私の父母は京都の片田舎に住んだがその中でも珍しく基督教を信仰をしていた。周りは仏教 曹洞宗 の檀家であった。

彼らは熱心に信仰をしていたというよりも世襲で継いだとかし言いようがなかった。父母は内村鑑三の提唱する無教会主義基督教を信じている。その家庭で育った私と弟はその雰囲気の中で自然と基督教を信じた?! 特にクリスマスは大きな楽しみの一つであった。 家の前に大きな樅の木があって その枝から1本切り出して家に運び込むのです。 枝ですから映画のような円錐形ではなくて手のひらを広げたような枝を木戸に縛り付けた変則てきなもの

それに飾り付けをしたものです

 

食事は母が巻き寿司と鮭の握りを作ってくれて その当時は年に一度の豪勢な食事だと思いました。 食事の前に父が一年 感謝と聖書朗読 讃美歌を歌って 食事でした 最後にケーキを食べたことを思い出しました 質素だったけれどそれはアメリカのピューリタンにも相通じるもので戦後の商業主義クリスマスとは一線を画するものでした。

 

時は経って私は父が生前師事していた聖書の研究会に参加するようになった。内村鑑三は組織化された教会や建物を持たずただ聖書の言葉のみの人であったから 教会の祭壇とかもイメージが無いし十字架の象徴的なイメージも無かった。

ただ私はユダヤ教に知り合いができそれに非常に惹かれた。

ユダヤ教は基督教の根っこの部分でありこれが理解できないとキリスト教は本当は理解できない。

 

私は今回中国の通販タオバオで面白いものを見つけた。

中国の基督教徒人口の10%を超え 日本の1%以下よりはるかに多いのです。 絶対母数が大きい中国はその数も 中国の共産党員より多いと聞きます。 

だからタオバオには基督教グッズが多く販売されています。

また商魂たくましい中国人ですかイスラエル土産などもあり昔から気になっていたユダヤ教の小物も手に入ります。

 

 

今回このグッズから選んで本箱の隅に祭壇を作りました

といってもただ並べただけですが・・・・・

 

 

①上段  七枝燭台 (メノラー)  これは基督教会にも

 ありますが、神の臨在を象徴しています。集会中はこの燭台に

 火を灯すのです。出典はエレミヤ記1章で若きエレミヤが神の召命を受ける時に『私はあめんどうの枝をみます』 あめんどうの木はイスラエルで春を告げる植物

 

 

② 中段  契約の箱 (聖櫃)  

 これは出エジプト記でモーセが十戒の石板を入れたもの

乳と蜜の流れるカナンの地を目指しイスラエル民族の先頭に立って進んだ  契約の箱には2つの石版 蓋には守護天使セラピムとケルビムが形どられている。 模型にはアロンの杖から葉が出た故事も再現 106元したが納得の品

 

 

③ 下段  英文と日本文聖書  英文はKJV版

祭壇の真打はやはり神の言葉が記された聖書 今の聖書はほぼ50年使っているので私の分身みたいなもの

今では携帯電話に聖書をダウウンロードし気軽に何時でも読める

時代になった。携帯聖書は英語 中国語 日本語 多言語も可能

そしてグッズはダビデの星 (六芒星) で香港の代理店から入手

宣伝では車に貼り付けるものらしい

 

 

え!?

十字架が無い という人がいるかもしれませんが 十字架が

基督教の象徴と言いますが あれは時代がもっと新しいくなってから ローマ時代の原始基督教徒は魚の象徴を使っていた

IXTUS (イクスース) イエスキリストは神の子 の意味

ギリシャ語でその頭文字を付けると 『魚』 の意味

 

自分も今年脳梗塞を患ってから心の中にある事を表面化しないと

いけないと思った次第です。 家内も理解してくれました。