朝の散歩道で見つけた 可憐な草花たち

多分彼女たちを見る人たちはほんの数人だろう

また、人に見られなく枯れていく花もあろう

朝に咲き夕暮れには萎む草花たち

聖書に『ソロモンの栄華もこの草花には及ばない』 けだし名言である。

私たちは彼女らについた名前さえ知らない

人類5000年の歴史で最も栄えた文明をもっているが

その教育でこれらの花の名前さおぼろげなのです。

大学を出た人でさえ名前を知らない。 環境破壊は平気でするのに

だから草花の名前を知っている人たちを尊敬してしまうのです。

 

この草花は年に定められたときに開花する

そんなタイマーがその小さな身体にかくされている。

科学は彼女の中のDNAを識り その偉大さに膝まずかなければならない。

 

小さな雀が工場の中に迷いこんだりしているが

この小さな体にどうして神秘なる生命が宿るのか

はたまた不思議なのです。

 

私は宗教家でもないし立派な説教をする人でもなく 一介の平信徒ですが

この自然界にあって時間空間を越えた定理が存在すると思う。

それは聖書を外しても自然科学だけで十分神秘なのです

私は電気技術者なので磁界や電界 ニュートン力学 熱工学 照明 自動制御を学ぶと

不思議と自然界は数式に満ち満ちている そしてそれは一定の関連法則に従っている

偉大な科学者が宗教に目覚める  これは自然な流れでしょう。

 

さて 最近この言葉が心に刺さった。

人は一度だけ死ぬことと 死んだ後裁きを受けることが定まっている。

                         聖書  ヘブル人への手紙  9;27

 

 

人生は死から逃れられない。これは誰でも知っている人生の公理

貴賎にかかわらず金銭で贖うことはできない。

私はその後の 人は死んだ後裁きを受けることが定まっている。

誰が現代において真剣にこの言葉の意味を理解しているだろうか?

昭和の時代には 『嘘をついてはいけない』  『お天道様に恥ずかしくない生き方』  

など子供の頃に良く聞いた言葉で 父母また近くのおじさんからも聞いた。

それは『天に恥じない生き方』を要求されているのではないだろう

転じて聖書では 裁き 意識してこの世を生きること

裁きの結果には二方面があり  端的に言えば永遠の地獄、神の国の市民権

ダンテの新曲はこれを如実に物語っている。

人は生まれながらにすでに大きなハンディを持ち 人の努力の域を越えている

特に最近は新資本主義が持たざるものと持てる者の差が余りにも大きい。

では これらの精算は如何に何処でなされるのか疑問を持たないか?

持たない人はおめでたいし幸せな人です。

 

裁きの 場面を想像してください

神の子イエス・キリストの前に立つ厳粛性(ここは納得できなければ閻魔大王でもいい) 

彼の持つ巻物には あなたが生前行った行動業績がしたためてあり

一目瞭然に功罪を糾弾される  その時の言い訳は許されない

世の中が悪い あの女に騙された  会社のために  とか

主は砕けた魂を喜び給う で素直に認めて お許しください と言った

ものが神の国に入れる。 義人 善人は一人もいない。

その雰囲気は一切の虚言を許されない

厳粛な世界   そして脱落者は永遠の地獄に送られる(ダンテ 神曲地獄編参照)

こういうことは先人たちが口を酸っぱくして説いている。

その場面を認識して生きたものとそうでない者との差は歴然と

なって現れる。 呪われているのは自由な現代人なのかもしれない。

 

今の令和と言われる時代 子供のいじめは後を立たず 社会では

パワハラ セクハラ など醜いいじめが横行している。

私は直接の解決策は分からないが 人として基本的な人格教育の欠落

お天道様に恥ずかしくない生き方  嘘は泥棒の始まり みたいな

ことを言ってくれる 先輩が沢山いた。

 

今は切れる老人 モンスターペアレント など道を率先して示して

くれる人がいなくなった 自由とは 勝手気ままと違うし

時代 空間 社会によって支配されているので 制約は非常に多い。

自由とは それらの制約の中で自分の為すべき使命を自覚した

人に与えられるのではなかろうか?!

 

そういう意味では中世ヨーロッパが暗黒とのレッテル貼りがあるが

教会を中心に生きることと死ぬこと 来世を真剣に考えた時代であったことを

省みる必要があるだろう。 ミレーの晩鐘  はその

世界を如実に物語っている。 人類は厳粛に頭を垂れる人生を学ばなけらばならない。