吹き抜けの中二階に
誰かが住んでいる。
ある昼下がり
眠りに落ちた。
浅い夢を見る。
春か秋か
ささやかな風が時折
髪をさらう。
何気なく伸ばした右腕が
柔らかいものに触れた。
それは
白くて細い手だった。
見上げると
中二階から伸びている。
なにも思わず
なにも感じず
手を握った。
すると
向こうも握り返してきた。
暖かい波が
疵を埋めるように
拡がってゆく。
挨拶すべきなのか
このまま黙って
握っていたほうがいいのか
答えは出さないほうが
いいのかもしれない
ゆるい忸怩が脳裏を麻痺させる。
手が強く握りはじめた。
驚くには足りない感情が
芽を出してくる。
強さが伝えるのは
放してはいけない意志なのだろう。
握る指に濁った情操がこもってゆく。
細くて長い腕に目をこらす。
男なのか女なのか、
そもそも人なのか怪異なのか、
生きているのかあの世のものなのか、
識別が必要だろうか。
ただ素直に手を握りあう時間に
身を任せた。
それは恋でも愛でも
出会いでも別れでもない
溶けきれない逢瀬、
風に乗り、
海を渡り、
青空に会釈するように
「初めまして」

 

 

 

枕草子の有名な序文は

新学期の茫洋とした気持ち

たぶん

そう、

大袈裟だけど

敢えて謂えば

逃げきれないぐらい

大きな不安と

拭い去れないぐらい

真っ黒な焦燥を

さりげなく

比喩しているような気がしていた。

 

 

この気持ちが

たとえば事象の地平線のように

光や時間でさえ超えられない

領域だったとしたら

その虚しさは

不自由さの只中に放り込まれて

個性を矯正されてゆく際の

変だけど

快さに似ている気がする。  

 

 わたしにはこころの裏を

 読み取れる力があるの

 そう言って

 唇の端を歪めていた

 きみが哀しい

   

       よしだたくろう『裏町のマリア』

 

4月は

あっという間に過ぎていった。

 

青葉繁れる季節に遷ろうと、

校内のあちこち

6月の陽光の下

真っ白なボタンダウンシャツが

無機質な校舎の壁を駱駝色に照りかえす。

梅雨が過ぎれば

もう初夏だ。

 

目の前

チャコールグレイに透けた

透明のガラスの灰皿

手紙が燃えている。

もくもくと煤けた煙がのぼり

たちこめる。

火をつけたヒガシヤマはまんじりともせず

小さな焔を見つめながら

眼にこぼれそうな涙を一溢ためていた。

 

バス通りの喫茶店「ロン」は、

放課後のぼくらの溜まり場だった。

未成年者の喫煙に寛容な店は

そのころでもあまりない。

50代の厚化粧の店主と、

娘なのだろう

同じ容貌(少し若返らせる)の女性ふたりで営まれている。

店はその当時定番だった洋風造り、

25席で満席のこじんまりとした広さ、

漆喰の壁と天井にはチーク材の柱と桁(けた)が

交差して真ん中に

木製の天井扇、

床は焦げ茶色のフローリング、

カウンターは5席で

棚にはコーヒーカップやら

各種の珈琲豆やカップが

陳列されている。

親子で営業するのは大変だっただろうか。

その頃の私に斟酌できる観察力が

備わっているわけがないのでなんとも云えないが、

そういえば

はっきり覚えている接客があった。

この親子、

異性に対する好悪が激しいようで

気に入った客と気に入らない客との

差別が激しく、

あまりの露骨さが

ぼくら生徒間でも非難轟々だったのだが、

何故だか僕は気に入られた部類に入っていて、

ときおり差し入れの洋菓子を

ふるまってくれたりしてくれたけど、

お礼の愛想笑いは

仕方ない

なんともぎこちなかった。

 

二時間あまりの

僕らだけの世界があり、

僕らだけの空間が

ここにはある。

なんぴとも

立ち入れたくはない

僕らだけの領域だ。

 

カーリーサイモンの「You're So Vain」が

有線から流れてくる。

ヒッピーという言葉が、

まだ古ぼけちゃいなかったその頃の

格好いいお姉ちゃんだった。

 

 

ヒガシヤマの沈黙は十数分続いた。

哀しいという感情は

いったいどこからどういうふうに

胸をひたしてゆくのだろうか。

嗚咽とはちがうし、

号泣とももちろんちがう。

惺(しずか)な悲哀、

でもなさそうな

ややこしいぐらい

ぐちゃぐちゃに入り組んで

もつれ短絡したような

そんな感情があるのなら

きっとそうにちがいない

などと私は

粛然と想像をつらねている。

 

