それはソ連時代からそのまま使われていると思しきくたびれたロープウェイ。乗り場の窓口に小銭を払って定員三名ぐらいの小さな車体に乗り込む。

ゆっくり揺られながら高台の集落へ向けて出発。眼下に広がる渓谷の美しさと車体のボロさから来る恐怖感を同時に味わうスリル満点の五分間。そこはさすが長い間庶民の足であるだけに特に問題無く到着した。こちらの集落には何があるわけでもないが、出会う人々が皆僕達に対して微笑んで歓迎してくれる。

そこへ僕が片言アルメニア語でバレーヴ(こんにちは)なんて挨拶でもすれば、一層はじけた笑顔となり、写真撮影会が始まったりして楽しい雰囲気を満喫したのだった。

 

 夕方ゲストハウスに戻ると、リビングのテーブルにはイリーナさんが腕を振った料理が並べられていた。旦那さんのステパン氏、それにスペインから来た夫婦の宿泊者も交え、一緒に夕食のひと時を楽しむ。ここにいる全員英語は母語ではないので、それぞれシンプルな英語での会話となり、楽な気分で盛り上がったのだった。

僕達が部屋に戻った後、明日の行動予定で少しO氏と議論になった。ここアラベルディは単に旧ソ連的廃墟の街だけが見所ではない。郊外にはサナヒン、ハグパット、オズンといった10世紀頃の教会や修道院跡が密集した場所でもある。代表的な所だけでも六ヶ所あり、彼はそれらを全部回りたいと言う。一方の僕はそこまで史跡が好きとか詳しいとかでは無く、沢山見た所でどこもほぼ同じに感じて最後は忘れてしまうので、代表的な二ヶ所に絞り、早いとこ最終目的地であるエレバンに向かおうと思ったのだった。言葉が通じ易く交通も便利な場所であれば、明日は別行動にできるが、ここはそうもいかない。郊外散策にタクシーもチャーターする。キャラにもよるが、ある場所に行きたい人と行きたくない人が旅先で議論すると、行きたい人の方が熱意ある分意見が通り易いのかも知れない。また来る機会は恐らく無いのだから後悔しないコースで回りたい、ということで結局六ヶ所回ることになった。ま、もう一方が後悔する結果にならなければいいのだが。

 

翌朝、イリーナさんが作ってくれた朝食はブリンチークというクレープっぽいロシア料理。ほどよい甘さが絶品で、昨晩全面的に譲歩した僕もちょっと元気が出た。イリーナさんが手配してくれた地元のタクシーは当然アルメニア語とロシア語しか通じず、運転手の気まぐれで巡回した所がどの教会跡だったのかはほとんどわからない。わかったのは最初に訪れたのが10世紀頃に建立された世界遺産であるハグパットだったことぐらい。

山間の野原にぽつんと佇む黒ずんだ石作りの建物は一見お化け屋敷。中も真っ暗なのだが、中央の天井に光取りの穴があり、そこから入る宝石のような光にしばし目が眩む。

その光は強いと言っても決して堂内を明るく照らしてはいない、と言うかほぼ闇のまま。だがアーチ形の回廊の所々にある聖画のある箇所だけははっきりとカラフルに照らし上げているのだ。

まるでこれら聖画の後ろに蛍光灯でも設置しているかのような輝きを演出できるのがなぜなのか、いや、そんな所からも奇跡を体験できる施設だったからこそ何百年も修道院として栄えたのかも。

他の教会跡一つ一つはほとんど記憶に残らなかったが、ちょっとした印象をいくつか。ある教会はそれ自体よりも周囲の墓地が気になった。家族の写真が埋め込まれたお墓があったのだが、墓標の裏側には何と崖から車が転落する様子が彫刻されており、ゾッとした。死因まで墓標に刻むとは。ある小高い丘の上に立つ教会では、たまたま近くを通りかかったアルメンという11歳の少年が一緒に登って案内してくれた。またある教会では周囲の花畑で無心にお花を摘んでいる少女がおり、やって来た僕にお手製の花の首飾りをプレゼントしてくれた。

 

タクシーは予定していた教会跡を全て回った後、エレバンまで行くバスの発着所まで送ってもらう予定だったが、道中エレバン行きのバスが停車しているのを見つけた運転手は、そのバスに声をかけ、早くあっちに乗れ、と僕達を促した。急いでバスに乗り込んで座席に着き、アルメンにお礼に渡した日本のお菓子の残りを頬張り、首にかかった花飾りを見つめていた。灰色に曇ったアラベルディの空から差し込む宝石のような光が車窓から見える。ささやかに僕の心を洗ってくれたアラベルディの人々にこの光がいつまでも降り注ぐことを祈りながら、僕の意識は未舗装道路の揺れと共に心地よく遠のいていくのだった。