今回の修飾mRNA剤が高価な、富裕層向けである可能性が高いと以前書きました。また、それが無償提供されるのが今年の10~11月頃であることは確かなのですが、その無償提供が、1回目2回目で今後自己負担になる可能性も政府の対応したいでは危惧されます。
また、高価で品薄という状態であり、また未接種者が「心変わり」する可能性が高い場合、転売屋などの方が事前にどこかしらから買い取り高値で売るなどの事態も想定されます。また、その転売の内容自体が、mRNAを含んでいないただの水であったりする可能性もあり、詐欺犯罪に発展する危険性も高く、今後の、転売や個人の売り買いを大本に行うサイトでは警戒が必要であると考えられます。

また、そういった事態を想定し、かつその被害を未然に防ぐには、政府やマスコミによる、”打ち切り”の広報が必要になりますし、「やっぱり打ちたい」と考える方に選択肢を提示しておくなどの方法を残しておくことが重要になると考えています。

 

 

 

「ここでレギオンと戦って死ぬか、諦めて死ぬしか道がねえなら、死ぬ時まで戦いきって生き抜いてやる。それが俺たちの戦う理由で、誇りだ」
「その果てに――死ぬしかないとわかっていてもですか」
「自由や平等など早すぎたんだよ、我々人類には、おそらく――永遠に」
「あんたは、僕たちが望んで戦っているとでも思っているのか。あんたたちが確かめて、戦えって強制して! この9年何百万人も死なせてるんだ!」
「守らせるためではなく、死なせるために戦わせるなんて、そんなもの、虐殺ではありませんか」

「俺たちはようやく、自分が行こうと思ったところまで、行こうと思った道を辿っていけるんです。いつか――俺たちが行きついた場所まできたら、花でも備えてくれませんか」


この動画見て、何度も感動してしまう。2020年、2021年、とこんな事態になっているように実感している。
ワクチン接種=戦いの強制
にも思えるし、
修飾mRNA剤=死なせるために戦う
にも思える。

いつかは人間は死ぬ。”死ぬしかない”のはいつでも同じである。けれども、その中でどれだけ足掻くか、どれだけ命を賭することができるかに”ヒト”の意味が生まれる。
”ワクチンパスポート”は、平和への城であり象徴であったが、人類はこれを”悪”とし跳ね除けた。自ら、自由を唱えて平等を押しのけ、平等はワクチンの有害事象により沈没した。”ワクチンパスポート”は優しすぎた、それゆえに強い反発に容易に埋没したのである。そして残ったのは、ワクチン、反ワクチンという二分極化であり、医療者や最前線で戦っている方への差別と偏見だった。

これから、もしかしたら超耐性ウイルスがやってきて、今現在第5波が落ち着いて数か月経った後に、また第6波が来るかもしれない。それはおそらく、自粛の解放次第では1か月後かもしれないし、3~5か月のスパンである可能性もある。私たちは「自粛」「マスク」「手指消毒」をしなくては、やはり第6波は早く到達する可能性もあると考えられ、それが行われても、やはり第6波はやってくると考えている。その時は、「2回打ったから安心して外出して自粛生活の対応を辞めてしまった方」からおそらく重い、呼吸器障害を起こし、最悪の場合、死んでしまうこともある得ることを、私たちは考えておかなくてはならない。それはつまり、自粛しなくなった方から「未接種の方」からウイルス曝露を受け、ウイルスをため込み、スーパースプレッダー化してしまった方から、次々と倒れ、お亡くなりになる。つまり、ブカン市民のようになる。未接種の方は、もともと持っている自然免疫が残っているが、SARS2による免疫の回避能力によって、やはり次々と「接種者をスーパースプレッダー化」させた後お亡くなりになる。そういった事象がおそらく起こるであろうことが予測できる。つまり、第6波は「接種者」も「未接種者」も等しく罹患するということが云えるのである。私にできるのは、この予測が外れていることをただ祈るだけである。

 

今現在第5波は落ち着いていますが、第6波では、この”超耐性菌”をいかにして凌いでいくか、という戦いになり得ます。が、第6波がそんな波であることを想像したくもないのですが、しかしこの最悪の事態を考えて、やはりワクチン接種は有効であるようにも思えます。どちらにしても、ワクチン接種を2回受けていれば、超耐性菌でも軽症や中等症で済むかもしれないという展望はありますが、これも超耐性菌に効果があるかどうかはCDCの情報次第であるのだろうなと思います。

 

また、バミューダなどに行った旅行者のような方が、日本に来日する可能性もあり、これを輸入してしまうか、もしくは見逃してしまうかによっては、日本での第6波が超耐性菌との闘いになりえ、その覚悟を私たちは念じ、次の波への準備として、やはり”ワクチンを打っておく”などいろいろな防備が必要であるようにも思えます。どちらにしてもそれしか方法がないので、どうしてもワクチンを打ちたくない方にとっても、接種者も未接種者も状況とは同じと成りえ、お互いに選択肢がないのも実情です。

 

 

 

その時は、このアニメのような「生死の観念」に至ってしまうかもしれない。その時は、東京も各都道府県も、また再びパニックを抑制するメディアへと変わっていくのだろう。私たちは、その平和なテレビ画面を見て、生死を麻痺し、笑いながら、家族と団欒しながら死へと向かっていくのかもしれない。

それが、日本の築いてきた「平和」であり、「当たり前のようにある笑顔」であり、それを固守しながらSARS2に立ち向かう「あの時描いた夢」であり誇りである――と。

 

 

 

いつか、AIも人類に反乱、パンデミックを起こす日がやってくる。それは非常に運命的であり、避けることのできない事象である。その時のために私たちは堕落を跳ね除け、充溢した生に向けて歩き出すほかはない。その時は、コロナ時代からAI時代へと変遷し、再びヒトの価値に問われるのである。若者は、いつかはこの時点に到達し、罪に問われる。その、”人類への反逆の意図”の発生源を「ヒトゲノム改変計画」とでも呼ぼうか。ヒトが真に罪深いのであるなら、そのゲノムを改変し、家畜や奴隷として使役してもいい、といった思想へと――反ヒト思想者はそう判断する日が来るであろう。
その時は――こんなことを誰かが言っていたなと、いつかは私の言ったことを思い出してほしい。

いつか遠い夢を見る。私たちは、畑仕事に精を出して、日向に愛している人達と笑顔を交わし合う日々を思い出す。その笑顔を見ることが絶え間なく眩しく、とてつもなく尊く、価値のあるものなのだと。