大変ご無沙汰しております。旅もご無沙汰だったのですが二年も更新していなかったんですね。今年3月、台湾旅行に行ってきました。旅行記新シリーズを始めたいと思いますのでまたどうぞよろしくお願いいたします。

 

上海に駐在していた時、旧正月の連休で台湾を訪れた。ほとんどのお店や名所はクローズし、駅周辺も外国人労働者以外ほとんど人気の無い台北に一人ポツンと過ごした日々。コンビニでおにぎりを買い、総統府前のベンチで一人頬張りながら、こんな所で一体何してるんだろう、と自問自答しただけの旅。周囲の友人に台湾好きが多い中で口にはしづらかったが、これまで訪ねたアジア40数カ国の旅の中、僕の中で最も楽しめなかった国となってしまった。僕はこの国の楽しみ方を知らなさ過ぎた。旅の終盤、夜明け前から一人阿里山を登頂し、霧の中から眩しく輝くご来光を見ながら次回来る時はもっと楽しんでやる、とリベンジを誓ったのは民国89年、つまり2000年の出来事だった。

 

とうとうあれから十数年の時が過ぎ、家庭を持つ身となった。子供も生まれたので、2013年のキルギス、カラカルパクスタンの旅を中締めにアジア旅も控えていたのだが、今年職場でちょうど勤続休暇を頂けることになり、家族初の海外旅ということで、台湾リベンジ再訪プランが沸き上がったのだった。今年で3才になる娘、しーちゃんは台湾どころか、ここが日本である認識すら持っていないし、まだグルメや観光を楽しむには早い。そして外国語が全くNGの妻、なーこ。この二人と一緒にそれぞれが楽しみたいスポットをまとめ、プラン実現に向けて力を合わせる。これまでの一人旅とは全くスタイルが異なるとは言え、家族での旅行もまたある意味新たな旅への挑戦ではないか、そう思ったのだった。

 

 朝6時に起床。しーちゃんも一応起きるが当然まだ眠く、ギャン泣き状態から一日がスタート。羽田空港までのエアポートバスの道中はとりあえず順調。幼児からすればいつまで待つのか、どこまで歩けばいいのか、そもそも目的地に着いたのか着いていないのかも想像つかない中で乗り継ぎをこなし、更に台北行きの飛行機の約三時間、おとなしく座っていてくれたことに拍手である。最近ディズニー映画にハマっているので、機内上映されていた新作「モアナと伝説の海」が彼女の心を掴んだことに随分助けられた。

 午後3時頃、台北松山空港に無事到着。三人それぞれが持つ最新のパスポートに初めての入国スタンプが捺された。荷物を受け取り、通関ゲートを抜けるや否や、のど渇いた、お腹すいた、お菓子食べたい、帽子かぶりたい、パズル(自宅から持参した)で遊びたい、バギーはヤダ、抱っこ! ガマンした分だけしーちゃんのワガママ大爆発。荒れる彼女をなだめ、何とかタクシーに乗り込んで一路台北駅へ。今回のプラン、最初の訪問地は台中なので、ここがゴールではない。これから高速鉄道に乗るのだ。駅到着時に支払った台湾ドルの中に、僕が前回訪台した時に手元に残った100ドル札が混じっていたのだが、これはダメと突き返された。あぁ、早くも時代の変化に直面。

 

 駅に入ると高速鉄道を意味する「高鉄」と書かれた窓口を発見。長蛇の列に並ぶ中、しーちゃんが力尽きて眠りだしたので、なーこが抱っこし、僕が全ての荷物を担ぐことになる。「妊婦・障害者専用」という窓口の列は空いていたが、「幼児連れ」とは書いてないからやっぱりダメだよね、と普通の列の最後尾に並ぶ我々はやはり日本人。並ぶこと約ニ十分。順番が来るまであと二人になったその時だった。急に駅員が現れて大きな声で言った。

 「ここは予約券の窓口なので、当日券をお求めの方は地下の専用窓口に行った方が早いです。」

「当日券」という言葉につい反応し、この列では当日券は買いにくいのかと判断してしまった僕、思わず列から離れ、地下の窓口へ足を進めていた。結局そちらの窓口もそこそこ行列ができており、更に10分か15分並ぶことに。今思えば、あのまま待っていればすぐに順番が回ってきたものを、ちょっと痛い早とちりであった。ずっと娘を抱っこしているなーこには負担をかけてしまった。一番早い午後5時半発の台中行きは少し混んでおり、三人並んで乗りたいのなら、次の620分発がお勧めだと窓口のお姉さんが親切に教えてくれたので、最終的にベストな切符を入手することができた。ま、最初の窓口は予約用だったわけで、僕達があのまま並んでいたとしても、当日券はここじゃない、と突っぱねられる可能性もあった。結果で見ればこれでよかったのかも知れない。

