今回のcovit-19について、考察したことがあるため、その情報共有のため以下に述べようと思います。

今は、ワクチン反対派と賛成派に分かれている昨今ですが、元をたどれば、ヒューマンエラーの発生と人為的ミスによってアウトブレイクしたウイルスの台風が原因でもあります。しかし、今は、それらの聲を消し去るかのように台風は巨大化し回ります。

 

5年経った今も、次々と新しいウイルスが生じてきている、そしてそれに対抗するには自然免疫では絶望的である、という考えのもと実践されたのが、このmRNA製剤であると考えています。

 

しかし、この製剤も、想定外の事象であり、想定した訓練を為すことができなかった武漢、またアウトブレイクを制圧することで調整していたWHO、またはCDCなどの防疫機関もまた、想定していなかったため、mRNA製剤の研究が遅れ、この製剤の副反応などの重篤なエラーを齎してしまったと考えられます。ヒューマンエラーの二重構造だとも云えるのです。かつての、そして今の福島原発と同じ状態である、とも云えます。

もしかしたら、以下の映画のような状況が、ブカン、あるいは中国本土で起こっているのかもしれません。

 

 

ウイルスは変異ではなく新たにやってきては波を齎しています。その種類のアウトブレイクは絶望的である、と。
そしてこのワクチンを打つしか方法はなく、しかし副反応による後遺症、死者は存在すると考えています。私はこう考えています。「打つしか方法はない、けれども”打った体”と”打たない体”個々人反応が違うのだから、体を分ける以外に、どれがどの副反応だったのか知りようがない」つまり、「検証しようがない」ということです。それが厚労省の評定不能に現れているのかもしれません。つまり、私たちはn=1ではなくn=0.5になってしまった。並行世界を作って、”打った体”と”打たない体”を想定して検証する以外に科学的評定をする手立てはない。ここで云えるのは、統計学と量子力学を組合わせる数式を作り上げるしか人類が進む方向の道筋は出来上がらない、ということです。

そして、恐らくは、このmRNA製剤は「宇宙人が齎したもの」である、という推測が可能です。なぜならば、この研究は”開発”ではなく”調査”であるとリードできるからです。
宇宙人から1つの塩基配列を渡され、また、製造方法もまた教わり、その塩基配列から多くの研究者が世界各国で調査に乗り出したのでしょう。しかし、その安全方法も、機序もまた分からなかった。ラットの実験段階で寿命が縮んだように見える現象しか観察できなかった。そう推測できるのです。そして頓挫し、しかし諦めずに研究した企業が集結して技術をより強固にしたものの、副反応については調査できず、そのまま2019年のアウトブレイクに間に合うことができず、中途半端な段階で製品化したものであるのではないかと推測しています。

結論としては、まだ人間はパソコンやWWWを通じてウイルスや遺伝子を伝播したり、他者遺伝子に伝達し形成するか、といった段階へとはまだ来ていないということが考えられる。けれども、これまでのPiの進化を見てきたように、もしかしたら最終生産物質は画面を経由していつかウイルスや遺伝子の電波を可能にするのかもしれないと思う。または、既にその段階は通り過ぎており、私たちはまだそれを説明できる段階ではない過渡期であるのだろう、とも思える。

ほとんどの私たちは、スマホやパソコンを通し、画面を見て、相手のアクセス数を感じるたび、管理者は無限を見る。そわそわし、なんだかこそばゆいような喜びを感じるのである。人によっては「もと数字をあげたい」と感じたり「お金に変換したい」と感じる人まで出てくる。無限の無限を私たちは感じているのだろうか。そのことを0.0x秒前の自分はすでに「理解」しており、粒子崩壊と同時に生じる無限の無限を支配して喜んでいるのだろうか?
私たちは眠っているときは、同じトキを過ごしている。起きているときは画面を見て粒子崩壊を楽しんでいる。無限を感じ喜んでいる。

 

 

 


このときの私の推論――つまり、素粒子崩壊を私たちが”望んでいるかもしれない”という可能性に基づいて、私たちは私たち1人1人に粒子崩壊による毒で死んでしまう猫であると同じように、またはシュレーディンガーの猫のように、お亡くなりになるのではないかと懸念を抱いています。

著名人の訃報や身の回りの訃報を聴く中、私は、順番なのかなあと思い、いつ順番が来るのだろう、と、不安で「死ぬのは怖い」と思うことが増えました。肺炎になるのか、それとも意識が飛んで安らかに眠れるのか、後者であったらいいなあと思いますが、心血管系の持病家系なので肺炎になるかもしれません。けれども、私は先に、素粒子崩壊によって毒を浴び死ぬかもしれない確率のほうが高くなっていることでしょう。
 

 

また、この製剤が第1回目に打たれる段階において、私たちが、市民が最も恐怖したのが「遠隔的な人殺しにはなりたくない」からでした。触ったことや呼気が原因で相手に感染し、死ぬかもしれない。人殺しだと罵られるかもしれない。それに対して恐怖したことにより、公衆衛生が惹起され、マスクや手指消毒、うがい、人によっては手袋を励行するに至りました。5年経つ今は、私個人の感想としては、「もう習慣の1部になっている」ので、また「ウイルスの蔓延の波も生活の一部になっている」ので、マスクは、政府が「しなくていい」というまで励行し続けることになるだろうとは思っています。
私たちは、もう”呪い合って”はいけない。その望みは”叶ってしまう”からです。少なくとも、恐らくは、このmRNA製剤を打っていれば”呪い”は無くなる。人殺しではなくなる。

「呪いは光回線を貫通する」――これが、私が得た結論です。
私たちは観測に弱くなった。光が認識で捻じ曲がるように。