曲が

イエスの「Owner of a Heart」

に替わった。

 

発端は7日前の昼休みだった。

いつになく他人行儀な様子で近づいてきた

ヒガシヤマが折り入って相談があるという。

秘密の部屋で

煙草でもくゆらせながら聞こうと、

階段の踊り場にある用具室へ向かった。

忘れ去られた開かずの部屋だった。

長い間使われなかったためだろう

いつしか

鍵を誰が所有しているのかさえも不明となり

その用務でさえか忘れられたのかもしれない

秘密の部屋が学校にはあるものだ。

二年の一学期の或る日、

アラミというダブり(私もダブりだったが)の

同級生に誘われ入ったのが

最初だった。

絶対安全に喫煙できる場所があるという。

それがこの秘密の忘れられた部屋だった。

アラミは一時期左翼活動をしていた。

随分過激なこともやっていたようだが、

落第してからの彼は借りて来た猫のように

自らを封印したのだろうか、

目立たないただのおっさんになっていた。

やばそうな活動期間がどれだけあったのか

知らないが

卒業してゆく先輩から

部屋の鍵を譲られたそうだ。

合鍵は三つ。

アラミがふたつに私がひとつ。

 

 

ヒガシヤマの相談、

一年の頃から好きな女生徒がいるという。

「裏バレンタインデー」で描いた女の子だった。

驚きと何故という疑問を辛うじて押さえ込んだ私は、

何をしてもらいたいのかを訊いた。

思いの丈を伝えたいが勇気が出ないので、

悩んだ末にラブレターを出そうと決めたが、

手紙なんて書いたことがないから

どれだけ試行錯誤して書いてみても

からっきしうまくいかない。

だから私に代筆してもらいたいという。

 

安請け合いした私は

張り切って徹夜で書き上げた。

便箋15枚、

これでもかというほどの比喩を駆使して

彼女の魅力に虜となった男の恋情を

想像のままに描いた。

真実味はなかっただろう。

想像が現実を超えることはほとんどないのだから。

次の朝

ヒガシヤマは嬉々として受け取り

2時限目が終わった休憩時間に渡したようだ。

その勇気があれば、

代筆などに頼らず

ちゃんと告白できただろうに、

とふと思ったが、

うまくいけばいいなとも思った。

 

『哀しみは汚れますか?

寂しさは乾いてゆきますか?

この胸の奥に

ずっと居座って鋭利なナイフのように

細かな傷を幾億もつけているような

痛みはどうしてこんなにも切ないのでしょうか?

 

僕はあなたが好きです』

 

 

焔が消えたガラスの灰皿は

黒い煤の山を作った。

カウンターの中の店主は鬼の形相で

私たちを睨んでいた。

 

返事は驚くべき速さで昼休みに伝えられたそうだ。

好きな男がいるから

あなたとは付き合えない、

決然と断られたそうだ。

 

結果を聞いた私には

かける言葉が見つからなかった。

勝手な憶測が許されるなら、

彼女は見抜いたのだろう。

代筆だってことを。

そこに何を見たのか、

いい想像は湧いてこない。

 

「あんたたちいい加減にしなさいよ、出て行ってちょうだい!」

 

店主が鬼の形相で怒鳴った。

仕方がない。

常識のないことをした報いは受けるべきだ。

抗いはしないが、

従わなければならないだろう。

 

僕らは店を悄然として出て

駅に向かった。

これで憩いの溜まり場はなくなった。

新しい店を開拓しなければならない。

ヒガシヤマは相変わらず自失状態、

俯いたまま歩いていた。

 

 

煙草屋を過ぎ、

ガソリンスタンドを左に折れ、

ふたつ四角をぬけてふと左を見ると、

「NJ」

という看板が見えた。

cafeの文字がうっすらと見える。

卒業まで毎日通った新しい溜まり場を発見した瞬間だった。

 

ヒガシヤマを促して、

探検だ。

溜まり場になれるかどうかは、

第一印象にある。

ガラス戸を引いて

牛追いの鐘がカラカラ鳴る。

左手に長いカウンター、

8席ほどのハイチェアー、

白いカウンターには4つの小さな穴があり

15πほどのスチールのガス管が突出し

その上ではサイフォンがまさに珈琲を抽出している。

ボックス席は四つ、ふたりがけのソファー向かい合う。

床は一尺四方の模造石がびっしり敷かれていた。

全体的な印象は

事務所空間をむりやり喫茶店に改造したような造りだったが

新装して間がないのか清潔だった。

 

