
そのころ僕は
神戸のホテルの
120部屋ある
建具の入替を
もう7日間
泊まり込みで工事していた。
1987年12月24日
クリスマスイブ
その日は
予約がいっぱいで
久しぶりに大阪に戻る予定だったが
団体客のキャンセルが出て
7部屋だけ建具を吊り込むことになった。
同僚はせっかくのイブ、
家族と過ごせなくなった不満をタラタラ
吐いてはいたが、
大工なのだからと
黙々と蝶番を彫り込んでゆく。
工事は12月25日、
予定より2日早く終わり、
深夜、
阪神高速神戸線から
環状線を乗り継いで
喜連瓜破でおり、
同僚を自宅へ送り、
今里通りを縦貫して
森小路の我が家に
帰った。
久しぶりの家には、
真っ暗で、
明かりをつけると
微かな懐かしい香りと
真っ白な埃が舞った。
お腹は空いていない。
喉も渇いていない。
眠くもない。
風呂にでも入ろうか、
まずはテレビをつけて、
音量は落とし、
ステレオのスイッチを入れる。
鬼束ちひろの
ビューティフルファイター。
Sister.Low 無差別にひとしい真似より
意味深な教えをからだで悟って
少しニヒルに
重低音のきいた旋律が
疲れた四肢を震わせる。
ふと窓を観る。
いつも踊りだす影は映っていない。
ふっ、
溜息交じりの自嘲ひとつ、
ドラムの連打に消えていった。
珈琲を入れる。
モカマタリはもう湿気てるだろうが、
構わずに淹れた。
香りが薄い。
砂糖をたっぷり入れて、
牛乳がないから、
そのまま
マグカップに銀のスプーンを突っ込み、
黒褐色の渦をおこす。
匂いがさらに立ってくる。
飲みながら、
ブルゾンの内ポケットから
ラークを取り出して
Gパンの右ポケットから、
蝶番の緩んだ
スターリングジッポーを握って
火をつける。
弱々しい炎の揺れのさなかに紫煙がたちのぼる。
帰ってきたよ。
いないはずの相手に
心の中で挨拶する。
ふっ、
悪い癖になっていた自嘲が、
また出てしまった。
曲は
惣領智子の
終わりのない歌。
夕べは淋しさにふるえて眠って夢を見た。
もつれた糸のようにあなたと私と誰かと。
過ぎ去れば想い出になる。
今をちょっと耐えれば
私はここにいるわ、いるわ。
なんでこんな悲しいメロディが好きなのか、
あいつの趣味にはいつも戸惑ってしまう。
妻は、
その年の秋
静かに逝った。
最期まで
夫の心配ばかりして、
気丈なまま意識を失い、
そのまま逝ってしまった。
覚悟していたとはいえ、
絶望という文字を
どれだけ飲み込んだだろうか。
その日から、
日常は
幻の中に沈んでしまった。
何をしても
何を考えても、
何を見ても、
何を聞いても、
虚ろだった。
時は止まったまま、
心は仮死状態のまま
想い出が津波のように
押し寄せてきた。
『大丈夫じゃないけど、
心配するな、
俺は元気だぞ』
いるはずのない
妻に告げる。
さて風呂に入ろう。
もう一度
鬼束ちひろだ、
リズミカルな脱衣で、
たっぷり湧いたバスタブに身を沈める。
バブルスイッチオンにして、
泡風呂、
何気に気持ちいいのは、
数千もの泡が割れる瞬間の
空気なんだろう。
壁にしつらえた、
防水の本棚から
読みかけの本を選ぶ。
天才と狂人の間。
夭折した島田清次郎の物語だ。
貧しい金沢の青年が、
原稿用紙も買えずに
新聞広告の裏にせっせと書き溜めた小説を、
当時文壇の重鎮だった大作家に送りつけた。
返事がない。
作品には絶対的な自信があった。
手に取り読んでくれさえすれば、
いかな大作家といえども、
感動の余り
必ず連絡してくるはずだと確信していた。
しかし連絡は来ない。
来る日も来る日も、
しかし連絡は来ない。
来る日も来る日も、
半年が過ぎ、
彼は粉雪の中を郵便配達している。
彼は粉雪の中を郵便配達している。
倨傲極まりない自負さえ
揺らぎ始めた。
絶望とは希望とは何なのか
読者は考えさせられる。
ついに連絡は来た。
手紙の中、
