フェイクニュース、フェイク動画、フェイク画像、フェイクグラフ、フェイク統計……私はこれらを以前から考えていて、ずっと「ひっかかりたくないなあ」と思ってきました。議論を提唱する方がたの中には、これに引っかかって”騙されている”方を私はいくつか拝見してきました。いわば「洗脳されている」のと同じだと言い換えられます。
「じゃあなにを信じたらいいんだよ」というかもしれません。以前この下記のように述べたことがあります。
コロナ禍から、人間すべてに対する情報戦となり、私も素人ながらその情報を観てきました。そして感じたのは、その情報が真であるか偽であるか、の精査をせず、ただ情報を信じ込んでいる方が多いことを理解しました。例えば、とあるグラフがあります、とあるグラフは真であるので、その真なる情報から読み取れるのは――という考え方が誤りであるかもしれない、ということです。つまり、この時点で、情報戦の勝者にはまだ遠い道のりが出来上がることになります。一度立ち止まって、直観の示すままに行く先を変えてもいいのだと私は思います。私個人は、マイケル・イェードン氏、またロバート・W・マローン氏、といった、超専門家でありながらwikipediaにデマを流したなどと書かれている方、または日本では荒川先生の、良心とキャリアを信じて、その情報を”真”であるとみています。この場合、”真である”と”仮定する”が第1段階です。第2段階は、そこから飛躍して直観的に考えることです。「そんなもの役に立たない」という考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、人間の嗅覚や警戒心、直観は案外馬鹿にできなくて、刑事でも”デカの勘”というのがあるぐらいです。その直感から得られる情報は、実質グラフよりも高い情報量を得られます。ただ、その直感の方向性が間違っていたら全部廃棄になりますが、廃棄したらまた直感で矛盾しない情報を頭の中に入れて出力したらいいのです。
けれども、今回のパンデミックはまさにパニックエンデミックでした。ワクチンと反ワクチンに考えの自由によって区分けされてしまい、サイコパスが情報を攪乱し、人の人命を操作する社会秩序の崩壊を招いてしまいました。ただ、市民の中にはもちろんいません。サイコパスは表舞台に出てこないのです。