ジェルバを離陸してからチュニスまではものの一時間程度だった。真夜中の移動はあまり安全ではないので、ガイドブックで選んだ街中のホテルにタクシーで直行し、部屋に入るやすぐに休んだ。これであと二日の余裕ができた。

 

 翌朝、大きな時計塔が目印のハビブ・ブルギバ通りを歩いて首都近郊を結ぶ在来線TGMの駅へと向かう。

今日は有名な衛星都市カルタゴとシディ・ブーサイドを訪ねようと思う。やがて辿り着いたチュニス・マリン駅で切符を買い、ホームで待っていると、青くてやや古い電車がやって来た。車体には結構落書きが書かれている。乗客はそこそこ乗っており、僕達は吊り革につかまって揺られながらしばらく外の景色を眺めていた。

 途中聞いた名前の駅に停車する。僕が唯一見たことのあるチュニジア映画「ラ・グレットの夏」の舞台となったラ・グレット駅だ。映画ではカンツォーネ風のアラビア語の歌がバックに流れ、白い建物が並ぶ国籍不明な地中海の町だった。一度歩いてみたいと思っていたが、今回は時間的に難しそうだ。もうしばらく揺られて到着したカルタゴ駅。古代帝国の都の名を持つその駅舎は、東京なら京王線の各駅停車しか停まらない駅並みに小さかった。そこは歩ける範囲内に古代の建築跡が点在している遺跡の町。そして目立つのは高級住宅。首都が近く、文化の香りがする衛星都市だけに、ここに住むことがステイタスなのかも知れない。

手始めにこれら遺跡から出土した彫刻やモザイク画等を展示したカルタゴ博物館を見学した。

今のレバノン辺りの東地中海を拠点とした中東系海洋民フェニキア人によって北アフリカ沿岸に作られた帝国で、ローマ帝国を相手に二度に渡るポエニ戦争を戦い、名将ハンニバルの活躍でローマを苦しめその名を馳せたものの、最後は敗北して滅亡した。僕のカルタゴに関する知識は昔世界史で習ったこの程度だった。なので展示物を見て感激するほどの知識は残念ながら無かったが、意外とローマナイズされていたんだな、という程度の印象はあった。フェニキア人の国とは言いながら、神像一つ取ってもレバノンで見た古代フェニキア時代の出土品とは違う。時代が違うから仕方無いし、これらローマ風の神像はカルタゴが滅ぼされてローマ領になってからのものかも知れない。いや、カルタゴ全盛期のものだったとしても、ローマと渡り合う程の力を持っていたのなら文化面もローマの影響を大きく受けていたに違い無い。頭ではわかっていても想像以上にローマだったという驚きが強かった。もう一つ印象的だったのは展示品と言うより、その傍らに貼られた当時の街角の想像図。道行く人々が褐色の中東風だけでなく黒い人も白い人もいて、みんな同じような服装で描かれている。特定の民族から植民地的な支配を受けているわけではなく、多様過ぎる民族が似たような生活をして共存している風景がこんな古い時代にあったというのは新鮮な驚きだった。そう言えばカラカラ帝等カルタゴ出身のローマ皇帝だっていたぐらいだし、民族を問わず能力次第で出世できる何らかのシステムが機能していたのかも知れない。そうなってくると、何がローマ風で何がカルタゴ風なのかすらわからなくなってきた。


 博物館近くで見つけたちょっとオシャレなレストランで昼食。メニューの写真から美味しそうな料理を何品か頼んでみた。先日トズールで食べたオジャに近い肉や野菜の煮込み料理とピラフがセットになっていた。チュニジア料理って中東料理と言うより地中海料理と言った方がしっくりくるな。 

午後はレストラン近くのスーパーでお土産用のオリーブの実を購入した後、閑静な街中を散歩するようにローマ人居住跡やビュルサの丘の城壁といったカルタゴ史跡群を順繰りに見て回った。