文字が躍っている。
曰く、私はドストエフスキーを発見した
先輩作家の気持ちでいる、と。
彗星のように文壇にデビューした彼の作品、
地上は
ベストセラーとなった。
しかし
これが頂点だったと
彼はきっと
感じはしていない。
まだだ、まだだと
命を削るように
彼は執筆してゆく。
何作か発表したのち
彼には人として肝心な何かが欠けていたことが
明るみにで始めた。
それは彼を推薦した大作家はおろか、
母親でさえ
気づかない狂気だった。
彼はそれから次々と破廉恥な刑事事件を起こし、
文壇から石もて追われる。
発狂ののち、精神病院に収容されて、
静かに死んでいった。
絶望とは希望とは何なのか
読者は考えさせられる。
ついに連絡は来た。
手紙の中、
文字が躍っている。
曰く、私はドストエフスキーを発見した
先輩作家の気持ちでいる、と。
彗星のように文壇にデビューした彼の作品、
地上は
ベストセラーとなった。
しかし
これが頂点だったと
彼はきっと
感じはしていない。
まだだ、まだだと
命を削るように
彼は執筆してゆく。
何作か発表したのち
彼には人として肝心な何かが欠けていたことが
明るみにで始めた。
それは彼を推薦した大作家はおろか、
母親でさえ
気づかない狂気だった。
彼はそれから次々と破廉恥な刑事事件を起こし、
文壇から石もて追われる。
発狂ののち、精神病院に収容されて、
静かに死んでいった。
金沢の近代文学館で
彼の写真を観たのは
20歳の頃だった。
彼の瞳には白い星が煌めいていたと
文中にあったからどうしても
確認したかったのだ。
星はあった。
しかし煌めくというより
寧ろ寂しげに見えるほど
か細く暗んでいた。
長風呂しすぎた。
体を拭いて、
パジャマに着替え、
ビールでも飲もうとキッチンに行くと、
あなたの部屋の前座り込んだら、
なんて静かなの、
恋の入り口みたい。
私に生まれたこと感謝できたら
あなたはいつだって
抱きしめたくななるのね。
どんな風に
扉は開くのだろう。
どんな風に、
夜は終わってゆくのだろう。
ただ泣きたくなるの、
好きだから、好きだけど、
いつも胸が、
恋よりあたたかい温もりをあげたい、
忙しいあなたに。

中山美穂?
こんなCDあったかな。
にしても、
誰がかけたんだ?
居間に戻るとどうだろう、
透明ガラスの三脚テーブルの上、
苺のケーキ、
8本の蝋燭が灯っている。
傍らには七面鳥が真ん中、
エビやホタテのフライや
ローストビーフに
ポテトフライが盛り付けられた、
豪華なオードブルと、
ドンペリとシャンパングラス。
カウチソファーの上には、
パルコの紙袋。
蝋燭の火を吹き消すと、
大気の中に幽かな残り香が。
シャネルのアリュールだ。
小粋な悪戯の主が判明した。
紙袋にはクリスマスカードと
生成り色の
フィッシャーマンセーター。
カードを啓くと、
『メリークリスマス
いつまでも落ち込んでんじゃーねーぞ
元気出してね
大好きなパパへ』
小憎らしいやつだ。
もう帰ったのだろうか、
部屋を出て、
廊下の先、
エレベーターはまだ一階についていない。
ここは17階。
急げば間に合うか。
パジャマのまま、
非常階段を駆け下りる。
一階だ。
エレベーターはまだ2階。
間に合った。
キンという金属音と共に、
扉が開いた。
可愛らしいサンタクロースが乗っている。
「一緒に食べへんのか?」
「連れ待たせてるから、驚いた?」
「ああ、びっくりしたよ、合鍵持ってたんか?」
「うんショーシさんに借りたよ」
「その仮面、ミニスカートのジジイやで、ちょっとした変態やないか」
たっぷりとした顎髭に、真っ赤な肌、サンタクロースの仮面だった。
「変?」
「ああ、変や」
「じゃ、脱ぐね」
薄化粧した美少女が現れる。
自慢の娘だった。
「パパ、寒くないの?」
「ああ、階段駆けてきたきたからな」
「早く帰って、全部食べてね」
