フェイクニュース、フェイク動画、フェイク画像、フェイクグラフ、フェイク統計……私はこれらを以前から考えていて、ずっと「ひっかかりたくないなあ」と思ってきました。議論を提唱する方がたの中には、これに引っかかって”騙されている”方を私はいくつか拝見してきました。いわば「洗脳されている」のと同じだと言い換えられます。

「じゃあなにを信じたらいいんだよ」というかもしれません。以前この下記のように述べたことがあります。

 

コロナ禍から、人間すべてに対する情報戦となり、私も素人ながらその情報を観てきました。そして感じたのは、その情報が真であるか偽であるか、の精査をせず、ただ情報を信じ込んでいる方が多いことを理解しました。例えば、とあるグラフがあります、とあるグラフは真であるので、その真なる情報から読み取れるのは――という考え方が誤りであるかもしれない、ということです。つまり、この時点で、情報戦の勝者にはまだ遠い道のりが出来上がることになります。一度立ち止まって、直観の示すままに行く先を変えてもいいのだと私は思います。私個人は、マイケル・イェードン氏、またロバート・W・マローン氏、といった、超専門家でありながらwikipediaにデマを流したなどと書かれている方、または日本では荒川先生の、良心とキャリアを信じて、その情報を”真”であるとみています。この場合、”真である”と”仮定する”が第1段階です。第2段階は、そこから飛躍して直観的に考えることです。「そんなもの役に立たない」という考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、人間の嗅覚や警戒心、直観は案外馬鹿にできなくて、刑事でも”デカの勘”というのがあるぐらいです。その直感から得られる情報は、実質グラフよりも高い情報量を得られます。ただ、その直感の方向性が間違っていたら全部廃棄になりますが、廃棄したらまた直感で矛盾しない情報を頭の中に入れて出力したらいいのです。 

 

 
ウクライナとロシアから始まった戦争も、私はいくつかフェイクがあることに気づきました。画像の場合、光源がおかしい画像が提出されたのを見たことがありました。絵を描く人はわかると思いますが、光源というのは絵を描くうえで重要です。その光源がいくつもあって、つながりのないものをつぎはぎした画像が「戦争による荒廃」のように見せかけた画像も散見しました。
だからなんだ、というかもしれません。
反ワクチンの方たちと、自然派、陰謀論と、重複して言論として訴えている確率が高いと、いくつかのブログやXを拝見して思ったことがあるのです。そして、その中にはエビデンスのない妄想も真実に紛れて実は存在します。
陰謀論――という言葉を作った人が上層部なのだとしたら、この人たちはこう思っていると思います。
「根拠のない妄想して、全然関係のない情報を真実だと流して、情報を撹乱している」と。
けれども、今回のパンデミックはまさにパニックエンデミックでした。ワクチンと反ワクチンに考えの自由によって区分けされてしまい、サイコパスが情報を攪乱し、人の人命を操作する社会秩序の崩壊を招いてしまいました。ただ、市民の中にはもちろんいません。サイコパスは表舞台に出てこないのです。
 
これが事実だとするなら、根拠のない妄想、またはフェイク関連は、サイコパスによる情報かく乱実験であるのだと判断できます。もちろん、真実もあると私は考えているので、この場合、「知らない上層部」と「知っている上層部」に分かれてくるのではないかと考えています。
「知らない上層部」とは光であり真実、「知っている上層部」とは闇であり妄想です。妄想で作り上げた城にお金を手にし、悪事である、と認識しておきながら加担する、しかしそれは妄想の中に消えるという事実です。”知っている”というのは、”闇が必ずあるということを知っている”ということであり、光勢力は事実の中に”闇がある”ことを知らず、彼らを「妄想である」と知覚します。また、今は、消えないのはお金だけです。そして、この「知っている上層部」は光勢力である「知らない上層部」に必ず近いうち負けるでしょう。
「知らない上層部」の「市民の命を守って、我々を誤解して誘導してきた人たちをなんとか宥めながら世界の平和とグローバルのもと平和を構築できないだろうか」という考え、また1人1人が真実と上層部の気持ちが理解できた時、フェイクに騙されることなく人類の正しいルートとして歩むことができるであろうと、私は考えています。