「絶歌」……被害者遺族に申し訳ないので購入することはできないのですが、Aの書いたものはほとんど嘘なんでしょうね。引用されているのを見る限り、出来事一つにきらびやかな言葉を虚飾して自らの出来事を回想するために書いたもののようにも思えます。

 

別の自分は自分の行為を「快楽殺人」と理解しているのに、別の自分はそれを冷静に観察していながら自分の行為を言語的に振り返っているところがあります。犯行当時からその症状はみられます。

 

またこの本は「もしかしたら更生していないのではないか」と思うような書き方で構成されていると思うのですが、おそらくAにとっては自分の気持ちを正直に表現しているだけなのでしょう。

Aの事件について

まず、やはりAは冤罪ではないと結論づけられます。そして同時に、遺体を切断するのは冷凍技術がある場所でしか切断できないという事実もあります。彼の供述で、真実を語っていたり沈黙していたり虚偽を述べていることからも明らかなように、確かに淳君を殺害したのはAですが、しかし遺体を切断したのは彼ではありえないということです。そして、その次にAは淳君の遺体の一部を所有し、また「遺体の一部を校門の前に置いた」ことを述べていますが、彼は「自分が切断した」とは何も語っていないことが何よりの証左です。まず絞殺したのはAであり、切断したのは他の何者かであり、そして突然Aのもとに遺体が戻ってくるという順路で遺体を所有して持ち帰ったのではないかということが言えるのです。

 

そして、「ビニール袋を持ち歩いていたすでに成人している男性」がタンク山を彷徨っていた証言からも分かるように、淳君の遺体をタンク山から持ち出したのは彼らである可能性が高くなります。冤罪説は、この証言Aでは遺体を切断できないという物的証拠により引っかかってしまい冤罪と考えてしまうのでしょう。では、彼らとAのつながりは一体なんであるのでしょうか。

 

まず、「ビニール袋を持ち歩いていたすでに成人している男性」は所有した冷凍技術によって、遺体を切断できる適切な場所であると判断した場所で、移動させた遺体を切断したということが言えます。ここで明らかになるのは、彼らが淳君を「殺害したい」わけではなく、あくまでも「遺体を切断し遺体の一部を持ち出す」目的のためだけに切断している、ということです。
そして、彼らは淳君の遺体を黒いビニール袋に詰めたのでしょう。そしておそらく同様の冷凍技術で彼ら成人男性は何からの場所に淳君の遺体の一部を秘匿していたと考えられるのです。

 

しかし、実際には、Aのもとに淳君の遺体が手渡っている。それをどう説明したらいいのでしょうか。

 

おそらく何からの方法で、Aは淳君の遺体を「保有したい」と願った。そして、その通りに、淳君の遺体を切断した成人男性は彼のわがままな願いを聞き届けたと考えられるのです。なぜそのような殺人という行為を行いながら、且つ彼の自己願望が叶えられる存在が存在するのか。

 

以前、井の頭公園バラバラ殺人事件でとある組織が裏で噛んでいるのではないかという話を聞いたことがあるのですが、その犯行の意味も、犯人も、とうとうわかりませんでした。組織が何か隠匿しているのではないか、というところまでで捜査がストップしていると聞いたことがあります。そして、その犯人は時効を迎えました。

 

ビニール袋を持った成人した男性が、そういった組織の手の者であり、Aをかばってアリバイを作ったとすればどうでしょうか。そして、Aはそうしたアリバイを組織に作ってもらいながら、なお、犯行声明や淳君の遺体を恥辱するなどを行ったとすれば、井の頭公園バラバラ殺人事件の犯人のように逃れることができなかったのではないでしょうか。それは、Aそのものが持つ自己顕示欲が抑えられなかったためではないかと考えられるのです。それは出版された「絶歌」でも「自己顕示欲を我慢できなかった」ことからも、それが言えるのです。

 

そして、なぜその組織は彼をそこまでしてかばったのでしょうか。

ここからは私の勝手な想像になるのですが。

それは、Aがその地区で「特別な生まれ変わり」だったからではないか、というのが私の考えです。

 

Aは恐らく、その地区で幼いころから「特別な存在」として崇め奉られていました。誕生日が7月7日に生まれたことが理由の一因でもあるのでしょう。

 

特に、特殊な数字に生まれる子どもたちは、胎盤を経て生まれる際「知能によって計画して生まれる日を決めている」のではないかとスピリチュアル的に考えてはいるのですが、しかし、それは成長によって忘却され、小学生に入った頃には、その知能は失われるのではないでしょうか。しかし、Aはそれを忘却できなかったのではないかとも考えられるのです。特殊な数字で生まれたAは組織の意思を統一し、彼はその意思によって裏で組織の信仰を支えていたのではないだろうかという考えも浮かんできます。幼いころからAは儀式殺人の犯人になるよう洗脳され育て上げられたのではないか、というのが私の考えです。そうでもなければ、あんな残虐な犯行は「普通に生まれ育った14歳の少年」には不可能であるからです。かといって私の考えた「組織に陰で育て上げられた」という推論もまた砂上の楼閣のような考えですが、これが一番あらゆる証拠をまとめ、可能性の高い推論であると思えます。

 

子どもの頃のAは「普通に生まれ育った14歳の少年」であるにも関わらず儀式殺人犯の犯人として、母親の目の届かないところの陰で育て上げられたのだとしたら、Aはそれを母親に相談できなかったのでしょう。A本人の心理状態にいつまでも気づかない母親への憤りも、それが原因なのかもしれません。 母親に対して苦痛を訴えられず、逆に「このやろう、こんなことを真似して困らせてやる」という心を持っていたのだろうと思えます。だから、「野菜に思いなさい」という言葉を鵜呑みにしているように母親には見えたのでしょう。

 

Aが当時おそらく13歳に書いた「懲役13年」は、おそらくただの創作ではないのでしょう。自分の気持ちと小説などから切り貼りした言葉を合わせて出てきた本音であり事実なのだろうと思います。その時から自らの経験を小説化するといった態度が見られます。13年ということはもう生まれて現在まで、ということであって、Aが物心ついたときから牢屋に入れられ拷問を受けたという解釈もできます。

 

もし、その推論が本当だとしても、なぜAはその組織を裏切らないのでしょうか?

 

なぜなら彼らが冤罪となるアリバイを今でも作っているからです。Aをずっと信仰しており、Aもそれによって万能感を得ており、それが遠因となって裏切れないのだろうと思います。14歳の供述調書でもその点については彼の知能によって回避、および黙秘してるのが分かります。おそらく「絶歌」でも巧みに嘘をついて事実を伏せているのだろうと思います。

 

ヨハネの黙示録13章にこのような記述があります。

 

「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は666である。」

 

Aの7月7日の数字は正であり、そして666は負の数字です。Aはそのどちらも持っていたのかもしれません。

 

最後に、ご遺族の方々に、遺体について触れたことについてのお詫びを申し上げます。