「ああ。ありがとうな、プレゼント今度渡すわ」
「あてにしないで待ってる、早く部屋帰ってね風邪ひくから」
エレベーターに乗り込み扉が閉まるまで、
娘は満面の笑顔で見送ってくれた。
満ち足りた瞬間がずっと続いた。
エレベーターの扉が閉まって昇り始めても、
娘はしばらくその場を去らなかった。
やがて、
「いつもあなたと一緒よ」
そう呟くと、
可愛らしいサンタクロースは
振り返りながら、
さらに仮面を脱いだ。
そこには
死んだはずの彼の妻の顔があった。
仮面の下の仮面、
彼女はいったい何者なのか、
彼女の頬を流れ落ちた
一粒の涙には、
真っ赤な衣装が映えていた。
やがて街に
夥しい鈴の音が響くと、
8頭のトナカイに曳かれた橇が
降りてきた。
彼女はゆっくりと乗り込むと、
鞭を一閃、
橇は夜空へ飛び立っていった。

長風呂しすぎた。
体を拭いて、
パジャマに着替え、
ビールでも飲もうとキッチンに行くと、
あなたの部屋の前座り込んだら、
なんて静かなの、
恋の入り口みたい。
私に生まれたこと感謝できたら
あなたはいつだって
抱きしめたくななるのね。
どんな風に
扉は開くのだろう。
どんな風に、
夜は終わってゆくのだろう。
ただ泣きたくなるの、
好きだから、好きだけど、
いつも胸が、
恋よりあたたかい温もりをあげたい、
忙しいあなたに。

中山美穂?
こんなCDあったかな。
にしても、
誰がかけたんだ?
居間に戻るとどうだろう、
透明ガラスの三脚テーブルの上、
苺のケーキ、
8本の蝋燭が灯っている。
傍らには七面鳥が真ん中、
エビやホタテのフライや
ローストビーフに
ポテトフライが盛り付けられた、
豪華なオードブルと、
ドンペリとシャンパングラス。
カウチソファーの上には、
パルコの紙袋。
蝋燭の火を吹き消すと、
大気の中に幽かな残り香が。
シャネルのアリュールだ。
小粋な悪戯の主が判明した。
紙袋にはクリスマスカードと
生成り色の
フィッシャーマンセーター。
カードを啓くと、
『メリークリスマス
いつまでも落ち込んでんじゃーねーぞ
元気出してね
大好きなパパへ』
小憎らしいやつだ。
もう帰ったのだろうか、
部屋を出て、
廊下の先、
エレベーターはまだ一階についていない。
ここは17階。
急げば間に合うか。
パジャマのまま、
非常階段を駆け下りる。
一階だ。
エレベーターはまだ2階。
間に合った。
キンという金属音と共に、
扉が開いた。
可愛らしいサンタクロースが乗っている。
「一緒に食べへんのか?」
「連れ待たせてるから、驚いた?」
「ああ、びっくりしたよ、合鍵持ってたんか?」
「うんショーシさんに借りたよ」
「その仮面、ミニスカートのジジイやで、ちょっとした変態やないか」
たっぷりとした顎髭に、真っ赤な肌、サンタクロースの仮面だった。
「変?」
「ああ、変や」
「じゃ、脱ぐね」
薄化粧した美少女が現れる。
自慢の娘だった。
「パパ、寒くないの?」
「ああ、階段駆けてきたきたからな」
「早く帰って、全部食べてね」
「ああ。ありがとうな、プレゼント今度渡すわ」
「あてにしないで待ってる、早く部屋帰ってね風邪ひくから」
エレベーターに乗り込み扉が閉まるまで、
娘は満面の笑顔で見送ってくれた。
満ち足りた瞬間がずっと続いた。
エレベーターの扉が閉まって昇り始めても、
娘はしばらくその場を去らなかった。
やがて、
「いつもあなたと一緒よ」
そう呟くと、
可愛らしいサンタクロースは
振り返りながら、
さらに仮面を脱いだ。
そこには
死んだはずの彼の妻の顔があった。
仮面の下の仮面、
彼女はいったい何者なのか、
彼女の頬を流れ落ちた
一粒の涙には、
真っ赤な衣装が映えていた。
やがて街に
夥しい鈴の音が響くと、
8頭のトナカイに曳かれた橇が
降りてきた。
彼女はゆっくりと乗り込むと、
鞭を一閃、
橇は夜空へ飛び立っていった。


