やがて4箇所目か5箇所目に辿り着いたのはアントニヌスの共同浴場跡。ローマ風の柱と石積みの壁や床の跡が海沿いに佇む。僕とT氏がしばらくその風景を眺めていた時、お互い何かを感じたのか、次の瞬間二人で同時に同じ言葉を発した。

 

「決めた!」

 

T氏はそれに続けて言った。

「地図に載ってるカルタゴの遺跡、全部見て回る!」

僕も同時に続けた。

「カルタゴはもう十分だから、シディ・ブーサイドに行く!」

両者後半の言葉はまさかの正反対な決意宣言だった。それもちょうどいい機会。僕とT氏は今回の旅で初めての別行動を試みることにした。僕は一足先にカルタゴを離れてシディ・ブーサイドに行き、夕方T氏が後から追いかけ、合流するというプランを組む。僕の携帯はこちらでは全然使えなかったので、連絡用にとT氏が仕事用携帯を貸してくれた。

 

 そんなわけで僕は一人カルタゴの駅で切符を買い、ホームでTGMをしばらく待っていると、ちょうど下校する男子中学生達と鉢合わせた。大声で会話しバカ笑いしていたり、タバコを吹かしていたりしてあまり行儀の良い連中には見えなかったので、彼等のいる場所から離れ、ホーム隅っこのベンチに腰を下ろしていると、連中のうち二人の少年がわざわざ僕の座るベンチの方まで来て隣に座った。僕が特に構わずにガイドブックに目を通していると、すぐ隣のタバコをくわえた少年がこちらを向いて「ニーハオ」と言ってきた。「こんにちは」と日本語で返し、日本人だと伝えたが、相手もアラビア語しかわからないのでその後の会話が続かない。この少年、タバコなんか吸っているがかなり子供に見える。そこでガイドブックの後ろの方にある簡単なアラビア語会話のページを見ながら、片言で年齢を聞いてみた。いくつに見えるかと聞き返されたので、15という意味のハムスタージと言ってみると、正解だったようで嬉しそうに大きく頷いた。その後は彼等二人の写真を撮ってやったり、韓流ヒット曲の「ガンナムスタイル」は正しくはどう発音するのか聞かれたり(それ、僕に聞かれても困るのだが)しているうちに電車がやって来た。

 

 少年達と一緒に乗り込むと、中は彼等と同じような男子中学生がウジャウジャ。途中途中の駅で乗ったり降りたりして遊んでおり、前の電車に乗っていた少年の一団がどこかしらの駅からこの車両に乗り込んで来ると、元々車内にいた少年達がどっと湧く。そしてまた何人かが途中下車して次の電車が来るまでホームで待つといった具合に帰りの電車を完全にオモチャにしていた。昔訪れたモンゴルでは、小学生ぐらいまで料金がタダであるのをいいことに、路線バスの途中途中で乗ったり降りたりを繰り返して遊ぶ悪ガキ達を見たことがあったが、正に同じような感覚。車内のほとんどがそんな少年ばかりだったので居心地は良くなかったが、電車は間も無く目的地のシディ・ブーサイド駅に到着。彼等に軽くバイバイと言ってさっさと降りるのだった。

 

 後日談であるが、タバコを吹かしていたあの不良少年は僕の帰国後、SNSを通じて連絡してきた。写真を欲しがっているのかなと一旦挨拶のメッセージを返すと、それに対する彼の返信はなんと悪口で、画面の前で思わず固まってしまった。ま、最初の印象通りそういうレベルの連中だったんだな、と思うしかない。とりあえず約束だったので写真だけは送り、その後速やかに友達解除と着信拒否をさせてもらった。世界中どこにだっている悪ガキにたまたま運悪く出会ってしまっただけ。チュニジア人自体は何も悪くないんだからな、そう何度も自分には言い聞かせたが、その日は旅の写真を眺めるのをやめたのだった。

 

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