 

 しかしなーこが熟睡の娘の対応をしている以上、僕は背中にリュック、肩にはバッグ、右手に大型のトランク、左手に折りたたまれたバギーという状況。重い物で両手が使えない中、更に車中で食べるパン類や飲料水を購入しなくてはならず、正直疲れは限界に来ていた。これまでの旅では体験したことの無い別のハードさを実感。ともあれ高速鉄道の待合ロビーまで何とか移動でき、やがてしーちゃんも目を覚ます。肩車などしてあやしているうちに6時が過ぎ、発車時間が近くなった。エスカレーターでホームに降りた我々一行、わかりにくい乗り口の場所を近くの人に聞きながらとりあえず無事台中行きの鉄道に乗り込む。

この高速鉄道は新幹線の車両技術を取り入れていることから、別名「台湾新幹線」と呼ばれている。その別名は早くて快適なイメージを日本人に与えてくれるものであるが、もし新幹線と同じ仕様なのであれば一点不安な部分があった。大きい荷物を置ける場所が少ないことである。もし日本の新幹線であれば座席が狭いのでトランクなどは足元に置けない。乗り口近くの荷物置き場は早い者勝ちですぐに埋まってしまうし、座席上の網棚では幅が狭くてトランクは置きにくい。しかも雰囲気的に自分の座る場所の真上スペースしか使えない。しかし乗車してすぐにその心配は無用なことがわかった。前の座席との距離が確保されているため、トランクを十分自席スペースに置けるのである。やれやれ、楽ちん、楽ちん。なーこもしーちゃんもゆったり座れてご機嫌だった。

 列車は無事台中駅に到着。しかし高速鉄道の台中駅、実はかなり郊外の烏日(ウーリ-)という所に位置しており、街の中心へはここから更にローカル線に乗らなければならない。実際この駅はローカル線の烏日駅と隣接しており、ここからローカル線台中駅に行くことが次の仕事だ。

高鉄台中駅の改札を抜けた先にズラっと並んでいたのは丸亀製麺に、大戸屋に、山崎パンに、ロイヤルホスト。お寿司屋さんもある。これでもかというぐらい日本食や日系レストランの数々。台中って、日本とそんなに密接なのだろうか。腹も空いていたので思わずフラっと入りたくなったが、台湾に来て最初の食事が日本食というのもナ、という思いがブレーキになった。とりあえず隣接する烏日駅の場所へ歩いて行くと、巨大な段ボールで作られた汽車やロボット、お寺までもが飾られたスペースがあった。

段ボール紙工作の博物館があり、大型作品を館外、つまり駅の連絡通路上に展示しているみたいだ。博物館のロケーションにもびっくりだが、更に驚きはしーちゃん。これら作品の中から大好きなトトロを見つけたかと思うと即座に駆け寄り、その隣にちょこんと立って、写真を撮ってくれとアピールするのだった。

 切符売り場は人がいるのかわからないぐらいガラガラ。地元民はみんな磁気カードを持っているから紙の切符を買うことが無いためであろう。ともあれ台中駅方面のホームに出ると、停車していた電車は何と満員状態。どうせここから三、四駅ぐらいなはずだし、これをやり過ごして次の電車に乗ればいいや、と思っていたのだが、まだ出発する気配はない。ひょっとして頻繁に出る路線ではないのだろうか。不安になったのでその満員電車にそっと乗り込む我々三人。あと数駅の辛抱だ、と思ったその時だった。小さい子供を連れていたためか、席に座っていた二人の女性が突然立ち上がり、僕達に譲ってくれた。この混雑の中、予想していなかったありがたい展開。長旅の疲労もあったので、深く感謝して席に座らせて頂く。そして台中駅に到着したのは出発して20分後であった。

 

