まさか再びこの街にやって来るとは思わなかった。見覚えのある噴水の広場。それを円形に囲むように佇む赤色の古い建物。ハンラペトゥチャン・ハラパラックという舌を噛みそうな現地語名もまだ覚えている。バスは遂に旅の終着点エレバンは共和国広場に到着した。前回宿泊したこの広場にあるホテル・エレブニに早速行ってみたが、団体が泊まっていて満室とのことだった。典型的なインツーリスト系(ソ連色濃厚な)ホテルだったはずだが、すっかり小綺麗に様変わりしていたのに月日の流れを感じざるを得ない。

広場の交差点でいきなり妙なオヤジがアラレちゃんの「キーン」をしながら突進してくるなんて手荒な歓迎を受けた。誰構わず突進して、その反応を面白がる酔っ払いであった。全く、昼間から何やってるんだ。

 

僕達は広場の待ち合わせ場所である日本人と合流した。現地の大学で日本語を教えるH先生。一緒に来た現地の奥さんであるリリットさんは日本語が大変上手で可愛らしい人だった。日も暮れてきたので僕達四人はライトアップされた噴水近くの料理店で夕食を摂った。前回訪れた時、アルメニア料理店は高級な所しか見当たらなかったので、僕は大感激。特にアルメニア語で「子供を黙らせる料理」という名の一品は最高に美味。少し濃い味付けの肉を炒めた中華にも似た親しみやすい料理で、本当に言葉数が少なくなるほど味わってしまった。

元々O氏が日本のSNSで見つけ、コンタクトするに至ったH先生。想像より若い人だと思ったら、僕達と同世代。しかも世界中を旅した元バックパッカーだそうだ。旅仲間の誘いで脱サラし、フィリピンで日本語教師となり、その後いろいろな繋がりで2009年、ここアルメニアで教鞭をとり始めた。そして現地女性との結婚を機に永住を決意したそうだ。今は日本語教師のみならず、日本から寄贈された書籍で作る日本図書館や、この国とのビジネスを考える日本人へのサポート組織の創設等、様々な構想を少しずつ進めているらしい。過去や未来の話が次々と飛び出し、話していて圧倒されるようなバイタリティ溢れるキャラクターで、正に新天地の先駆者とはこういう人なんだなと感じた。ただ口数少ないながらも一連の日本語の会話を全て理解し、ここぞという所できちんとコメントしてくれるリリットさんの存在はかなり大きい。アクティブでアイディアをいっぱい持った日本人、そして理解あるしっかり者の現地パートナー。何かこの人達はうまくいきそうだな。

 

翌朝、僕達はH先生と待ち合わせ、アルメニア言語大学に案内してもらった。午前中は特別授業と題して日本語を学ぶ学生達との交流会を設けてくれた。慣れた足取りでアパートの通路や裏路地を歩くH先生の肩にはギターが担がれていた。徒歩15分程で到着した大学はやや小規模。薄暗い廊下を通って教室の扉をくぐると、中には15, 6人ぐらいの生徒達が待っていた。しかも一人除いて全て女性という構成は先日のバクー国立大日本語科の教室と同じ。やはり語学は女性の方が圧倒的に強いということか。

H先生による紹介を受け、僕はうる覚えのアルメニア文字で黒板に自分の名前を書いた。一箇所スペルミスがあったのはご愛敬。時間はバクーの時よりも短く、こちらも彼等の日本語レベルがよくわからないのであまり会話の交流はできなかったが、何せアルメニアだけにどちらを向いても美女ばかり。大きな瞳と濃い眉毛のエキゾチックな中東風、小柄で色白、清楚な雰囲気の東アジア風、欧米人そのもののようなセクシーギャル風等、民族の十字路を担った歴史によって形成された美女達が一斉にこちらを注目するものだから、目のやり場に困ってしまった。だが最後はギターが得意なH先生の演奏に合わせて「翼をください」をみんなで熱唱して終了した。彼は授業の中でJ-POPを教えるのが定番らしい。

特別授業の後、リリットさんの案内で昼食を食べ、その後H先生も合流してアルメニア日本文化センターに連れて行ってもらった。昨日彼が語った日本語図書館計画の出発点とも言える場所で、小説や漫画等様々な日本の本がセンター中の本棚を埋め尽くしていた。現状ではまだこの国における日本語学習者も微々たる人数だし、近いうちに劇的に増えるとは思えない。ただ10年、20年単位で考えれば、今では想像もつかない変化もあり得る。ビザ制度の緩和、国際情勢の変化等、きっかけ一つでこの国と日本の関係がより身近になる可能性はある。そんな動きを現地で敏感にキャッチできるH先生夫婦なら、いずれはここを中央アジア・コーカサス地域における最大の日本語教育拠点にだってできるかも知れない。そうなればきっと、東京でアルメニア料理を楽しめる時代だって来るかも知れない。僕に何ができるというわけでもないが、遥か先の見果てぬ夢を一緒に見たくなったのだった。

お世話になったH先生夫婦に感謝し、更なる活躍を祈願してお別れした。O氏はあと一日エレバンに滞在予定だが、僕は今日一足先に帰国する。H先生と別れる時、エレバン駅近くで行われている青空市場の情報を頂いたので、出発まであと少し残った時間を使って早速地下鉄で行ってみることにした。

そこにはアルメニアの民芸品や民族楽器、ソ連時代の軍服やら勲章やら、どれもこれも興奮するグッズが現地価格で売られており、じっくり見入ってしまった。

いつもの僕なら最終日だしごっそり大人買いしてしまう所だが、何だか少し疲れてしまい、特に何も買うことなくO氏に別れを告げてタクシーに乗り込み、モスクワ、ソウルを経由する遠い、遠い帰路に着いたのだった。

 僕の今回の目標であったアゼルバイジャン訪問は旅の前半で実現してしまい、後半はほぼ付き合いであったこと、バスや民泊を中心とした完全なるバックパッカー旅への体力的限界、道中で度々起こる意見の相違への疲れ等、要因ならいくらでも挙げられるハードな旅であり、自分に合った旅スタイルって何なのか、ゆっくり考えたい気持ちにもなった。しかし、目標外であったとは言え、初欧州のジョージアも、訪問二回目のアルメニアもよい体験に恵まれ、楽しい時間を過ごせたことは間違い無い。O氏も今回の旅には欠かせない頼りになる旅仲間であるし、長期間一緒に行動すれば多少モメてしまうのは当然。

アジアが多種多様なだけに、それぞれの国情によって自分に合ったスタイルがきっとあるのだろう。ま、旅に出る機会というのは縁と共に突然湧いてくるものなので、各回思うようなスタイルというわけにはなかなかいかないけど、忘れがたい各地の人々とのふれあいも、楽しい体験も、そして疲れもみんなひっくるめて旅なのだから、すべて受け入れてまた次に臨むのがいいのだろう。疲れは数日経てば消えるが、次のアジア旅への思いはずっと消えることが無いのだから。


(今回でコーカサス三国旅行記は完結です。読んで頂きありがとうございました)