「いらっしゃい!」

 

カウンターの奥から血色のいいマン丸顔のおっさんが

声をかけてきた。

頬が紅潮してキューピーのようだ。

 

「冷コーありますか?」

 

あたりまえだという鼻息とともに

「ふたつ?」

 

「おねがいします」

 

云いながら私たちは右奥のボックス席に座った。

私たち以外に客はいない。

有線放送もなく、マスターはカウンターの奥で

読書している。

あとで判明したことだが

彼は関西学院大学文学部を卒業した、

文学中年だった。

 

「好きな男って誰か判るんか?」

すこし冷静さを取り戻したヒガシヤマに訊いた。

「判らんけど、たぶん、バレーボール部の奴やと思う」

「バレーボール部?」

「キャプテンのヤマナカやと思う」

「それは、なんで?」

「何度か視たんや、うっとりしながら見つめてる姿を」

 

冷コーが来た。

シロップを適量注ぎミルクを混ぜる。

カラカラストローでかき混ぜていると、

「悔しいけど、どう仕様もないもんな、なんか、せいせいしたわ」

負け惜しみではない涼しさが表情に浮かんでいる。

 

幸運も不運も同じ分量、

人生はプラスマイナス零であると

主張する人が多くいる。

 

でも

それは嘘だ。

人生は決して公平ではない。

幸運の分量は

不運の100分の1もない。

不運の中でどうやって1%までもってゆくか

諦めて僥倖をただ待つのかの違いで別れてゆく。

 

潔く諦める、

それは本当に潔いことなのか?

諦めるという言葉の裏に

絶望するという完全なる諦念が潜んでいないか?

諦める前に

どうして見苦しくとも足掻いてみないのか。

格好なんてどうだっていいじゃないか。

死に物狂いで抗って

どうしようもなくったて

望みがかなわなくったって

いいじゃないか。

しかし現実は

みな諦めがそれをさせない。

こころの防衛本能なのかもしれないけれど、

ひとは無駄なことをやり続けられる

精神力をもたないんだ。

 

彼女が誰をどれだけ好きかなんて

関係ないじゃないか、

おまえが彼女を好きなら

その気持ちに浸っていればいい。

 

失恋をくだすのは

相手じゃないぞ、

おまえだよヒガシヤマ。

おまえさえ判断しなけりゃ

恋はまだ

終わっちゃいないのさ。

 

哀しみは汚れていても

寂しさがつれなくても

まっすぐ欲しいものを

見据えて煙草でも

ため息とともにふかしてみようぜ。

 

言いたいことがたくさんありすぎて

どう言えばいいのか

なにから切り出せばいいのか

迷うままに時は過ぎ

ぼくらは

NJを出て

黄昏時、

淋しげな夕焼けを背に

帰途についた。

 

 

翌日、

いつもより早く学校へ着いたぼくは、

彼女の教室を覗いた。

朝練が終わった彼女がいた。

どうしようか

逡巡が脚を交差したが

「タカダ!!」

彼女が声の行方を探し

「何?」

すこしばかり上ずった高い返事だった。

「ちょっとええか折り入って話があんねん」

「いいよ」

即答だ。

彼女頭も相当いいのだ。

 

ドキドキ?

しないよ。

彼女が誰を好きで

ヒガシヤマには可能性がないのかを

確かめたいだけだ。

 

2年の6組から9組までは

5組までと校舎が違う。

僕らの9組は新校舎の4階にあり

彼女の4組は旧校舎の4階にある。

二つの校舎は2階部分の渡り通りでつながっている。

廊下を進んで階段を下りて左は正門と

フェニックスって呼ばれていた庭がある。

右は屋根付きの廊下があり体育館とプールにつながっている。

プール開きはまだだったけど、

鍵はかかっていない。

重たい鉄の扉を開いて観客席の最初のベンチに座った。

50センチほどの距離を置いて彼女も腰掛けた。

 

