忘れっぽいので、記憶に残しておきたいことをここにまとめておこうかなと思います。

 まず発端は今日のこニュースから・・・

<トルコ航空>日本人救出の元機長が死去、87歳

毎日新聞 3月1日(金)22時51分配信

<トルコ航空>日本人救出の元機長が死去、87歳

トルコ軍艦遭難慰霊碑を訪れて献花したオルハン・スヨルジュ元トルコ航空機長(左から2人目)=2011年3月27日、山本芳博撮影


イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。トルコと親交のある和歌山県が1日、発表した。在イスタンブール日本総領事館によると、病死とみられる。

 イラクがテヘラン空爆を開始した際、日本の航空機が就航しておらず、脱出のために空港に押し寄せた在留日本人が孤立。トルコ政府が救出のため特別機2機を派遣した。スヨルジュさんはこのうち1機の機長。その功績で06年、旭日小綬章を受章した。【岸本桂司】
 


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130301-00000123-mai-m_est


この記事に関連した記事を色々読んでいって・・・

講演:戦時中トルコが助け船 「恩返しの救出」体験語る 元日産自動車社員・沼田さん、大島小で /和歌山

毎日新聞 2013年01月24日 地方版

 ◇遭難軍艦、友好の歴史

日本とトルコの友好の歴史を学んでいる串本町須江の町立大島小学校で23日、28年前のイラン・イラク戦争時に滞在先のイランからトルコ航空機で救出された元日産自動車社員の沼田準一さん(70)=東京都羽村市=が子どもたちに講演  した。同町の紀伊大島沖で1890年に遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」から町民が乗組員69人を救助したことが両国友好の原点となっており、アルジェリアの人質事件が起きる中、沼田さんは「トルコ政府は、大島の先人が軍艦乗組員を救助した恩返しに自分たちの命を助けてくれた」と語り、地道な国際交流の大切さを訴えた。

 同小の児童らは毎年11月、島にある軍艦遭難慰霊碑を地域住民と一緒に清掃したり、遭難者の追悼式典で追悼歌を披露したりしている。一昨年と昨年には、トルコの人たちに助けられた沼田さんに救出当時の心境などをメールで質問し、今回の訪問が実現した。

 イラン・イラク戦争当時、沼田さんは日産自動車の海外技術協力部員として、部下4人を連れてイランの首都テヘランに居住していた。

 沼田さんによると、当時のイラクのサダム・フセイン大統領は1985年3月17日、イラン上空の封鎖を宣言し、「48時間後、イラン領空を飛ぶ航空機は安全の保証はない」と通告。翌18日、日本政府から「航空機の安全の保証がなく、救援機は飛ばせない」との連絡は入った。欧州各国は自国民の救出に精いっぱい。「国に見捨てられた」と絶望した。

 しかし、19日未明、「トルコ航空が日本人のために救援機を飛ばす」と連絡が入り、跳び上がって喜んだ。ただ、軍艦遭難の歴史を知らず、「なぜトルコが助けてくれるのか」と信じられなかった。結局、日本人215人はトルコ航空機によってトルコに逃れた。

 沼田さんは子どもたちに「軍艦沈没の時に大島の人が命懸けで助けたので、トルコ人が私たちを助けることにつながった。清掃活動などで友好を続けている皆さん、ありがとう」と頭を下げた。

 講演  には、町立大島中学校の生徒も参加した。同中2年の生徒会長、中村幸紀さん(14)は「貴重な体験を話してもらった」と話した。【山本芳博】


http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20130124ddlk30040372000c.html





講演:串本町長、日本とトルコ友好の礎「先人の偉業後世に」--和歌山城南RC /和歌山

毎日新聞 2013年02月15日 地方版


国際ロータリー第2640地区のインターシティミーティング(担当・和歌山城南ロータリークラブ)がこのほど和歌山市手平2の和歌山ビッグ愛で開かれ、田嶋勝正・串本町長が「日本・トルコ友好の礎~先人の偉業を後世に伝えるために」と題して講演  した。

 1890年9月16日、トルコ軍艦エルトゥールル号が串本町大島の沖合で座礁沈没。乗組員618人が夜の荒海に投げ出された。地元住民は生存者69人を救出し、献身的に世話をした。

 田嶋町長は「帰国した69人は心温まる日本での救出劇を語り継ぎ、小学校の教科書にも載せている」と紹介。イラン・イラク戦争さなかの85年3月、トルコが救援機を飛ばしてイランに滞在していた日本人を救出してくれたことに触れ、「トルコのオザル首相は記者の質問に『95年前、日本がトルコ人を助けてくれた。だから当たり前のことだ』と答えた。『エルトゥールル』の物語を後世に伝えたいという思いから、今秋映画の撮影が始まるが、日本とトルコ両国民が発する平和のメッセージでもある」と話した。


http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20130215ddlk30040424000c.html


エルトゥールル号遭難事件


救難活動

樫野埼灯台樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が数十メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせ、灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おき しゅう)に伝えられ、沖は神戸港の外国領事館に援助を求めて生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに、県を通じて日本政府に通報した。知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示した。各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられた。


ウィキペディアより


1890年とは明治23年。

 

今から123年前におこった船の遭難。

 

和歌山県串本町に住む方々の人をいたわる無償の気持ちが100年以上たっても忘れられていないことに感動しました。



串本町のHPより

http://www.town.kushimoto.wakayama.jp/intro/kokusai/turkey.html


和歌山県HPより

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi/web/nagomi05/travel/index.html