしきものが確認できる。後方のビルにはボウリング場やオフィススペースが。
エントランス部分2階はこんな感じ。この上が屋上で、同じく駐車場(不法侵入してしまいました。申し訳ありません)。
駐車場には管理人さんがいた。
ピンが立っている場所がジュリアナ残滓の所在地。ここから地図上で右に進むとインク芝浦の跡地にたどり着く(東海海運のすぐ下)。このさらに右側、運河の向こうには人気ディスコ「GOLD」があった。
インク跡地から見たGOLD跡地(中央のマンションがある場所)。
©Club&Discoミュージアム
今でいう「クラブ」のはしりとされる。ここは住所上は海岸3丁目だが、「GOLD芝浦」と呼ばれた。
©TAU Co., Ltd.
営業時期を時系列で見ると、以下のようになる。
インク 1986年12月-1989年12月
GOLD 1989年11月-1995年7月
ジュリアナ 1991年5月-1994年8月
インクはまさにバブル真っ只中に営業していた。GOLDは序盤がバブル期。ジュリアナはバブルの象徴のように言われるが、今から見ればバブル崩壊後に開業していたことになる。インクの成功に触発されてGOLDが生まれ、敷居が高いとされたGOLDに対抗する格好でジュリアナが生まれた。港区芝浦~海岸の元倉庫を利用したライブハウス・ディスコ文化が隆盛を誇ったのがこの時期だった。
GOLD跡地にあるマンション玄関口。ここも当時の面影はない。