「ヒガシヤマの手紙の件やけど」

「SZS君でしょ書いたの?」

「分かった?」

「ヒガシヤマ君じゃないってすぐに分かったよ」

「すまん」

「なんで謝るのよ。嬉しかったんだよ本当に」

「もしもし、どういう意味やそれ?」

「はっきししないといけないって思ったから断ったんだけどね、

なんどもなんども読み返しちゃった、初めてだもん、もらったの」

「なんか照れ臭いやろそんなこと言うたら」

悪くない気分だった。

「で、なにを訊きたいの?」

「可能性」

「ゼロ」

「ゼロ?」

「そうゼロ」

「ありえへんぞ、そんな確率」

「あるのよ、ちゃんとここに」

そう云いながら彼女は大きな胸に手を当てた。

「そんなに好きなヤツがいるんか?」

「うん、いるよ、誰か訊きたい?」

脳裏でなにかが暗く閃き、

電磁が極小の管を明滅させた。

これはまずい。

「ええよ、訊かんとくわ。ヒガシヤマには諦めるように言うとくわ」

「訊きたくないの?」

「おう、訊きたくない。悪い予感がする」

「鋭いなぁ、やっぱり」

「褒めんなよ」

「褒めてないから、そういうところ直した方がいいよ、傷つく人も

いるんだから」

「済まんかったな、時間とらせて」

「初めてだよね、お話したの」

「そうやな、おまえ、有名やからな」

「クラブ?」

「そう、大阪府で2位やったんやろ?」

「悔しかったなぁ」

「負けず嫌い?」

「そう、意地っ張りなの」

「はいはい、じゃありがとうな」

立ち上がり背を向けると声が追いかけてきた。

「あの長い手紙、誰を想って描いたの?」

振り向かず応えた。

「もちろん、おまえや」

 

プールの満面の水に朝日がきらめいた。

夏が来るんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼をつぶると蜻蛉がいる。

 

星屑のような網膜の銀幕に、
仄かに発光する青磁色、
ときには茫洋と、
ときには鮮烈に、
蜻蛉は明滅する。

 

夕陽が沈む川土手の道、
夜と昼の境を追いかける。
沈んでゆく陽は空を溶かすように
オレンジ色に染めかえ、
紫紺色の夜がまざってゆく。

 

孤独という表現を知らない幼児が、
寂しさと哀しさに胸を濡らせ、
追いかけている。
いつまでもどこまでも追いかけてゆく。
背中を追う夜空に赤い月がのぼっていた。
月食という言葉を知らない私にとって、
赤い月は充分に魅力的で神秘的だった。

 

 

物心がついたのはいつだったのだろうか。

 

遠い遠い昔、
私は夕陽を追い、
瞑目しては蜻蛉に願いをかけた。
オレンジ色に染まる空を追いかけた。

 

4歳になった私は
行儀のいい子供だと気味悪がられました。
挨拶がきちんとできる幼児は
めったにいない。
滅多にいないものは、
気味がいいものではないようだ。
おはようと
こんにちはと
今晩は、
ありがとうと
ごめんなさい。
愛想笑いに追従笑い、
おとなほど巧妙な笑顔はつくれなかったが
幼い仕草だけは絶対にしない継続が、
そういう印象を与えたのかもしれない。

月に一度の
母との面会。
365日のわずか12日。
その日だけが
きっと
私が4歳にもどれる時間だった。

 


1960年12月24日、
沖縄県那覇市のとあるビジネスホテルの部屋、
母はクリスマスケーキと
盛り沢山のオードブルと
アルコール度ゼロのシャンパンと、
小さなクリスマスツリーに
赤いリボンをかけたプレゼントを揃えて
私を迎えてくれた。
スプリングのきいたダブルベッド、
ふかふかの赤い絨毯、
4本の脚があるレトロテレビ、
ニュースが流れた。

 


木登りウィンキー、
通称「抱っこちゃん」の特集だった。
6月に発売されると、
あまりの愛くるしさに
日本全国に一大ブームを巻き起こした。
昔も現在も、ブームの根底はなにもかわらない。
いいものはだれにでもいい。
きみとぼくとあのひととそのひと、
このひともみんなが抱きつかせる抱っこちゃん。
だが、
12月、
あっという間にブームは去り、
売れ残った大量の抱っこちゃんは
どこでも不良在庫となっている。
ニュースはブームまっただ中の映像を流す。
老いも若きも腕に抱きつかせ
颯爽と歩く映像が流れると、
私の全神経はテレビに釘付けにされた。
胸を埋め尽くしたのは
沸騰するような物欲だった。

 

「ママ、これが欲しい!!」

 

母はもう遅いから
明日買ってあげると、
なだめるが、
私は意地になって欲しいとねだった。

 

「欲しい、欲しい、欲しい!!」

 

明日までが待てない、

明日になれば、
いつもの醒めた自分に戻らなければならないんだ、
待てないよ、
今だから欲しいんだ、
明日になれば欲しくなくなってるかもしれない、
私は号泣して母を困らせた。

 

そうなんだ、
幼子のむずかりは、
母を困らせたいからなのだ。

 