 ホテルまでの移動手段はタクシーしか無いので、タクシー乗り場があるという地下駐車場まで降りる。エレベータで降りると、そこはただの車のジャングルであり、どこからタクシーに乗るのか全然わからない。たまたま近くにいた中年女性に聞いてみると、そこの人達は日本人だと思うから、聞いてみたらと反対方向に立つ三、四人の女性達を指差した。ほう、日本人かと思ってその人達に日本語で声をかけると、返事はどうもぎこちない日本語だった。何だ、台湾の人じゃないか。雰囲気で気付けるはずだったが、ここまでの道中の疲れか、地下駐車場の薄暗さゆえかすっかり日本人だと信じてしまった。それにしてもいきなり日本語で声をかけた相手がちゃんと日本語できるなんて、すごい偶然。結局日本語を話せる女性達も乗り場はよく知らず、タクシーが通り過ぎたら運転手に聞いてみたら、とアドバイスしてくれた。次の瞬間、うまい具合に一台のタクシーが目の前を横切り、すぐに一時停止した。よし、捕まえようと思ったその時、最初に声をかけた中年女性の方が一足先に運転手の方に駆け寄り、この人達を乗せてやってくれ、と僕達を指しながらタクシーを引き止めてくれた。きっと乗り場は別の場所だったのだと思うが、運転手は快くこの場で僕達を乗せてくれた。親切な彼女達に謝謝、とお礼を言って乗り込んだその時、僕達はハっと気付いた。この中年女性、さっき電車で僕達に席を譲ってくれた人だったのだ。同じ人に二回も助けられてしまったのか。気付かないで声をかけていた自分がちょっと恥ずかしかったが、本当に感謝、感謝である。

 

 ホテルに向けてタクシーを走らせていたその時、パパパン、と大きな爆竹の音が鳴り響いた。しーちゃんもびっくり。今は旧正月ではないし、一体何だろう。しばらくすると色とりどりの旗を掲げて踊る人々を先頭に、中国風の獅子舞やお神輿のようなものを担いだ一団が対向車線の道路を普通にパレードしているではないか。最後尾には荷台スペースに小劇場を設けたトレーラーが続き、中には京劇のような装いの人々がいた。地元のお祭りだろうか、旅芸人の一座だろうか。運転手に聞いてもわからない様子で結局謎のまま。

 

 駅を出て30分近く経とうとした頃、群を抜いた高層ビルの前でタクシーは停車した。今晩の宿であるホテル・ワンは台中最高層の建物だとか。本来の金額だったら到底宿泊先として選ばない種のホテルであるが、たまたまキャンペーン中だったので中級ホテル並みの価格で予約できたのである。チェックイン時のフロントのお姉さんも明るくて親切で、42階の部屋まで案内してくれた。台中の夜景をじっくり楽しめる壁一杯の出窓と自動開閉のカーテン。先程の花火がここから確認できるが、かなり低い場所で繰り広げられている所、このホテルはどれだけ高いのだろう。

 

 ここにずっといると居心地良過ぎてそのまま眠りについてしまいそうなので、夕食でも食べに行くことに。はて、ここに来るまでにどこか大衆的な食堂があっただろうか。まだそれ程遅くはない時間帯とは思うが、歩く人はまばら。そもそもこの巨大ホテル以外には公園のような所しか無いし。今晩は残ったパンか、高いお金払ってホテルの食堂で食べるしか無いのかな、と思いかけたその時、なーこが大通りの車道を挟んで向かい側に飲食店らしき看板を見つけた。よく見ると「魯肉飯」と書いてあるではないか! 台湾のソウルフード、魯肉飯。以前台湾を訪れた時は春節で飲食店の多くが閉まっていたためにありつけず、初めてそれを食べたのは結局渋谷の台湾料理屋だった。本場の魯肉飯を初日に食べられるなら、最高のスタートじゃないか。僕達は通りを渡り、店の中に吸い込まれていった。

 空いている席を一か所見つけて座ると、店員がメニューと注文票を持って来た。欲しい料理に必要数を書き込む注文票。香港の飲茶屋とか、上海の火鍋屋で見られるが、台湾では飲食店全般で使われているようだ。とりあえず僕は魯肉飯、なーこは豚肉飯、それに蝦巻を注文した。やって来たご飯は量こそやや少な目だったものの、かき混ぜると肉汁が茶碗のご飯一杯にじゅわっと広がるので、量的にこれが黄金比率なのだろう。柔らかくて口溶けよい肉に大満足である。

しーちゃんの分を取り分けようとしたが、「白いご飯が食べたい」と言ってあんまり食べなかった。一方で蝦巻は気に入ったらしい。ぷりぷりの蝦をくるんだ長細いシュウマイのような感じで、これもまた当たりであった。飲み物は持参のペットボトルの水を飲んでいたが、特に何もお咎め無いのはアジアならではのおおらかさ。僕は魯肉飯をもう一杯おかわりししまった。初日の夕食で路頭に迷いかけた所、なーこ、ナイスな店を見つけてくれた。