カルタゴと同じような小さな駅を降りる。

石畳の敷かれた通りに並ぶ建物という建物は真っ白に、窓枠や扉はマリンブルーに統一されたそこの街は正に青と白の世界だった。やや高台の所に角柱形のモスクがあったので行ってみた。

僕がイスラム圏を旅する時に観光向けか否かを問わず時折モスクに寄るのは、トイレ目的な場合も多い。礼拝前に手足を清めるマナーがあることから、シャワーホース付きの水洗トイレにありつける確率が高いからだ。

 

 すっきりした後、街を散策。

その青と白の世界、実は白い塀を隠すように紫色の花々が生い茂っていたり、青い屋根からかぶさるようにオレンジがたわわになっていたり、インパクトあるカラーのワンポイントが所々に現れるのが洒落ている。

土産屋ではこの街の配色をベースにしたタイル飾り、そしてなぜかモスクを象ったような葱坊主風の鳥籠がよく売られていた。さすがにそれは持ち帰れないので、数センチぐらいのミニチュア版を買ってみた。

かつての王侯貴族が住んだ家の様子が再現されているのはダール・エル・アナビ博物館だ。そこは家具や壁に宝石が散りばめられたゴージャス過ぎる部屋に貴族と思しき煌びやかな衣装をまとった女性のマネキンが座る優雅なアラブ世界。

どこか懐かしさを感じたのは、決して僕がそんな生活をしていたからではなく、少年時代に行ったつくば科学万博のチュニジア館で見た展示と全く同じだったからだ。

あれが初めて見たアラブ世界の情景で、その頃からチュニジアがアフリカにありながらアフリカらしからぬ国という印象を強く持っていた。西アジア文化圏はどこまで続くのかという探究心が湧いたのもあの頃からだったと思う。

 メインストリートから少し離れて脇道を歩いて行くと一軒のカフェを見つけた。中でも座れるし、店頭に沢山テーブルが置かれたオープンカフェになっていた。ちょっと座って行こうと思ったら店員がいない。奥に誰かいないかと中に入り、ふとあるパーテーションの向こうを覗きこむと、男女の若者達が4、5人コーヒーを飲んでいた。彼等は僕を見るや一斉に腹を抱えてバカ笑いし始めた。何だかこの上無くバカにされたようでムカッとし、さっさと店から出ようとしたが、この時店主らしき男性が奥から出て来て、僕の方に慌てて駆け寄ってくると丁寧な態度で席を勧めてきた。僕は外側のオープンカフェスペースを希望し、一杯頂いて気を落ち着かせた。

 ともあれ体力は回復したので、もう少し歩いてアラブ地中海音楽博物館へ。ここはかつての文化サロンとして音楽の生演奏を楽しむ所だったようで、さっきの博物館同様、どこの壁も豪華絢爛に飾り立てられていた。壁には縁取りが施され、パッと見ると襖の部屋にいるような錯覚を覚える。

今でもコンサートが行われるようだが今日は催しが無くちょっと残念。館内も静かで見学者はほとんど僕一人だったが、この雅な空間の各所にアラブ世界の様々な楽器が展示されていたのでゆっくり見て回った。琵琶のようなウードに、琴のようなカーヌーン、胡弓のようなルバーブ、そしてダルブッカという小太鼓等シルクロードを通じて日本の伝統楽器とも血の繋がっていそうなメイン所の楽器群はもちろん、モロッコで盛んなグナワというアフリカ文化と融合した地域特有の音楽で使われる弦楽器や鳴り物も展示されており、幅広く網羅されていた。

 

 見学を終えた僕がT氏に電話で連絡すると、ちょうど彼もシディ・ブーサイド駅に到着したとのこと。メインストリートに戻ってアイスクリームでも買って食べていると、やがてやって来たT氏と無事再会できた。彼もじっくりカルタゴ遺跡を回って満喫できたらしい。

 辺りが暗くなってきたので夕食を食べようということで、良さげなレストランを見つけた。中庭が美しく、ゆったりしたソファーに座って食べられるこのお店はちょっと高級料理店に属する所だったが、チュニジア最後の夜ということでエイヤと飛び込んだ。案の定ここで払った勘定で僕は文無しとなり、明日の朝からパリの空港に着くまでに発生する費用はT氏からお借りすることになってしまった。大方ジェルバからチュニスまでの空路を提案した影響だと思うが、いろいろ無理を聞いてくれたT氏には感謝である。ここでのメイン料理はタジン。ああ、最近日本でも定着しつつある煙突付きの陶器鍋で蒸した肉野菜の料理ね。そう思っていたら、店員からチュニジアのタジンはモロッコのとは全然違うよと言われた。どう違うのかは言葉ではわかりにくいので実際注文してみたら、見た目も味もキッシュのような料理だった。同じアラブ、同じマグレブ圏にあって同じ名前を持ちながらこんなにも違うなんて。

 ところでシディ・ブーサイドのブーサイドって、ひょっとして普通のアラブの国で言うアブ・サイードのことかな。一応サイードという息子がいる男性の愛称だということぐらいは何となく知っているが、基本アラビア語ど素人なのでよくはわからない。そう言えばアルジェリアにもブーテフリカとか、ブーメディエンと言った大統領がいたようにブーなんとかって言う名前が多いな。他の中東ではあまり聞かない所、マグレブ方言独特の言い方なのだろうか。それともフランス領だった影響でローマ字に起こす時にフランス語風の表記になったから他と微妙に違ってしまったのか。他に客もいない豪華でゆったりとした空間だったので誰にも確認できなかったが、食後のチャイを片手にそんな素朴な疑問や仮説を勝手気ままに巡らせる僕達であった。気付くと夜の9時を過ぎ、慌てて駅に向かうとTGMまさかの終了。ウロウロしていたら駅前に一台タクシーが停まっていたのを発見。横浜から東京に帰る感覚だよなぁ〜、なんてちょっと悩んだが、他に方法が見つからないのでさっさと乗り込んでホテルへと帰ったのであった。