私は泣き疲れて眠った。

まばゆい朝陽に目覚めた私は、
小さな愛らしい声を聴いた。
腕になにか抱きついている。
毛布をめくると、
右腕に「抱っこちゃん」。
母が、
買ってきてくれたんだと
すぐに判った。
母を起こしてありがとうと感謝すると、
母は眠そうにこう話してくれました。

 

昨日まだ閉店していない玩具屋を
町中くまなく探してみたが、

どこも閉まっていた。
最後の店に着いたとき、
もう灯は消えていて諦めようとしたとき、
ふと風のように吹き過ぎる
神々しいものを嗅ぎ
そっと振り返ると、
玩具屋に面した舗道の先、
街路樹の途中にしつらえられた
ベンチの上に人影があり、
街灯に照らしだされた正体をたしかめると、
サンタクロースに扮装したふくよかな老人だった。
真っ白い髭をたくわえた老人が訊く、

 

『どうかなさいました?』

 

事情を話すと、
『さようでございますか、コウちゃんでしたね、
今夜はクリスマスイブ、

コウちゃんの願いをかなえてさしあげましょう』

 

そう云うと、長いアゴヒゲを揺らせて高らかに笑い、
白いずた袋のなかから、
真っ黒のビニール製人形、
大きな瞳でパチリとウインクする
木登りウィンキーを採り出して母に手渡した。
感謝のことばもない母が
代金を支払おうとバッグから財布をだすほんの一瞬、
視線をもどすとその人は消えていた。
不思議なことに、
周囲を見渡してもどこにもいず、
遠のいてゆく微かな鈴の音がきこえた。

 

 

母は最後にキッパリこう言った。
「コウちゃん、これはサンタさんのプレゼント、
なにがあっても今日の日を忘れちゃだめよ」と。

 

目をつぶると蜻蛉がいる。
青白く明滅するその姿は
ときに十字架に見違うこともある。

 

私は、
1960年12月25日のこの朝の情景を
実にしばしば思い出す。
あのときの名状しがたい不思議な感動が、
とめどなく寄せては返す。

 

そして今年のクリスマスも、
万感の思いをこめて、
目をつぶり、
蜻蛉にこう感謝します。
「メリークリスマス」と。

 

12月24日、
サンタクロースは、
必ず、
皆さんの前に現れます。
恋人とか両親とか隣のおじさんではなく、
本物のサンタクロースが、
必ず、
現れます。
そしてあなたに、
なにかを贈ります。
もしかしたら、
サンタクロースが現れても、
私たちは見えず、
贈り物も見えないだけかもしれません。

絵の具は全ての色を混ぜると黒になりますが、
光は透明になることをご存知ですよね。

そう、光を超える物体は、
透明なのです。
光を超えたサンタが贈る
見えないもの、
或いはものでさえないのかもしれません。
ですがわたしたちは貰います。
そしていつか必ずそれを知ります。

イブを祝いましょう。
疑わず、
迷わず、
真摯な気持ちで、
イブを祝いましょう。
そうしたらほら、
あなたの目の前に!

皆さま、
szsより愛を込めて、


・・・♪*☆★*♂♪*☆★*♪*☆★*♪*☆★・・・
☆.。.:*・°☆.。.:*・° 
・*:.。. .。.:*・゜Καλά Χριστούγεννα・*:.。. .。.:*・゜
☆.。.:*・°☆.。.:*・° 
・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・

 



 
 ここに、いるよ。
 あなたが、迷わぬように。

 ここに、いるよ。
 あなたが、探さぬように。

ある朝、
老教師の元を、
刑事が2名訪い、
事件の検証を要請しました。
行先は、
隣家の2階です。
眩むような日だまりがたゆたう
広い庭を抜けて
古い玄関扉をくぐって
ギシギシ軋み音を立てる階段を昇り、
薄暗い廊下の先に扉の開け放たれた部屋、
管理人夫婦と刑事が2名、
大きな窓から降り注ぐ陽光のもとに置かれたベッドに、
痩せこけた少女が横たわっていました。
刑事が、
少女の日記を手渡します。

老教師は、ある事件を起こし、
過疎化した
この漁師町の高校に転任してきていました。

事件とは、
生徒との好ましくない関係です。
  
老教師には、
書店を営む美しい妻がいました。
美しい妻と
平凡だけども
過不足のない日々を送っていたある日、
ひとりの女生徒が、
彼のクラスに転校してきました。
不思議な雰囲気を漂わせた少女です。
影をたたえたその容姿は、
氷山のように隆寒、
その肌は透き通るように蒼く儚げで、
この年代がもつ輝くような健康美と
正反対の
病的な美をまとっていました。
嗜好は通常
偏るものです。
ですから
光と影、
好まれるのは
光ではないのです。
騒然とする教室内、
気の早い幾人かの男子生徒が
彼女にアプローチします。
ですが、少女は、
悉く振ってしまい、
相手にすらしません。
一部の不良生徒のグループを除いて、
ほとんどの男子生徒が撃沈します。
不良生徒たちには
近づいてはならない警戒心が
働いていたのでしょうか。
そうこうするうちに、
熱は醒め、
女生徒は
恐ろしいほどの無口ぶりと相まって、
次元の違う特別な一隅を、
クラスの中に築いてしまいました。

