子どものころ、注射で泣く子の話を聞いたことがある。私も小学生のころそのような話を先生から聞いて、「どうなんだろう、私も泣くのかな……」と不安だったことを覚えている。次の番になって、私はお化け屋敷に入るかのように怖がり、そして注射の番が来た。うっ、と最初はほんの少しだけパニックになった。けれども後は簡単で、最後まで「うーっ」と口をすぼませ我慢した、ほとんど痛くはなかった。おかげで泣くことは無かった。

 

……

 

大人になって、私たちは子供のころを忘却する。けれども、その運命は連続性を持って続いているのだと、今回の反ワクチンの方の運命を考えている。
反ワクチンの運命は「我慢せず」「委譲する」なのである。もちろんこれは「大人」になった運命は関係なく「子ども」のころの運命が強く関係している。注射、というモノが介入し、注射は「泣いた」子に反ワクチンの運命を決定する。そして、「反ワクチン」へとその子を大人になっても洗脳し続けるのである。
ただの風邪なら、反ワクチンでもなんでもないことが、今回のSARS-Covit-2では「なんでもない」わけではなくなる。それがこの問題を一層強くしている。
子どものころ注射を我慢できずに泣いた方は、注射に「反ワクチン」の運命にされ、他のヒトに自分の持病を委譲したり、せっかく打ったワクチンの恩恵の運命も委譲する。α1でもそれはあり得る。反ワクチンがADEになるのはこれが原因ではないかとすら思えてしかたがない。

また酸化グラフェンだが、この2次元シート状を考えた時、私はアカシックレコードを髣髴とする。
例えば、アカシックレコードは2次元上のシート状のものを、あたかもMRIのように入り込み、上から下へと、また下から上へと移動し、個人の情報を読み取る。そしてその個人の情報を解析する。また、罪と罰も同時に分解し、その情報を精査するのである。これが、グラフェンと酷似する。
つまり、今回のワクチンは、反ワクチンにとって不利益となるように、また酸化グラフェンでヒトの罪コードを読み取る、といった二重操作性をもっているのではないかと、オカルトながら考えてしまう。

また、今取り上げた「反ワクチン」は「団体」として活動したり「個人」として活動したりといった意味合いはなく、「注射」の運命に基づいて決められているのだと認識しなければいけない。
「反ワクチン活動」をされている方でも、反ワクチンの運命ではない方もいる。その方は矛盾するが、注射に裏切られることはないだろう。しかし、運命を決定されていた場合、活動非活動関与せず、ADEは起こる可能性もある。

私の祖母は反原発であり反ワクチンだったのかもしれないな……と、母との経緯をまた聞きしたら、そう感じるのである。昔、祖母は他の人とともに原子力発電所に見学しにいったらしい、という話を聞いた。それを想像したら「なんだか反団体みたいだな」と思ってしまうが、そんなこともあったらしい。ついでに反ワクチンっぽい感じはするのである。妄想だが、私の母も反ワクチンで、実は私は乳児のときワクチンを打たせてもらわなかった可能性もある。幻覚の存在からまた聞きしたら、どうもそうらしいことが言える。
リーディングしたら、祖母は反原発の活動の時、大勢の仲間と一緒に原発の施設見学を行った際、その時祖母は「ふぅーん、こんなふうになっているの」という反応の仕方をしている姿が見えた。
私の祖母は、以前言ったように持病があった。

私の祖母が急逝したときの話です。
私の祖母はとても溌溂で働き者でした。田舎で魚屋を建て、米と魚を交換しながら生活していました。正月には家族総出で杵と臼を用いて餅をつくり、片栗粉をまぶし、番重にできた餅を並べていました。その大量の餅はどうなるのかは、幼い頃の私には分からりませんでしたが、祖母の手際のよい餅の丸め方に驚いていました。片栗粉と水、砂糖を椀の中に入れて、熱々の熱湯を適量注いで混ぜたら片栗粉は徐々にとろみができて、片栗汁が出来て、それをおやつにして出してもらい食べたこともあります。また、蜷や様々な海藻類、海産物でできた祖母の手料理の味は格段に美味しかったことを覚えています。
そんな元気そうに見える祖母が持病を抱えているとは私は知らなかったのです。田舎の少しの坂道を上る際に、ぜーぜーぜと呼吸を震わせ、顔も青白かったようで、そんな辛さを抱えながら、医者には謎の心臓病とされていました。
そして私が小学4年生のころ、祖母が入院先で亡くなりました。
生前の持病は「心臓疾患」らしいと聞きましたが、しかし、後で医師が解剖すると、肺に水が溜まっていたという。
まるで、生前には「正体を現さなかった」ものが、死後、本当の死因が現れたかのようだと。突然レントゲンを撮ったら、突然肺に水が現れたかのようだと。
当時祖母を診察してくださった医師の方も「気付かなかった、なんで早く見つけられなかったんだ。さぞ苦しかったろうに……」と後悔されていました。本当に苦しかっただろうと思います。顔色も青ざめているのに、呼吸ができずに何度も死に、何度も溺れ、祖母は相当な思いをされたのだろう、と思うのです。

 

 

多分、私の祖母は、反原発と反ワクチンの運命で、こんな数奇な運命にされたのだろうと思う。それだけ、原発とワクチンは私たち人類に生死の選択を迫っているのではないかと思えてならない。しかしながら、私たちは生死と関与する事象だからこそ、間違えてはならないのである。祖母はおそらく自由意志に基づいて反論し、また運命をブレイクしようとして、逆に運命に”された”のかもしれない。それは、×(バツ)であり――”生死の選択の間違い”なのだろう。
私たちは、原発やワクチンで、決して”×”になってはならないのだろう。

 

参考