何が少女をこれほどまで
頑なにさせるのでしょうか。
担任の老教師は
懸念をぬぐえません。
週に一度も放課後の生活指導も
はかばかしくありません。
返事はなおざりで、
孤立するその理由を
けっして明かしてくれませんでした。

老教師は
クラス生徒数40名、
40分の一の気掛かりが
徐々にふくらんでくることを、
禁じえません。
  
夏が終わり樹々が色づく頃、
女生徒が、学校に来なくなりました。
電話は、通じません。
老教師は仕方なく、彼女の家を訪問します。

出かける前、
教生時代からの付き合いだった
女性校長が彼を呼び止めました。
忠告です。

『女生徒とはいかなる場合も
垣根を越えた
親密さを抱いてはならない』

何故か?とは
問い返しませんでした。
抜き差しならぬ仲に陥り
職を追われた同僚教師を
たくさん見てきたからです。
  
女生徒は
町を一望できる小高い岡の上の
一戸建て平屋のアパートに独り住まいしていました。
ノックをすると
かぼそい返事の声が
頻繁な咳、
鍵のかかっていない扉をひらくと
ネグリジェ姿の女生徒が
ふらふら揺れながら佇んでいます。
熱に窶(やつ)れたその容貌、
風邪をこじらせていたことを
素人にも悟らせるでしょう。
  
老教師は、
ベッドに戻り
静養するように命じて、
冷蔵庫を物色、
スープを作りはじめました。

独り住まいらしい部屋の中には
家具らしいものが必要最低限に揃うだけでしたが、
キッチンを覗くと
一応の家電は備わっていたのです。
  
女生徒はベッドで眠りもせず、
老教師のお節介な背中をまぶしげに見つめていました。
相変わらず、氷のように無口でしたが、
温かいスープは、頑なな少女の心を、
少しだけ、溶かしてゆきました。
  
複雑な家庭に育ち、
聞くに堪えない暮らし、
少女は独りこの街に夜逃げするように
引っ越してきていました。
  
『少女の体力が戻るまで』

と自らを戒めながら、
老教師は少女の元を足繁く訪れ、
少女の重い口から零(こぼ)れでる
身の上話を聞きます。
  
語らいの少ない食事ではありましたが、
二人を隔てていた何かも、
いっしょに、
溶貸してゆくようでした。
  
少女とは、
特別な季節なのです。
  
そのことを、
老教師は、克明に知らされます。
  
少女は、
この世に出現したたったひとりの理解者に、
いつしか恋心を抱くようになりました。
人の思慕の量は
どのように決まり
どのように顕れるのでしょうか。

年の差なんて、気にもなりません。
奥さんがいたって、
彼の同居人程度にしか看えません。
狭視野、
見たいものだけを視る、
このトランス状態は、
心理学的にも証明されています。
この症状の顕著な特性は
麻薬のような常習性をもたらせることでしょう。

夢を語るこの世代は、
なにもしらないまま
突き進んでしまいます。
  
少女の恋はエスカレートしてゆきました。
一途な思慕は、
時には
そうでない者にとっては重荷になりかねないことを、
彼女は理解できません。

思いを雑揉し、
重ねて、積み上げ、
崩れてはまた積み上げ、
塗り上げてゆく。
経験はその虚しさと賢さを教えてくれますが、
未経験は望むまま欲するままに、
戒めはかすみ、
制御すら設けられはしません。

雁字搦めになった老教師は、
観念せざるをえないでしょう。
老教師にも、
残滓があったのです。
経験の果てにも
相応の未体験があることを
まざまざと知らされました。
忘れかけていたもの、
胸を抉(えぐ)るような
慟哭、
時の流れさえ止まるかのような
悦楽、
噴きあがるものは一つや二つではなく
それらは渦のように干渉しあいながら、
やがて一つの塊となり
沸点に達しようとしていたのです。
  
二人は一線を越えました。

ですが、
教師と生徒。
昔も今も
この禁断の関係は
祝福されません。
  
二人の逢瀬は、
秘密という甘い蜜にまみれ、
色づいた虚空の世界を漂います。
  
術なくも、
燃え上がる炎を維持させるだけの
情熱のない老教師は、
限界を悟ります。
この少女の莫大な感情を受けるのは、
自分ではない、と。
  
別れを切り出された少女は、
あっけないくらい
あっさりと従います。

ですが、いくばくかの後、
狂ったように暴走しはじめました。
  
不良生徒を日替わりに誘って連れ歩き、
老教師の前で、これ見よがしにベーゼを交します。

老教師は
むくむくもたげる感情を押し殺し、
静観するだけでした。

女生徒の復讐は
日に日にエスカレートしてゆき、
妻の営む書店のウインドウガラスを叩き割り、
無言電話をかけ続けるまでに至ります。
  
妻は、異常に怯え、夫を詰問します。
夫は、正直に白状してしまいました。
  
数十年の夫婦関係が、
この事件を境に、
ひび割れてしまうのです。

別居しよう、
妻の申し出に反駁できる資格は、
老教師にはありません。
全て、彼の責任でした。
  
しかし、少女の暴走は罷みません。

逃げるものに希望は生まれません。
踏みとどまり、
立ち向かうものにしか
希望の先にある
解決はもたらされないのです。
  
老教師は、神を棄てました。

倫理というしがらみの全てを
抛ったとも云えるでしょう。

男友達と誰もいない教室で抱きあう場面に乗り込み、
少年を殴りつけ、
半裸の少女を抱きしめます。

崩落の音を、
つぶさに聞いたでしょうか。

不倫理という背徳に、
正面切る覚悟が出来る前触れでした。
なにかが生まれるためには、
なにかを犠牲にしなくてはなりません。
犠牲にしたものがどれだけ大きかったのか、
生れ出ずる魔性には、関係のない事です。
  
教室での不純交遊は、
放り出された男子生徒の告げ口により、
学校側にしれてしまいました。
  
親友だった女子校長の弁護にもかかわらず、
職場を追われた老教師に、
妻との正式な離婚という追い討ちがかかります。
  
なにもかも失った老教師は、
一緒に退学処分となった少女の行く末を案じますが、
消息は杳(よう)として知れません。

寂れた漁村に転勤した老教師は、
黙々と暮していました。
彼が、
日々思い浮かべていたものが、
別れた妻だったのか
行方知れずの少女だったのか、
それは、誰にも解りません。
担ってしまった巨大な荷を、
少しづつ下ろすような月日が、
何ごともなく、過ぎ去ってゆきました。
  
そうしたある日、
二人の刑事が尋ねてきたのです。

少女は餓死していました。
管理人の話によると、
買い物する姿を見た事がないので、
時々、食物を届けていたが、
悲しいくらいに小食だったそうです。
  
老教師は、
いたたまれず、
ベッドの傍の大きな窓の前に立ちました。
景色が拡がるその中に、
老教師の陋屋が映りました。

なんということでしょう。
  
少女は、毎日、この窓から、
老教師を見守っていたのです。
放校されて半年、
どうやって、
自分の住まいを探し出したのだろうか。
どうして、隣に住みながら、
一言も声をかけてくれなかったのか。

老教師の胸が
茜色に泥(なず)んでいきます。

日記には、
こう記されてありました。

”わたしは贖罪しなければならない。
毎日、彼を黙って見守ることを、
命の尽きるその時まで、
つづけなければならないのだ。

あなたは、そこにいる。
愛しいあなた、
わたしは我慢する。
それがわたしへの罰なのだから。
でも、
でも、声をかけたい、  
    
大好きなあなた、

わたしは、
ここにいるよ”

奄美の歌姫による「ワダツミの木」を
初めて聴いたとき、
深夜映画で偶然視聴した
フランス映画を想いだしました。 

秀逸なこのラストシーンを、
筆者はいつまでも忘れる事ができません。

 ここに、いるよ。
 あなたが、迷わぬように。
   
 ここに、いるよ。
 あなたが、探さぬように。


 




お好み焼き屋のお話しをひとつ。

   
10年前まで住んでいたマンションの近くに、
不思議なおかみさんがいるお好み焼き屋がありました。

年のころは、どうでしょうか、
私よりきっと年上だとは思うのだけども、
自信がないのは、
女性の年が解り辛いってことのせいなんだけど、
ひょっとしたら年下かもしれないし、
とにかく、美人のおかみさんです。
ご主人のお姿をお見受けしないから、
もしかしたら、そういう事情にある方かもしれません。

最初、迷いこんだ猫のように、
怪訝な表情隠しもしなかった私に、
おかみさんは、

”いらっしゃいませ” と迎えてくれました。

そして、明石焼やらミックス焼きやらをたいらげて、
満腹、仕合わせいっぱいで清算すると、

”おにいさん、また来て下さいね”

って送り出してくれました。

ここまでは、普通のお店と同じ。

次に行ったのが、一ヶ月後くらいでしょうか。
明石焼が無性に食べたくなって、
駅の近くまで、歩いて、
その店を見つけた私のおなかは、
背中にくっつきそうなくらい、
あの通りの状態でしたから、
ソースの焦げる匂いが鼻腔をくすぐってたまりませんでした。

”お帰りなさい”

そう、おかみさんは私を迎えてくれました。
変でしょう?

で、ですね、
そんな挨拶交すほど、
常連でもなく、
親しいわけではないのです。
瓶ビール頼んだら、
グラスに最初の一杯だけ、
お酌してくれるのですが、
それも、観察する限り、
私だけにではなくて、
それが彼女のサービスなのだと思い直したりする程度で、
あとは、焼き方だとか、
店と客との普通の会話しかしていないのです。

そうだからといって、
この日も、
おかみさんがほかの客(男性ですね、人気があるようだから)のように、
世間話に花を咲かせることもなく、
ひたすら、胃袋を満たした私が清算を済ませると、

”いってらっしゃい’

と送り出すのです。
これは、かなり変ですよね。

これも常連客(私は二回目だからその部類には入らないでしょうけど)への、
お決まりのサービスなのかというと、
そうでないのだから、
ややこしくなるのです。

世間話や、もう少しつっこんだお話しを、
聞こえよがしに話し合っている常連と思われるお客さんに、
彼女はけっして、
「お帰り」も「いってらっしゃい」も言わないのですよ。

で、ですね、もうひとつ驚いたのが、
マヨネーズとか辛しとか
ケチャップ(この店はこれもかけるから)の量を必ず彼女は、
常連客に対しても焼く前に尋ねるのですが、
この日の彼女は、何も訊かずに、
イカ豚玉焼きを私の前に
私の好みの量を再現して並べてくれました。
お酌は最初の一杯だけ。
ほかの常連客には、
何度も、お酌しているのだけれども、
私は、やっぱり、一杯だけ。

おにいちゃん、
って呼ばれるのが癪にさわるから、
三度目は、ヒゲ剃らずに、行ったのです。
年相応に見えるように。
ですが、やっぱり、
「お帰りなさい」で、
「おにいちゃん、何する?」

白髪、けっこうあるし、
ヒゲにも、白いのがまじってるから、
まさか本気でおにいちゃんなんて思っていないのだろうけれども、
またまた、癪に触ってしまったまま、

”いってらっしゃい”

  と、送り出されてしまうのです。

四度目は、

 ”お帰りなさい、あ、お疲れさま”

と、私の様子に気付いて言い添えてくれました。

 ”いってらっしゃい、気をつけてね”
  
これが送る言葉。

そうして、月日が過ぎてゆき、


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ある日、17歳の娘を連れて、
食べに行ったのです。

”おかえりなさい、あ、あ、彼女なの?お似合いね”

って言うから、

「違います、娘です」って言いかけたら、

「そうですよ、似合ってますか?わたしたち」

と娘が先に応えてしまって、
随分バツが悪いことになってしまいました。
どうみたって、そんな関係に見える筈がないのに、
なにを勘違いするのだろうかなどと
、心中、ぶつぶつぼやきながら彼女を窺うと、

またね、
不思議な表情をしているのです。

おかみさんはもともと無表情に近い、
能面のようなお顔をなさっていて
、まぁ、美人なんだけど、
どこか寂しげな陰のある雰囲気で、
しっかりせい!!
っていつも元気づけてあげたくなってしまうのだけれども(したことないですけどね)、
このときはね、

母親のような、
慈愛に満ちたまなざしをくれたのですよ。

そして、私がミックスモダン、
娘がミックス焼きそばと明石焼ととん平焼きをたいらげるのを待って、
お勘定すませると、おかみさん、

”いってらっしゃい、早く帰ってきてね”

表情が変わった娘が、
私を恐い眼で射ぬく。

なんてことをあなたは、とおかみさんを観ると、

小さな舌をぺろっと出していたのです。

しばらく、行ってないけど、
元気なのかなぁ、
と思い返すわけであります。

そして、もうきっと帰らない、
こまっしゃくれた日々、

暖簾をくぐって、店に入ると、

”おかえりなさい”  の、
  
華やいだ声が聞こえてきそうで、
少しだけかなしくなるのです。